先日、東京での日本近代文学館・夏の文学講座に出席。
劇作家・平田オリザさんの話を聞いてきました。
演題は「変わりゆく日本語、変わらない日本語」
変化のスパンは、名詞が千年単位。助動詞は数百年単位だそうです。
変化が進行中の助動詞は、「られる」です。
「られる」には、自発・可能・受け身・尊敬の4つの意味があります。
使いこなせば便利な反面、誤解を生みやすい。とくに若い世代には使いにくい。
そこで、可能の意味に使うときは、ら抜きに。
NHKは「ら抜き」言葉に抵抗していますが・・・無駄な抵抗のような気も。
いま一つの大きな変化は女性のことば。若い世代では女言葉がなくなっきています。
現在、模索中なのが、女性の上司が、男性の部下に仕事を頼む際の時の言い方。
どんな言い方なんでしょうね?
一方、変化のスパンの長い名詞ですが、こちらにも大きく変化の波は押し寄せています。
新しいカタカナ語が続々と誕生する一方、死語となる名詞も多数。
歳時記のなかにも、日常では使われなくなった季語が随分あります。
こうした大きな変化に対して俳句は、どう対応していったら良いのか?
そんなことをも考えさせるお話でした。
夏服を着こなしている雪女 遅足
劇作家・平田オリザさんの話を聞いてきました。
演題は「変わりゆく日本語、変わらない日本語」
変化のスパンは、名詞が千年単位。助動詞は数百年単位だそうです。
変化が進行中の助動詞は、「られる」です。
「られる」には、自発・可能・受け身・尊敬の4つの意味があります。
使いこなせば便利な反面、誤解を生みやすい。とくに若い世代には使いにくい。
そこで、可能の意味に使うときは、ら抜きに。
NHKは「ら抜き」言葉に抵抗していますが・・・無駄な抵抗のような気も。
いま一つの大きな変化は女性のことば。若い世代では女言葉がなくなっきています。
現在、模索中なのが、女性の上司が、男性の部下に仕事を頼む際の時の言い方。
どんな言い方なんでしょうね?
一方、変化のスパンの長い名詞ですが、こちらにも大きく変化の波は押し寄せています。
新しいカタカナ語が続々と誕生する一方、死語となる名詞も多数。
歳時記のなかにも、日常では使われなくなった季語が随分あります。
こうした大きな変化に対して俳句は、どう対応していったら良いのか?
そんなことをも考えさせるお話でした。

夏服を着こなしている雪女 遅足