COVID-19感染症が5類感染症に移行されてから、いつの間にか半年たった。
私には、もうそれから半年たったのか、という思いよりも、まだ半年しかたっていないのか、という思いの方が強い。
あれほど感染禍にさらされて悩んでいたというのに、人間なんて勝手なもので、今はそれを完全に過去のものとしている。
かくいう私も、その勝手な人間の一人だなのだが。
昨日は、新潟まで行って、ある会に出てきた。
その会は、ある程度の礼儀は必要だが、気のおけない仲間の集まりと言ってもよいものだ。
ほとんど同年代の者たちが集った会は、当然のごとく、懇親会付きであった。
この4年間というもの、この会に限らず、私は、飲み会には出たことがなかった。
この会は、以前は毎年1回開いていたものだったが、この感染症禍で、開催は4年ぶりであった。
この60代後半、高齢者仲間ばかりになった者たちにとって、4年というのは長い年月だったらしい。
自分もそうなのだが、4年ぶりに見る顔や姿は、ずいぶん老けたなあというのが第一印象だった。
その思いは、同じ場所にいると、やがて見慣れていったのではあるが。
高齢者の仲間入りをしても、以前と同じ仕事をまだ続けている者あり。
まったく別な仕事をしている者あり。
町内会長や団体の長や幹事をしたりして、いくつもの職名を抱えている者あり。
世話している孫の数を自慢する者あり。
堂々と、ガンになったとか、人工透析をしていると語った者たちもいた。
最もいじられていたのは、離婚し再婚した輩であった。
いずれも、4年前には聞かなかった現状であった。
5,6年前までは、みんな同じような生活をしていると感じていたのに、今は大きく変わったなあと感じた。
ただ、そんななかでも、それなりに生きがいを見出している人もいた。
日本中を、車中泊しながら回っている人。
日本百名山登山をやり終えた人。
新聞の文芸欄に投稿してよく作品が掲載されている人…などなど。
そういう人たちは、皆、生き生きしているように見えた。
やっぱり、齢を重ねても、生き生きと暮らしていきたいものだ。
いろいろな話を聞いたが、大体は、懇親会の席で聞いたのであった。
ところで、懇親会といえば要するに飲み会である。
大勢と飲む会なんて、やっぱり4年ぶり。
ほかの人からビールを注がれて飲む、なんていう飲み方をするのも、4年ぶりだったのだ。
家での一人飲みばかりだったから、注がれて飲むなんてことはなかった。
そのせいか、ビールしか飲まなかったし、そんなに飲んだ気もしなかったのだが、酔いが回るのも早かった。
加齢で少し酒に弱くなってきたこともあって、2時間後の懇親会が終わる頃には、久々に軽い頭痛を感じた。
以前はこんなことはなかったのにな、ちょっぴり悲しいぞ。
まあ、それはともかく、4年ぶりに大勢との飲み会に参加して、大いに元気をもらった。
これで感染したなんて言ったら、シャレにならないけどね。