阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ガマガエルがいた!

2018年03月04日 | 花・草・木・生き物
茨城県北相馬郡(現取手市)に住んでいた時に庭に出てきたガマガエルに遭遇して以来の事だった。
マンションに入る手前の道路をのそりのそり歩いていた。


Wikipediaから一部引用。生態[編集]
低地から山地にある森林やその周辺の草原などに生息し、農耕地、公園、民家の庭などにも広く生息する[2][3]。本種は都市化の進行にも強い抵抗力を示し、東京の都心部や湾岸地域でも生息が確認されている。
夜行性で[5]、昼間は石や倒木の下などで休む[2]。ヤマカガシは本種の毒に耐性があるようで好んで捕食する[3]。ヤマカガシの頚部から分泌される毒は、本種の毒を貯蓄して利用していることが判明している[10]。
本種を含め、ヒキガエル類は水域依存性の極めて低い両生類である。成体は繁殖の際を除いて水域から離れたまま暮らしており、とりわけ夏季には夜間の雑木林の林床や庭先等を徘徊している姿がよくみられる。体表のイボや皺は空気中における皮膚呼吸の表面積を最大化するためと考えられている。また後述のように、繁殖に必要とする水域規模もまた、相対的に小さくて済むようになっている。
食性は動物食で、昆虫、ミミズなどを食べる[2][3]。
繁殖形態は卵生。繁殖期は地域変異が大きく南部および低地に分布する個体群は早く(屋久島では9月)、北部および高地に分布する個体群は遅くなる傾向があり(立山や鳥海山では7月)[4]。池沼、水たまり、水田などに長い紐状の卵塊に包まれた1,500-14,000個(基亜種6,000-14,000個、亜種アズマヒキガエル1,500-8,000個)の卵を産む[5]。多数個体が一定の水場に数日から1週間の極めて短期間に集まり繁殖する(ガマ合戦、蛙合戦)[4][5]。南部個体群は繁殖期が長期化する傾向があり、例として分布の南限である屋久島では日本で最も早い9月の産卵例、11月の幼生の発見例(10月に産卵したと推定されている)、1-3月の繁殖例、3-4月の産卵例がある[4]。繁殖期のオスは動く物に対して抱接しようとし、抱接の際にオスがメスを絞め殺してしまうこともある[5]。幼生は1~3か月で変態する[5]。
先着のオスが発する、またはオスがメスと思って上に乗っかると「グーグー(おれはオスだ。さっさと降りろ!)」のリリース・コールという特別な鳴き声によって弱いオスは離れ、通常1対1のペアで産卵が行われる[要出典]。背中のオスの抱きつく力が刺激になって産卵を誘発するといわれ、紐状の卵塊を長時間にわたって産み出すために、産卵後のメスは体力を使い果たして、産み落とした卵の側で休む事が多い[要出典]。
大柄な姿に反してヒキガエルの幼生期間は短く、仔ガエルに変態した時の体長はわずか5〜8mmである。これは、水の乏しい地域で短期間しか存在しない水たまり等でも繁殖できるよう進化がすすんだためと考えられている。
人間との関係[編集]
形態や有毒種であることからか忌み嫌われることもある。しかし民家の庭等に住みつくこともよくあり、人間の身近で生活する動物とも言える。一番身近な生物の一つ。
本種の皮膚から分泌される油汗をガマの油と称して薬用にしたとされる。しかし実際に外傷に対し薬として用いられたのは馬油や植物のガマの方であるとも言われているが、実際のところは不明である[11]。2016年現在に於いて種村製薬から発売されている商品は、その配合も含めて第二次世界大戦後に作られた物である[12]。 ただし、「ガマの油」とは別に、ヒキガエルの耳下腺分泌物には薬効があり、それを小麦粉で練ったものは蟾酥といい[13]、強心や抗炎症などに用いた[14]。
文学・民俗の中のヒキガエルについてはヒキガエルの文化を参照のこと。

コメント
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