ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

日本が世界に誇るべき王者の姿

2018-02-18 22:45:01 | ひと
ピョンチャン五輪の日程が進んでいる。
昨日、今日と、連日の金メダル獲得だ。
昨日の男子フィギュアの羽生選手。
そして今日の女子スピードスケート500mの小平選手。
彼らからは、強さだけではなく王者としてのすばらしい姿を見た思いがした。


こうして4年に1度の大舞台で、持っている力を十二分に発揮し、世界の王者となる。
その精神力と磨いてきた技術は、本当に素晴らしい。

羽生選手は、大けがを乗り越えて、小平選手は度重なる挫折を乗り越えて、よく五輪の王者に上り詰めたものだと思う。
普通の人であれば、あきらめてしまうくらいのケガや挫折であったと思う。
だけど、あきらめないでチャレンジを続けてきた。
その精神力に驚嘆する。
どうしてそこまでできるのか。
どうしてそこまで努力できるのか。
それができるからこそ、勝者になれるのだろう。
勝者にふさわしい、王者のメンタリティーをもっているのだと思う。

また、精神力だけではない。
共に戦ったライバルへの称賛も忘れない。
羽生は、フェルナンデスや宇野に対し、小平は
勝って驕らず、自分を高めてくれたライバルをたたえる姿が見られる。

そして、今までの自分を支えてくれた人たちへの感謝を忘れていない。
自分がつらかった時に支えてくれた人が、人々がいたからこそここまで来れたのだ。
自分一人でここまで来たのではない、ということをよく知っている。
支援や励ましに対して、謙虚に誠心誠意こたえることができている。

彼らを見ていると、なるべくしてなった王者だなと思う。
また、日本が世界に誇るべき王者の姿だとも思う。
心から「おめでとうございます!」と声を出したい気分だ。
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「希望の会」に参加してきた

2018-02-17 23:10:31 | 生き方
かつての職場の同僚が集まって飲み会を行う、ということ。
あるようで、なかなかない。
私には、ただ1つだけそのような会がある。

年に一度のその会が、今夜あった。
名付けて、「希望の会」。
まさしく生きていく希望がもてる会。
その時に同じ職場で働いていた人たちが、時空を超えてまた会いたいと願うからこそ、実現する会。

このような会をしたくなるには、そのメンバーがよかったことのほかに、リーダーがリーダーの名にふさわしい存在だったことがある。
リーダーだった方は、すばらしい人間性と専門性をもち合わせていた。
私たちは、その方についていこうと思った。
だから、すばらしい成果を生むことができた、そう思う。

一年に一度、会うたびに、いつしか互いの近況を知り合い、あの頃の情熱を思い出す会となった。
次に生きていく元気をもらう会、まさしく明日に希望をもてる会となっている。

年々、会う人の年齢は上がっていく。
だからこそ、翌年に会えた時の喜びは大きくなる。
そして、会って、語り合って、元気を出して、次の1年に向かう。


やはり、人は人から力をもらって生きているのだなあ、と実感するのである。

また来年、元気な顔で会いましょう。
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「応援NAVIシステム」で、いわきサンシャインマラソンの自分の走りを振り返る

2018-02-16 23:05:22 | RUN
いわきサンシャインマラソンを終えて、家に帰ると、息子から「応援NAVIシステム」というものがあると教えてもらった。
これは、当日から1か月後まで使えるのだそうだ。
どんなものかというと、こんなもの。

スタート、5km、10km、20km、中間点(21,0975km)、30km、40km、フィニッシュの8か所でのタイムを計測してくれているのだ。
グロスタイム、ネットタイム、その区間のラップタイム、通過時刻、総合順位速報、種目別順位速報などが載っている。
へえ~、なるほど。
息子は、これでレース中盤までの私の走りを確認していたのだそうだ。
便利なものだ。
離れていても、ちゃんと、どこをどのくらいの時間で走っているのかが分かる。
私は、さらにこれを使って、計算してその区間の1km当たりの平均ラップタイムを計算して出してみた。
5kmまでは、平均6分37秒/kmのペース。
10kmまでの5kmは、平均6分17秒。
その後20kmまでの10㎞は、平均6分22秒。
これは、中間点までも同じ。
それが、三崎公園への急な上り坂で疲れてしまい、中間点から30kmまでの約9kmは、平均6分47秒。
さらに、ここからは往復で同じコースだったが、だらだら続く長い坂だったので、平均7分37秒になってしまった。
なんと1kmあたり1分以上遅くなってしまっている。
可能であれば、平均6分台をキープしたいと思っていたのに、やはりフルマラソンは甘くない。
どれだけひどい落ち込みだったか。
つまりどれだけきつい走りだったかがわかる。
40kmからフィニッシュ地点までは、なんと1km平均で8分を越えるペースである。
それまでずっと順位を上げていっていたのに、ラスト2kmでガクンと下がっている。
でも、もう走れなかったもんなあ…。

こうして、数字を追いかけて自分の走りをもう一度見ることができる。
応援NAVIシステム、いいものだなあ。
いわきサンシャインマラソン、改めていろいろと整ったいい大会だなあ、と振り返っている。
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母の故郷を駆ける~いわきサンシャインマラソン(4)

2018-02-15 20:23:21 | RUN
折り返してからは、当然今来た道を引き返すことになる。
もう走る脚が残っていないのに、上り坂はきつい。
しかもゆるやかに長く続く。
頂点の37km地点までのタイムは、
下りが、㉝7分07秒、㉞6分56秒と、下りになったのに上がらない。
折り返してから、㉟7分40秒、㊱8分7秒、㊲7分53秒。
上りということもあり、6分台はおろか7分台も守れず8分台に。
6分台を守る、という当初の目標はすでに果たせなくなっていた。
だが、「歩かずに走り切る」ということについては意地を張り通したいと、自分の気持ちを再確認した。

37km地点の坂道の頂点にきたので、ここからは下り坂だから少しは楽になると思った。
しかし、走れない。
太ももが時折ビクッとなって、つりそうになる。
無理がないようにと最初から脚をあまり上げずに走ってきたが、今は上げたくとも上がらない状態。
内臓も疲弊しきった状態になっていた。
37.3kmの最後の給水所でも、食べ物には全く興味がなく、口にできるのは水だけ。
飲料であるアミノバリューもいらない。
ただひたすら水がおいしかった。
㊳7分30秒、㊴7分37秒、㊵8分13秒。

曲がり角もなくなった最後の広い直線路。
40kmともなると、残り2kmしかないから、皆ラストスパートをかける。
今まで歩いていた人たちだって、最後の力を振り絞って走っていく。
だけど、私は、振り絞る力がない。
脚が限界を超え、走っているように見えない私。
だけど、懸命に闘っていた。
歩くと楽になる、とは思うが、ゴールは遅れていく。
少しでも早くゴールに着きたい。
抜いて行く人たちがうらやましい。
だけど、自分の今残っている力は、速く走るためには腕を振ることしかできない。
懸命に腕を振りながら、走った。
しかし、ものすごい数の方々に抜かれていった。
あとでデータを確認したら、40kmは順位が3000番台の中盤だったのに、わずか2km後には60人の人に抜かれて、タイムのみならず順位も3100番台と、大幅に落としていた。
それもそのはず、40kmからフィニッシュ地点までは、17分40秒もかかっていたのである。
ここの平均は、8分01秒/kmとなる。
こんなに平地で、しかも風は追い風であった。
それにもかかわらず、あの急坂を駆け上がった三崎公園までの1kmにかかった時間7分34秒よりはるかに遅くなる、という情けなさ。
だが、手は抜いているつもりはなく、腕の力で足を運ぶ状態だった。


だいぶゴールが近づいてきたときに隣に並んだのは、「アイシテルニイガタ」の文字が付いたTシャツ。
一昨年販売されたもので、懐かしい。
「新潟からですか?」
「はい。」
「私と同じですね。アルビJ2に落ちたけど、がんばってほしいですね。」
「そうですね。」
などという会話を交わした。

しばらく一緒に走ってくれたけれども、私があまりにも遅いので、先に行ってもらう形になった。

それにしても、新潟と違って、雪がない。
ここは青空が広がっているけれど、今はかなり強い風が吹くようになっていた。
これはきっと、新潟方面には雪を降らせた後の乾燥した強い風だろう。
今ごろ新潟は雪だろう。
今年は大雪だから、また明日は除雪が必要なくらいになるかもしれない、などとも考えた。

体は、脚は、限界を超えたけれど、まもなくゴールだ。
いよいよ公道から、ゴールへの道に入る。
ラストスパートもできないが、最後のゲートを通るときの足元には力がこもった。

ガッツポーズで、ゴールした。
記録は、ネットタイムでからくも4時間50分手前。
あと10分くらい速くゴールしたかったが、最善を尽くした結果だからしかたがない。
もっと早くゴールできるかとも思ったが、これだけ両脚がおかしくて走れないなかでのベストだ。
歩いてしまった新潟シティマラソンの雪辱(?)を果たすサブ5、達成。

ここは、さすがフラガールのふるさと。
ゴールした人にきれいなレイをかけてもらえるのだ。

私も、かけてもらえた。
そして、記録証を発行してもらい、着順と順位を確認した。
手荷物を受け取りに行き、渡してくれた方に頼んで、写真を撮ってもらった。

近くのテントが更衣室となっていたので、そこでへたり込みながらゆっくり着替えた。
達成感はそれなりにあったが、着替えてみると体がもうボロボロの感じで、歩くたびに左脚が痛くなっていた。


それでもなんとかシャトルバスに乗り込み、座席に座り込んだ。
ところが、降りようと立ち上がった時には、左膝が痛くて歩けなくなっていた。
われながら驚いたが、バスに乗って膝を曲げている間に、固まってしまったのだ。
バスからなんとか降り、そこから駐車場までは200mほどしかないのに、左脚は引きずって歩くしかなかった。
やっとのことで、車までたどり着き、新潟への帰路についた。


ゴール直前の道では、強い風を受けていたことを考えると、県境に近くなると雪になるのだろうと予想した。
案の定、郡山ジャンクション辺りから雪がちらつき始め、磐梯熱海から先は雪の降りが強くなった。
県境付近は、前の車に付いていくのがやっとの気象&路面状況だった。
それらを考えてみるにつけ、いわきと新潟の違いを感じてしまった。
青空のいわきと白い雪の新潟。
好天と荒天。
改めて、好天下で育った母が、結婚後荒天下でどれだけ大変な思いをしたのか、そんなことに思いをはせていた。

母が生まれ育ったいわきの空の下を走った。
今回のダメージが大きかった自分の体を考えると、今回の母の故郷のフルマラソン挑戦は、いい時にやれたな、と思う。
これ以上年を重ねてからでは、さらに厳しかったことだろう。


母へ。
私が、小さいときに苦労をかけてすみませんでした。
でも、今生きている私は、定年退職までちゃんと勤められたし、60歳でフルマラソンに挑戦し、貴女の故郷を走りましたよ。
子どもの頃、体が弱くて運動も苦手だった私が、こうしてフルマラソンを5時間以内で完走できるくらいの大人として、人生を送っています。
どうか、これからも私と家族を見守っていてください。


貴重な機会を与えてくれたいわきサンシャインマラソン。
お世話になりました。
今回、私に関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。


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母の故郷を駆ける~いわきサンシャインマラソン(3)

2018-02-14 22:07:52 | RUN
今回のシリーズのテーマは、「母の故郷を駆ける」である。
母の祥月命日が、まさに昨日であった。
昨日書いた分は、ちょうど母の故郷―実家の近く―を走ったところの内容であった。
母の兄である伯父、母の姉である伯母も登場していた。
実家のすぐ近くの港、兄姉の登場と、母のたまにちょうどよい中身を書くことができた。

その祥月命日、墓参りをしたくて車に乗り、妻と娘と3人で墓の下の道までは行ったのだ。
だが、この大雪で墓へ上る道はとても歩いて行けなかった。
仕方がないので、路上から車の窓を開け、3人で墓の方向に向けて両手を合わせただけしかできなかった。

さて、サンシャインマラソンの続きに戻ろう。

いわき海星高校手前に中間点があった。
中間点の通過は、2時間15分6秒。
このペースなら、倍すると4時間30分台もねらえるところ。
いい調子だ。
⑱6分27秒、⑲6分12秒、⑳6分39秒、㉑6分24秒、㉒6分29秒。

しかし、そんな思いを打ち砕いたのが、22km過ぎから500mほどの間に40mもの高さを駆けあがるという三崎公園への急な上り坂。
急坂は、昨年11月のたいないマラソンで経験があったが、今回はあの時とは違って、すでに22km走って来ている。
あの時とは体力の消耗度が違うのだ。
走り切る、という目標があったから、歩きはしなかったが、リズミカルには走れなかった。
大きく腕を振って、歩く人たちの横を、歩くよりはわずかでも速く進もうとした。
頂上付近での第5給水所では、ミニトマトやイチゴもあるなどすばらしかったが、そこに到達するためにはあまりにも脚への負担が大きかった。
この1kmは、7分34秒もかかっていた。
頂点からは小名浜港も見える。

これからそちらへと、今度は下って行くのだ。

下り坂となったのはいいが、疲れた脚には、走らされる感覚となり、つらいばかりの下り坂であった。

やがて、コースは道路から離れ、港へと入る。
その入口に、これまた従姉が立って応援してくれていた。
今度の従姉は、先ほどの94歳の伯父の長女に当たる人。
こんなふうにして、今回沿道に立って応援してくれた伯父・伯母や従兄・従姉など親類の皆様たちの数は10人を超えた。
これも、母の故郷ならではのこと。
今までこんなに自分を応援してくれる人たちがいるマラソンは走ったことがなかった。
通り過ぎた従姉の姿にもう一度手を挙げ、感謝した。

小名浜港。
たくさんの漁船が停泊している脇がコースとなっていた。

あの3・11の日、ここでも高い津波が押し寄せていた。
それがテレビ中継されていた映像を、親類から見せられて息をのんだこともある。
その翌月に親類の災害見舞いに来てこの近くを通ったとき、あまりにも無残なゴミの山に、津波の巨大さを感じたのだった。
しかし、今はこうして盛大にマラソン大会を行える平穏な雰囲気に包まれている。

今日は天気も海も穏やかだし、青空が広がる。
新潟と違って、見える山に白いもの、つまり雪がなく茶色いのも印象的だった。


小名浜港のアクアマリンパークをぐるりと回る。
そのコースの出口に、
「必ず、帰って来いよ。待ってるからな!」
と、大声で選手たちに声をかけ続けるおっさんがいた。
すごいね、おっさん。まあ、行って来るよ。
とはいうものの、ここを出ていくときの地点は25kmで、あと17kmも残っている。
ここからが本番。
そういう意識で、臨海工業団地のような中を走る広い道へと走り出した。

三崎公園で疲れた脚には、6分台の半ばをキープするのがやっとだった。
㉓7分34秒、㉔6分31秒、㉕6分29秒。

もう2時間台の後半ということもあって、速い選手たちは次々とゴール会場に向かっていた。
しかし、私はまだ17kmもある。
走り続けるしかない。
ただ、意外と体に疲労がたまってきていた。
単調な道路を走りながら、スピードが次第に落ちてきていた。
㉖6分38秒、㉗6分32秒、㉘6分35秒、㉙6分42秒、㉚6分46秒。

なんとか30kmを迎え、さあこれからは、ためていた余力の出しどころ、と思っていた。
ところが、30kmから上りが始まり、それが31kmから32km地点に行く道は、さらに急坂。
22mの高さを上ることになる。
これがきつかった。
ここで完全に、心身にダメージを受けた。
余力が残る余地はなくなっていたのだった。
㉛7分2秒、㉜7分21秒。
実は、前日下見をしてコースを探したのだが、30kmから折り返し地点までがよくわからなかったのだ。
あらかじめコース図などで確認していたが、こんな急な坂道だったとは、そこまで想像できなかった。

32km、坂道のコースの頂点には、若い学生たちが「あと10㎞、がんばって」と集団で掲示物を出しながら応援していた。
疲れた人に「あと10km」は応援にならない。
まだそんなにたくさんあるのか、と気が滅入る人が結構いたことだろう。
私も、その一人だった。

32kmから第2折り返し点34.5kmまでは、標高差24mをゆるやかに下る道だったのだが、道を知らないだけに、とても長く感じる道のりだった。
下りなのに、足が上がらずちっとも走れていないという感覚。
そして、序盤から少し痛みを感じていた右脚ふくらはぎ近くの痛みと、両脚太ももの今にもけいれんしそうな痛みが走るほどにつらくてたまらなくなってきた。


やっとの思いで、第2折り返しに到達したが、まだ8km近くも残っている。

第2折り返しの直後の第9給水所では、「あったかい豚汁ありますよ~!」と盛んに呼び込みを行っていた。
しかし、もうつらくてたまらなくなった私の体には、豚汁や固形物を受け付ける要素がなかった。
本来嫌いな食べ物がなく、いやしい私は、なんでもおいしくいただけるのだが、豚汁も、大好きなチョコレートも、もういらなかった。
ひたすら早くゴールにたどり着きたかった。


さて、つらい思いをしている選手たちに対して、いわきサンシャインマラソンのサポート体制のすごいところは、ピンクの上着に身を包んだ救護係の存在だ。
コース終盤のこの辺りになるといたるところに立っていて、かなりの数の人がいた。
苦しくなった人を絶対助けるぞ、というようなサポート精神が見える。
その表れが、筋肉痛用のスプレー缶だ。
痛んだ人たちが、次々に寄って行って、脚にスプレーをかけてもらったり、借りて自分でかけたりしていた。
あんなにたくさんのスプレー缶を購入して、いったいいくら費用がかかるんだろう、と思わずにはいられなかった。
御多分に漏れず、私も2か所でスプレーを借りて、シュッと太ももやふくらはぎにかけた。
ただ、タイツやサポーターの上からでは、私の場合あんまり効き目がなかった。
それでも、この救護係とスプレーの数に助けられた人が多かったことだろう。
心強いサポートであった。


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母の故郷を駆ける~いわきサンシャインマラソン(2)

2018-02-13 14:52:19 | RUN
小さな坂を上り切ると、その向こうに海が見えた。

ここまで、⑨6分13秒、⑩6分02秒、⑪6分15秒、⑫6分19秒。

ついに、海岸沿いの道に来た。
母の実家や親類の家が多くあるのはここからの地域だ。
だから、私には、いわき市というと「海」「太平洋」というイメージがある。
それなのに、今、この永崎海岸沿いの道路から海を見ようと思っても、見えない。
ずうっと高く長い防潮堤が続いているからである。

【この写真は前日のもの】
この一帯は、東日本大震災で大きな津波が押し寄せて、多くの家々が倒れたり流されたりした。
近くの小学校も大きな被害を受けた。
それは、ここにちょくちょく投稿してくれる蜂さんのブログに紹介されている。
ここで使われていた写真を使って、去年の3月には小学校の子どもたちに話をした。
被災地ではない小学校の子どもたちは、そういう大きな災害があったことを、もうほとんど知らないのである。
小学生には、あの当時生まれていない子だっている。
物心だってついていない頃のことだった、という子が多くなりつつある。
あれから7年がたち、津波で壊されたり流されたりした沿道の家々は新しくなっていた。
その家々からも、防潮堤にさえぎられて海は直接見えなくなっている。
しかし、あちこちの新しくなった家の2階から、手を振ったり声を出したりして、走る選手たちを応援する人たちがたくさんいた。
そこには、被災後の大変さを体験してきたけれども、今、間違いなく「復興」あるいはその途上にあると感じさせる姿であった。

13.9km地点の給水所には、給食もあった。
早めに食べ物が出てくるのは、うれしい。
バナナ、そして梅干を私はいただいた。
口に運ぶと元気になれる気がした。

いよいよだ。
中之作地区に入っていく。

この地区こそが、母の実家のあるところである。
今走っているこの道は、私が子どもの頃はなかった。
なんとここは、もう海だったのである。
だから、現在は300mくらいの間、道路の右に防潮堤、左にかつての防波堤が残っている。
この近くに、伯母・従兄の住む家がある。

いた!

従兄・伯母の家の近くに、従姉の姿、そして伯母の姿。
90歳を過ぎても、元気な姿に会えて、うれしい。

亡母の姉に当たる人である。
前日に訪問したときに、「私は、マラソン、応援するのが大好き!」と言っていたとおり、沿道で声援をおくってくれていた。

さらに進んで行く。
港だ、中之作港!

かつては、ここから出る船で若い日の父が働いたことがある。
何かの折に、船の中を見せてもらったことがある。
魚を取るための船だ。
寝るところが非常に狭く見えたことを覚えている。
そんなことを思い出しつつ、港沿いの道を行く。
知っている従姉たちの姿があった。

94歳の伯父の姿もあった。


年齢を重ねても、かくしゃくとしており、いかにも人生の先輩という感じで今なおいろいろなことを教えてくれる。
私にとって、年をとってもこのように生きていきたい、と思わせてくださる方だ。
前日の訪問時も、いろいろ楽しい語りをしてくれた。

中之作港、船、大漁旗などに目を奪われていたら、目の前にさっきの90歳を越えた伯母宅の従兄がいた。
彼は、大会要項を見たら大会役員としても名前が挙がっていた。

知っている人たちに何人も会えたこの地域。
さすが、母の故郷である。
漁港の証、大漁旗がなびいていた。


さらに進むと、16km付近で、同じく新潟から参加したSさんが、「50foxさん!」と私の名前を呼んで声をかけてくれた。
Sさんは、私の水曜日の勤務先に勤めている。
去年の新潟シティマラソンのとき、彼は高橋尚子さんとともに走り、その隣でゴールしたそうだ。
私より20歳以上若い彼だから、2kmくらい前を行っていた。

江名港の灯台が見えた。
ここも港である。

そして、第1折り返し点となっている。
かなりたくさんの人がコース沿いに立って応援してくれていた。

にぎにぎしくパフォーマンスを行う子どもたちの反対側には、大漁旗がたくさん飾られていた。

折り返し点と言っても、まだここは、16.5km地点でしかない。
半分もいっていないのだから、まだまだ先は長いぞ、と自分を戒める。

折り返すと面白いのは、ここまでの間に自分と一緒に走って来た人たちが意外と後ろに下がったこと。
さっきまで並んで、あるいは前後で走っていた人たちなのに、私より後ろで今は走っているとわかる。
特に目立っていたのは、後ろにミニーちゃんの風船まで付けていた女性。
沿道の人々から「かわいい!」と言われていたけれども、さっきまで私の前にいたはずが、いつのまにかずいぶん後ろになってしまった。
彼女に限らず、仮装を楽しむランナーはかなりたくさんいた。
なす、ニンジン、牛、人造人間風、スパイダーマン、サムライ、…etc。
彼らを見ているとすごいと思う。
自分が走るだけでも大変なのに、仮装して周囲の人まで楽しませる。
それはいいとして、仮装するとそれだけ余計なものを身に付けることにもなり、走りにくかったり暑くなったりするはずだ。
なのに、それでも仮装ランナーを選ぶという、そのことには感心してしまう。

さて、再び中之作港を通り、もう一度従姉たちに手を振り、伯母たちに手を振り、これからこそが本番だからがんばらなくては、と決意を新たにした。
私自身は、たくさんの親類にあったせいか、少しだけペースが上がって走ったようだ。
⑬6分18秒、⑭6分07秒、⑮6分31秒、⑯6分02秒、⑰6分06秒

18㎞から19㎞地点の辺りでは、14㎞地点を過ぎてから歩いている人も多く見た。
すれ違うランナーたちがうんと少なくなった。
やがて「最終走者」やその人を見守る自転車や車が続いていた。
永崎海岸沿いの12.9km地点で第2関門があり、スタートから1時間50分たってストップをかけられた人たちもいたはずだった。
同じ場所が今度は20.1kmの第3関門となって、2時間50分で過ぎることができなければ、リタイアさせられる。
私は、それには50分近くあるはずと思い、いちおう余裕で通り過ぎた。

永崎海岸に別れを告げ、海沿いを走る。

この道には防潮堤がなかった。
本来、このように美しい海が見える風景が広がっていたはずだ、永崎海岸も…。

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母の故郷を駆ける~いわきサンシャインマラソン(1)

2018-02-12 22:24:44 | RUN
いわきサンシャインマラソン当日の朝を迎えた。
5時過ぎに目を覚まし、前夜のうちに準備をしたウエアを身に付けた。
6時から朝食会場が開くというので、10分前に行ってみたら、すでに20名ほどの人たちが並んでいた。
そして、その後も私の後ろにぞろぞろと30人近くが並んできた。
おお、このホテル、今日のマラソンのために宿泊している人ばかりだ。
こんな飾りで来客を迎えていた。

トイレが近くなるから、飲みたいコーヒーを我慢して朝食を済ませた。
部屋に戻って窓の外をのぞくと、遠くの山に朝日が当たっている。

心配された天気も、大丈夫だ。今日はよい天気になりそうだ。

ホテルを出て、駐車を指定された場所まで車を移動させる。
近い所だったので助かった。
シャトルバスが、あまり時間を待たせずに次々に来てくれる。

乗り込んでいる時に、担当になっている人が人数を数えながら乗せていた。
運転手と共に数を数え直したら、立っている人が出てしまった。
それを見て、「人数オーバーでは、発車できません。」と運転手がキッパリ言って、担当者と共に、座れない人を下ろすことにした。
それを見て、安全のためにと考えて行動している、このマラソンを支えている人たちの思い、信念を感じて好ましく思えた。

スタート会場のいわき陸上競技場に着くと、あちこちからのシャトルバスが次々に到着する。
男子更衣室は大体育館、女子は小体育館、とうまく分けてあった。
荷物預け場所のある広場は、この後、人でいっぱいになった。



スタート地点から整列先まで移動する。

私は、ここDブロック。
申告時間が、4時間半~5時間未満。
この位置から開会式セレモニーは、何にも見えない。
ゲストランナー、地元の誇り柏原竜二さんが、「ぼくは晴れ男なので、晴れるようにとここへ来ました。」と言っていた。
面白いのは、賞金。
大会新記録だと100万円、日本新記録だと1億円。
そう言われても、可能性が全くない人われわれには、絵空事。
それよりも、この青空が気持ちいい。

周囲に雪がなく、完全な青空。
これを見ただけでも、日本海側の冬と太平洋側の冬の違いを感じるが、こっちに来てきれいな青空を見られてよかったなあと思う。

スタートの合図が鳴る。
青空に色とりどりの風船が上がる。

Dブロックからなかなかスタートラインにはたどり着かない。

ようやく近づくと、そこで柏原竜二さんが、ランナーたちとハイタッチを交わしていた。

へへへ…。そこで私ももちろんハイタッチして4分強遅れていよいよスタート地点を過ぎ、レースが始まった。

スタート地点からロードまでは、一気に20mくらいを下る。
すると、すぐに何百mかの間に35mほどの標高を駆けあがる。
ここから7kmまでは、ゆるやかな下り道の鹿島街道だ。
きつくはないが、暑い。
早く5km地点の第1給水地点にならないかな、と思いながら走っていた。
日本海側にはない、冬の陽射しの暑さを厳しいと思った。

5kmの手前で、ゲストランナー柏原さんが後ろから走って来て、ひょうひょうとした雰囲気で追い抜いていった。
全員スタートしてから、最後尾から追いかけてきたのだろう。
すでに現役を引退している彼だが、さすがの走力だ。


私の今回の目標は、「最後まで走り切る」だ。
途中で歩いてしまうことを選びたくない。
だから、タイムで言うと、1kmを6分15秒くらいで走るペースを続けること。
前半に間違っても5分台にならないように気をつけること。
なるべく後半に余力を残したい、という考えだった。
日頃の練習では、20kmを走っても5分40秒/kmでいける自分だから、6分台は守りたいと考え、ずっと「楽に、楽に」と自分に言い聞かせていた。

ここまでの自分の時計での1kmあたりのタイムは①7分10秒、②6分52秒、③6分12秒、④6分14秒、⑤6分18秒、⑥6分17秒、⑦6分13秒、⑧6分28秒と、順調だ。
8kmで少し落ちたのは、上り坂だったから。
その上り坂を下って行く時、従姉の姿を見かけ、思わず寄って行った。
近くにはほかの従兄の姿もあった。
知っている人の姿はうれしいなあ、と思った。

この近くに第1関門御代坂交差点があり、コースは下神白・上神白の地区を通って永崎海岸方面に向かった。
林の陰には、少しだけ1月に降った残雪があった。
9km地点に第2給水所があった。
第1給水所のように、もう少し多く給水テーブルが置いてあるのかと思い、奥の方で取ろうとした。
ところが、いざ取ろうと思った時には、もうテーブルは終わっていた。
あらま!陽射しが強い日なのに、水を取りそこねるなんて…。
仕方がない。次の14km付近までがまんしよう…。
ただ、ふくらはぎサポーターは着用していたが、久々に右脚のふくらはぎの一部というか、すねの内側に軽い痛みを感じたりもしていた。
下り坂が多かったので、いつもと違って負担がかかったのかなと思いながら、負担のないように走ろうと心がけながら進んでいたのだった。
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とりあえず………完走!

2018-02-11 22:41:18 | RUN
いわきサンシャインマラソン。
とりあえず、完走しました!

とりあえず、というのは、後半ガタガタだったから。
中間地点までのタイムだと、4時間30分ペースだった。
しかし、25kmで小名浜港から第2折り返しへ向かうところで、もう余裕がなくなってしまった。

ラスト3kmなど、もう意地だけだった。
腕を振るしかできず、足は蹴る力がなくなっていた。

それでも、今回の記録は、4時間台。
4時間50分の手前でのゴールとなった。
それは、今までのベストタイムより1分程度遅かったけれども…。
今回は、苦しくても歩かなかった。

だから、とりあえず…

笑顔なのだ!

詳しくは明日以降、ということで。
今日は、終了後磐越道が吹雪いており、雪も積もっていて、怖かった。
大会参加と運転疲れのため、本日は、これにて。

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雪がないのはうらやましいなあ

2018-02-10 19:42:48 | 生き方
明日のマラソンのため、約4時間かけて磐越道からいわきに来た。
何より雪がないのがいい。
親類の伯父・伯母、従兄たち。みんな元気なのは何よりだった。

明日のコースは車で夕方走ってみた。
多少アップダウンが厳しいかも。
6時間の制限時間内にゴールにたどり着きたいなあ。
首周り、股関節あたりが少し痛みがあるががんばろうp(^-^)q
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降雪一段落…?

2018-02-09 22:06:52 | 新潟
ようやく雪が一段落したようで、今日の日中の積雪量は増えなかった。
明日は、気温が上がって夕方からは一時的に雨になるとのこと。
ただし、日曜日は夜半から雪に変わるらしい。

さて、いわき市の天気を見ると、当日朝は雨のもよう。
ひどくなければ開催は可能だろう、と思う。


かなりの量の雪が毎日降ったので、捨てた雪でわが家の庭もだいぶ高くなってきた。
日頃利用する、わが家に一番近い大通りからの入口は、雪のために乗り入れるには危険が大きくなり、車は回り道をして入るようにしている。
大きな通りも道幅が狭くなっているから、一本路地に入ると2台の車がすれ違うのも苦しくなっている。

明日夜に降る雨だけでは、とうてい消えそうにない。
それなのに、3連休の後半は、また雪だという。
困ったものだ。

まず、明日はとりあえず高速を使って、いわき市へ移動しよう。
明後日は、雨・風・雪はご遠慮願いたいのだが、果たしてどうなるだろう?
磐越道にたどり着くまでの道も悪路が予想される。
気をつけて、ゆとりをもって出かけよう。
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