3年余り前に感染症禍となってから、専門家の代表的な存在としてこの方の顔をよく見ていた。
尾身茂氏だ。
その方が、本を出した。
「1100日間の葛藤」というタイトルは、パンデミックにさらされた日々と責任の重さを、いかにも感じさせるものだ。
表紙のカバー裏には、次のような文章が載っていた。
2023年2月23日日曜日、令和最初の天皇誕生日は日差しの暖かな日だった。午後1時から新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバー10人ほどが急きょ「勉強会」を開いた。場所は東京・白金台にある東京大学医科学研究所の会議室であった。
「ルビコン川を渡りますか」。私はメンバー全員に聞いた。
皆の気持ちは固かった。作業を終えて会議室を出たときには、外は真っ暗闇で暴風が吹き始めていた。その後も続く、専門家たちの葛藤の始まりだった。
この「ルビコン川を渡る」という表現は、今まで聞いたことがなかった。
そして、「専門家たちの葛藤の始まり」とある。
なにやら危険な香りのする言葉に感じた。
「ルビコン川を渡る」という表現は、後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味する。 「一線を越える」とか「背水の陣を敷く」などともいう。 なんでも、古代ローマのカエサルの故事に関係しているのだという。
だから、その日大きな決断を下したことが、葛藤の始まりになったということだ。
どんな決断だったかというと、日本の場合、「専門家は、政治に口出ししない」というのが、暗黙のルールだったようだ。
従来、専門家は、政府から国がしようとしている政策について、聞かれたら意見を述べるだけというのが普通であった。
ところが、中国・武漢市で発生した謎の感染症に対して、「日本での感染拡大は時間の問題だ。このままでは対策が間に合わない」という抱いた危機感から、専門家の助言組織は、ルビコン川を渡る決意をし、対策の提言を出したというわけだ。
その専門家たちは、土日などに集まっては勉強会を開き、3年間で100本以上の対策の提言をしたのだった。
その代表的な存在だったのが、この著者尾身茂氏だ。
尾身氏の姿は、首相の会見や国会での答弁の際にもよく見かけたが、そんな大決断をしているようには見えなかった。
てっきり、政府の後ろ盾をもって話しているのかと思っていたが、本書を読んでみたら、違っていた。
専門家たちの提言は、ほとんど受け容れられていたのかと思ったら、そうではなかった。
ときには、政府の方から公式発表が先にあってから、専門家たちの会議に同意を迫るような
こともあったという。
緊急かつ重要な対策案を出しているのに、市民への影響が大きすぎるからと提言が認められずに感染が拡大したこともあったという。
そんなことから、対策分科会メンバーへのリスペクトが足りないと苦言を呈したことさえあったという。
新たな感染症で、疫学データが足りなかったり、社会経済活動と感染対策のバランスに悩んだりもしていた。
最もひどいのは、感染症禍で不満が高まった人からは「殺すぞ」という脅しまで受けていたことだ。
様々な提言の裏で、葛藤はますます高まったことだろう。
専門家集団が直面した壁として、
- 感染状況の分析やリスク評価のために必要な情報にアクセスできなかったという情報量の不足。
- 専門家の役割、政府との関係が不明確だった
- 専門家の仕事が属人的だった
- 専門家の提言の意図が伝わらなかった
などが挙げられていたが、今振り返ると、唯一絶対の正解はない対応が迫られる中で、よく様々な提言をし、矢面に立っていたものだと思う。
提言書を作成する際に留意していたことについては、次のことだ。
- 専門家同士でしっかりと議論をすること。
- 新型コロナ対策分科会やアドバイザリーボードなどの委員ではない専門家や感染症以外の分野の学会などとも連携すること。
- 「状況よりも半歩進んだ提言を出す」ということ。
これらの留意点を見ると、しっかりした責任感をもって行っていたと分かる。
本書は、あくまで尾身氏の側からしか語られていないので、価値観が分かれる今の社会では厳しい見方をする人もいることだろう。
2023年8月末をもって、新型コロナ対策分科会や基本的対処方針分科会が廃止された。
これによって、大任を卒業した尾身氏。
本当にお疲れさまでした。
3年間の毎回の会議の様子が綴られた本書を読み、思わずそんな労いの言葉をかけたくなった。