575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

梅咲いて空透けてゆく山のきわ   晴代

2018年03月11日 | Weblog

山麓にある梅林でしょうか?
ある朝、梅の花が咲いているのに気づきました。
山際の空が一段と澄んでみえる日でした。
早春の清冽な空気感を梅に託して詠んだ句です。

白梅でしょうか?紅梅でしょうか?
読みは読者に任されています。
白なら清冽な、紅なら華麗な感じがします。

写真は東山植物園。手前の梅は「思いのまま」です。
風は冷たかったですが、暖かい日で春霞のようでした。

                 遅足


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「もーいーかい」「まーだだよー」と春の声  麗子

2018年03月10日 | Weblog

かくれんぼを遊んでいる子供たちの声。
その声を春の声、と捉えた句です。
春を待つ心を子供の声に託して詠んでいます。

春が「もーいーかい」と呼びかけると
冬が「まーだだよー」と応えているような毎日です。
春を探して東山植物園へ。
風の冷たいなか、河津桜がいち早く春を咲かせていました。

                     遅足

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若狭の海幸山幸 絵巻④ ~魚釣り~竹中敬一

2018年03月09日 | Weblog

平安時代末期(12世紀後半)に作られた「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」は
江戸時代に焼失してしまいましたが、その模写本は福井県小浜市の明通寺に伝わっています。
(現在は福井県立 若狭歴史民俗資料館に寄託されています。)

この模写本は江戸時代、小浜藩主 酒井忠勝の命を受け、狩野種泰という御用絵師が描いたと
されています。とても、精妙な写しで、さぞ、原本に極めて近いものではないかと、想像して
みたくなります。
絵巻物の図柄に入る前に、絵と絵の間に入る説明文、詞書(ことばがき)について触れておきます。

「彦火火出見尊絵巻」の詞書は、若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の記述と極めて似かよって
います。ここで、海幸山幸神話の始めの部分、弟の山幸彦が兄の海幸彦から釣り針を借りて
海へ釣りに出かけたシーンを取り上げてみます。

まず「古事記」「日本書紀」のなかでは、
「弟の山幸彦が "一匹の魚もかからなかったばかりか、借りた釣り針を海中に失ってしまった "と
兄の海幸彦に謝ったが、兄は許さず、返せと責めたてた」(大意)と簡単な記述になっています、

一方、「秘密縁起」では「弟の山幸彦が釣りをしていると、大きな魚がかかった。山幸彦は
喜びのあまり、急いで釣り上げようとして、荒く釣り糸を引き上げようとした為、糸が切れて
しまい、魚は針を口にくわえたまま、逃げてしまった。
釣り針を失ってしまった山幸彦は空しい思いで帰り、この事を兄の海幸彦に告げると、兄は
大いに怒りながら言った。
"大きな魚を釣るには、ゆっくり糸を引いて、魚に任せておけば、おのずと釣れる。それを、
慌てて、荒く引いては失敗するに決まっている。釣り針は今すぐ返せ。別の釣り針ではだめだ。"
と責め立てた。」(小松茂美による訳文を更に現代訳語)

若狭彦姫神社に伝わる絵巻物の詞書(ことばがき)は、「秘密縁起」の記述と殆ど同じです。
私は多分、「秘密縁起」の方が先にあったのだと思っています。

魚釣りの記述について「古事記 」「日本書紀」と「秘密縁起」「絵巻物」の内容はほぼ同じですが、
後者の方がより描写が細やかになってします。
兄の海幸彦は弟の山幸彦に魚釣りの方法について「秘密縁起」「絵巻物」では具体的に教えています。
私も小学校の頃、魚釣りの上手な漁村の同級生から「釣竿に手応えがあっても、あわてて釣り糸を
引いたらアカンで」と教えられたものです。
まして、大きな魚を釣り上げる時には、あわてず釣り糸をゆっくり引いて、ある程度、魚に任せて
おくことが必要なことは、釣り師の常識でしょう。

「秘密縁起」の筆者は、魚釣りに長けていたのかもしれまん。


写真は「彦火火出見尊絵巻」(明通寺 蔵)の巻頭の場面を筆者がエンピツで模写。
海辺近くの兄(海幸彦 )の館を弟(彦火火出見尊・山幸彦)が訪れ、釣り針を貸して
欲しいと頼み込んでいるシーン。向かって左が彦火火出見尊。
海幸山幸神話を題材にして、平安時代の貴族の風俗が描かれています。



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遅くなりました。   麗

2018年03月08日 | Weblog
ブログの更新が遅れて申し訳ありませんでした。
母が入院し誤嚥性肺炎となりなかなか厳しい状態です。
母が入院前最後の日記に書いていた一句は

       風邪をひき鼻水が止まらない   如月

でした。山頭歌のような自由律。なんとか乗り切って欲しいと祈る日々です。
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梅の花巡る子蜂や光源氏   等

2018年03月07日 | Weblog

梅の花を巡っている蜂。それを好色な光源氏に喩えました。
このように読むと「子蜂」ではなく「小蜂」が良いと思います。

好色はいまでは余り良い意味で使われていません。
しかし源氏物語の世界には、男女が情を通わせるのは
美しいと考えられていたようです。

平安時代といえば、先日訪れた京都の相国寺にある林光院。
ここに鶯宿梅(おうしゅくばい)という梅の木がありました。

今から千年ほど前、村上天皇の時代のこと、清涼殿前の梅が枯れたので、
紀貫之の娘の家にあった梅を移し植えたところ、枝に一首の歌が。

 勅(ちょく)なればいともかしこし うぐひすの宿はと問はばいかが答へむ

天皇の御命令なので致し方のないことではありますが、鶯がやってきて、
私の宿はどこへ行ったの?と問われたら何と答えたらいいのでしょう?

これに深く感じた天皇は梅の木をお返しになり、以後、この梅の木は
鶯宿梅と呼ばれるようになったとのこと。

千年ほど前のお話で、梅の木も何代目かに当たるそうですが、
香りもすぐれ、白または紅、あるいは紅白まじった花が咲くそうです。
私が行った時は、まだ一、二輪ほどの開花でした。(遅足)
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梅匂うこっそり置いた未練かな  えみ

2018年03月06日 | Weblog

こっそりと置かれた梅の花。
花は見えませんが、たしかに匂っています。
それを未練を置いた、と表現しました。
あるいは、置いたのは文だったかも。
梅の花に託した思い。恋の句ですね。

 春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる

春の夜の闇によって梅の花の姿は見ることは出来ない。
しかし香りまで隠すことは出来ない。
闇のなかにも梅の花は咲いているのだ、という歌。
作者は凡河内躬恒。

夜の梅を詠んだ歌は近代にも。

 ひとまおきてをりをりもれし君がいきその夜しら梅だくと夢みし

与謝野晶子の恋の歌です。

この句は、こうした恋の歌の伝統のうえに詠まれています。

     遅足


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梅一輪一坪の庭清めおり   能登

2018年03月05日 | Weblog

梅はもともとは中国の花。
日本人の好みにあったのでしょう。
昔から親しまれてきました。
まだ寒さの残る小さな庭に一輪の梅の花。
それを庭を清めたと詠んだ作者の感性。
この梅の花はきっと白ですね。

梅は花の兄と呼ばれていました。
それは、まだまだ寒さの残る早春に
他の花に先立って咲くためだそうです。

では花の弟は?
多くの花に遅れて咲くところから、
菊のことだそうです。
             遅足

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三浦越え梅のにおいの風に乗り   立雄

2018年03月04日 | Weblog

この三浦越えは、どこのことでしょうか?
三浦半島と鎌倉を結ぶ峠道でしょうか?
鎌倉と三浦半島を結ぶ道としては名越切通しが有名。
昔を偲ばせる史跡も多いそうです。

梅の咲くころ、風にのり、香りとともに峠を越えてゆく。
うつくしい景を詠んだ句です。
峠を越えていくのは今の人、と読んでも、
鎌倉時代の武士と読んでも良いでしょうね。
あるいは、風にのっていったのは悲劇の武将かも・・・
地名が呼び起こすイメージを楽しむことの出来る句です。

                     遅足

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ひなまつり  郁

2018年03月03日 | Weblog
今日はひなまつり
♪あかりをつけましょぼんぼりに。。

おなじみのこの歌の正式タイトルは
「うれしいひなまつり」
♪きょうはたのしいひなまつり
と続くのになぜ?と思っていましたが
実はこの歌は4番まであります。

(4ばん)
♪着物を着かえて帯しめて
きょうは私も晴れ姿
春の弥生のこの良き日
なによりうれしいひなまつり♪

ということで「うれしいひなまつり」と
なったのですね。
歌詞はサトウハチロー!
でも4番まで正確に歌える人は
あまりいないのではないでしょうか。

私の父は、こどもが大好きで
うちの娘(女の子ばかり3にん)をおんぶして
この歌を、年中歌っていました。夏の盛りも・・(笑)

だからなのか
長女はちいさい時、この歌を4番までうたいました。
ただ残念。
最後の最後、「はるのやよいのこのよきひ」を
「はるのやよいのこのヨシキ」と毎度歌います。
誰だよ?ヨシキって!
今は
就職で家を出て東京でひとり暮らしをしていますが
部屋におひなさまのみ留守番です。
ひな人形を
早めにしまってやろうと、ココロに決めています。

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父卒寿  麗

2018年03月01日 | Weblog
3日に父が90才になります。お祝いに帰るはずが、母が緊急入院となり今大阪です。
てんやわんやですが、父に一句。お父さん、がんばったね!

   祝い酒ずらり並んで春卒寿  麗
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