30kmポイントを過ぎた。
ここからこそきつくなる。
覚悟した。
私は、ここからゴールまでの距離を走るために、ここまで走ってきたのだ。
そのように思い直した。
しかし、普段の練習では、30kmを越えるような距離は走っていない。
大会だって、ハーフマラソンまでだ。
あとは、体力が残っているか、気力を奮い立たせることができるか。
走路は、関屋分水の堤。
道幅が狭くなるとともに、歩いているランナーも多くなった。
そばを走っているランナーの女性はベテランランナーだとわかる。
小幅だが足の運びが、実にスムーズだ。
こういう走りは、疲れにくいと分かる。
私は、足が長いので(…胴の方がはるかに長いが?)、こういう小刻みなピッチで走ることには慣れていない。
このランナーのような走りができたらいいなあ…とうらやんだ。
でも、人は人、自分は自分。自分にできる走りしかできない。
今回は、とにかく歩かない。
それが、今回の自分の最大のめあてだったと、心の中で確認した。
33km付近で、今年も高橋尚子さんがいた。
ランナーとハイタッチして、声をかけ続けていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3d/79b6a52e931e19f663e42d0cb2ebf549.jpg)
すごい人だ。
私は、「去年は後ろから拾って助けてもらいました。ありがとうございました。」と叫んで、ハイタッチして通り過ぎた。
その後も、関屋分水堤は続くが、ずっとその上で応援をしてくれる人たちがいる。
でも、こちらの体力も限界が近づいてきたから、しだいに下を向いて走ることが多くなってきた。
エイドでは、なし、バナナ、きゅうり、笹団子、ポッポ焼き、サラダホープなど、様々なものを置いていた。
口に入れると、体の疲れは一瞬飛ぶが、一瞬の後はまたつらさが襲ってきて、また下を向いて懸命に前に進んだ。
ふと顔を上げると、もうすぐ35kmというところに、職場の同僚である女性がいた。
思わず名前を呼び、ハイタッチして通り過ぎた。
体が軽くなった気がした。
そして、すぐ35kmの折り返し。
今度は、越乃寒梅の純米吟醸「灑」の瓶を模した折り返しである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/eb/938621f55a54e6931173474e0027bc63.jpg)
え?「灑」って何て読むのだって?
これは、「さい」と読むのだよ。(大会プログラムの中の広告に書いてあった。…意味は不明…)
その折り返しポイントの写真を撮ろうとしたら、あまりにも汗を多くかいたために、携帯スマホが滑って指を感知してくれなかったので、撮るまでに少々時間がかかってしまった。
その折り返しから今度は堤の下の舗道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ee/6aa9629dc806791fa9f810c1fe3b8dde.jpg)
さっき会った同僚の女性に、もう一度手を振って、ガッツポーズなんかして強がって前に進んだ。
37kmあたりで、再び高橋尚子さんの檄を受け、平成大橋を渡り、対岸の道を走る。
走るとは書いたものの、この頃の走りは、苦しくて苦しくて、その姿は歩きに近くなっていた。
ウオッチを見ると、1km7分以上もかかっていた。
㉛6分23秒 ㉜6分32秒 ㉝7分10秒 ㉞7分20秒 ㉟6分18秒 ㊱7分15秒 ㊲7分50秒 ㊳7分6秒
もう少し颯爽とこの川岸を走る予定だったのに、少しもスピード感がなかった。
去年より遅い気もしたくらいだった。
信濃川に架かる本川大橋を渡ると、残りは4kmである。
ところが、ここから先が長く感じた。
ゴールが近づきラストスパートをかけるランナーたちに次々に抜かれていく。
悔しいが、足が出ない。腕だけは懸命に前後に振る。
そうやって、少しでも早くと気持ちを急かせる。
㊴7分16秒 ㊵8分15秒
あと少しあと少しと思いながら、なかなか近づかないゴール。
ついにキロ8分台にまで落ちてしまった。
こういうとき、私を抜いて行くランナーたちがねたましい。
私は、必死で腕を振っていて前に進んでいるのに、抜いて行く人たちは足音軽やかに(聞こえる)追い越していく。
悔しいが、人は人、自分は自分で懸命に戦っている。
オレは、歩かない!
ようやくゴールが近づく。
こういうのを「死に物狂い」というのだろうなあ、と思う。
今、ゴールだけを考え、とにかく前に行くだけだ。
㊶7分26秒 ㊷7分37秒
新潟市陸上競技場への角を曲がる。
あと100m。
必死で走り、ガッツポーズでゴールゲートを通り過ぎた。
…そこまではよかった。
苦しい中、よくがんばって走ってきた。
そのツケが一気に体を襲ってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/97/1c28b9697b3c638947bd6388054f09da.jpg)
まっすぐ何歩も歩けず、歩いては止まり、息を整えてまたふらふら歩き出す、といった感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ef/e30a7d54e423680f759b7c4233082f81.jpg)
完走証を発行してもらい、そこには、ネットタイムで4時間35分台の記録が書かれてあった。
よくがんばった、よく歩かずにゴールにたどり着いた、と思う。
ただ、今は、ものすごく息苦しいし、脚もフラフラだ。
預けていた手荷物を受け取った後しゃがみこみ、息子にメールを送る。
「9号車の前でへたり込んでいます。しばらく動けません。」
息子からの返信。
「とりあえず荷物受け取り会場にいます。ハンガーノックで動けない…」
後でやっとのことで落ち合うと、息子は後半空腹から低血糖状態になり、私より5分余り前にやっとゴールしたばかりだったのだと聞いた。
私も息子もしばらくその場を動けなかった。
マラソンは、過酷だと思った。
35kmまでは行けるが、42kmは遠い。
今回は、サトウの切り餅ももらってはみたが、気分がすぐれず、食べきれなかった。
しかし、Negiccoのパネルの前で笑って写真撮影することだけは忘れない私であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5a/02add44f89f3981027e377edce6cc0e7.jpg)
ここからこそきつくなる。
覚悟した。
私は、ここからゴールまでの距離を走るために、ここまで走ってきたのだ。
そのように思い直した。
しかし、普段の練習では、30kmを越えるような距離は走っていない。
大会だって、ハーフマラソンまでだ。
あとは、体力が残っているか、気力を奮い立たせることができるか。
走路は、関屋分水の堤。
道幅が狭くなるとともに、歩いているランナーも多くなった。
そばを走っているランナーの女性はベテランランナーだとわかる。
小幅だが足の運びが、実にスムーズだ。
こういう走りは、疲れにくいと分かる。
私は、足が長いので(…胴の方がはるかに長いが?)、こういう小刻みなピッチで走ることには慣れていない。
このランナーのような走りができたらいいなあ…とうらやんだ。
でも、人は人、自分は自分。自分にできる走りしかできない。
今回は、とにかく歩かない。
それが、今回の自分の最大のめあてだったと、心の中で確認した。
33km付近で、今年も高橋尚子さんがいた。
ランナーとハイタッチして、声をかけ続けていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3d/79b6a52e931e19f663e42d0cb2ebf549.jpg)
すごい人だ。
私は、「去年は後ろから拾って助けてもらいました。ありがとうございました。」と叫んで、ハイタッチして通り過ぎた。
その後も、関屋分水堤は続くが、ずっとその上で応援をしてくれる人たちがいる。
でも、こちらの体力も限界が近づいてきたから、しだいに下を向いて走ることが多くなってきた。
エイドでは、なし、バナナ、きゅうり、笹団子、ポッポ焼き、サラダホープなど、様々なものを置いていた。
口に入れると、体の疲れは一瞬飛ぶが、一瞬の後はまたつらさが襲ってきて、また下を向いて懸命に前に進んだ。
ふと顔を上げると、もうすぐ35kmというところに、職場の同僚である女性がいた。
思わず名前を呼び、ハイタッチして通り過ぎた。
体が軽くなった気がした。
そして、すぐ35kmの折り返し。
今度は、越乃寒梅の純米吟醸「灑」の瓶を模した折り返しである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/eb/938621f55a54e6931173474e0027bc63.jpg)
え?「灑」って何て読むのだって?
これは、「さい」と読むのだよ。(大会プログラムの中の広告に書いてあった。…意味は不明…)
その折り返しポイントの写真を撮ろうとしたら、あまりにも汗を多くかいたために、携帯スマホが滑って指を感知してくれなかったので、撮るまでに少々時間がかかってしまった。
その折り返しから今度は堤の下の舗道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ee/6aa9629dc806791fa9f810c1fe3b8dde.jpg)
さっき会った同僚の女性に、もう一度手を振って、ガッツポーズなんかして強がって前に進んだ。
37kmあたりで、再び高橋尚子さんの檄を受け、平成大橋を渡り、対岸の道を走る。
走るとは書いたものの、この頃の走りは、苦しくて苦しくて、その姿は歩きに近くなっていた。
ウオッチを見ると、1km7分以上もかかっていた。
㉛6分23秒 ㉜6分32秒 ㉝7分10秒 ㉞7分20秒 ㉟6分18秒 ㊱7分15秒 ㊲7分50秒 ㊳7分6秒
もう少し颯爽とこの川岸を走る予定だったのに、少しもスピード感がなかった。
去年より遅い気もしたくらいだった。
信濃川に架かる本川大橋を渡ると、残りは4kmである。
ところが、ここから先が長く感じた。
ゴールが近づきラストスパートをかけるランナーたちに次々に抜かれていく。
悔しいが、足が出ない。腕だけは懸命に前後に振る。
そうやって、少しでも早くと気持ちを急かせる。
㊴7分16秒 ㊵8分15秒
あと少しあと少しと思いながら、なかなか近づかないゴール。
ついにキロ8分台にまで落ちてしまった。
こういうとき、私を抜いて行くランナーたちがねたましい。
私は、必死で腕を振っていて前に進んでいるのに、抜いて行く人たちは足音軽やかに(聞こえる)追い越していく。
悔しいが、人は人、自分は自分で懸命に戦っている。
オレは、歩かない!
ようやくゴールが近づく。
こういうのを「死に物狂い」というのだろうなあ、と思う。
今、ゴールだけを考え、とにかく前に行くだけだ。
㊶7分26秒 ㊷7分37秒
新潟市陸上競技場への角を曲がる。
あと100m。
必死で走り、ガッツポーズでゴールゲートを通り過ぎた。
…そこまではよかった。
苦しい中、よくがんばって走ってきた。
そのツケが一気に体を襲ってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/97/1c28b9697b3c638947bd6388054f09da.jpg)
まっすぐ何歩も歩けず、歩いては止まり、息を整えてまたふらふら歩き出す、といった感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ef/e30a7d54e423680f759b7c4233082f81.jpg)
完走証を発行してもらい、そこには、ネットタイムで4時間35分台の記録が書かれてあった。
よくがんばった、よく歩かずにゴールにたどり着いた、と思う。
ただ、今は、ものすごく息苦しいし、脚もフラフラだ。
預けていた手荷物を受け取った後しゃがみこみ、息子にメールを送る。
「9号車の前でへたり込んでいます。しばらく動けません。」
息子からの返信。
「とりあえず荷物受け取り会場にいます。ハンガーノックで動けない…」
後でやっとのことで落ち合うと、息子は後半空腹から低血糖状態になり、私より5分余り前にやっとゴールしたばかりだったのだと聞いた。
私も息子もしばらくその場を動けなかった。
マラソンは、過酷だと思った。
35kmまでは行けるが、42kmは遠い。
今回は、サトウの切り餅ももらってはみたが、気分がすぐれず、食べきれなかった。
しかし、Negiccoのパネルの前で笑って写真撮影することだけは忘れない私であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5a/02add44f89f3981027e377edce6cc0e7.jpg)