阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

台湾高雄、ニューデリー、パリで経験した支払いや両替時の金額確認の重要性。     昭和50年代の海外あちこち記  その6  

2024年05月28日 | 昭和50年代の海外あちこち記


1、台湾で(中国本土も同じですが)お客さんの招宴を受けた翌日は、必ずこちらが同じメンバーを招待して宴会をします。

紹興酒で乾杯、乾杯の連続でそれほど酒に強くないホスト役の上司も勘定の時はフラフラです。

しかし驚いたのは、このぐでんぐでんに酔った課長がたくさんオーダーした料理の勘定書の長い長い明細書を一品一品

身体をゆらゆらさせながら、注文していない料理まで請求されていないかどうかを チエックしていきます。

そしてレジのおばさんにこれは頼んでないよと何品か確認していきます。

 大声でもめながらも おばさんがボーイに聞いてオーダーしてなかった料理を消して再集計しました。

お客さんが紹介してくれた一流の店なので、ひやひやして そばについていました。

後で上司に「いつもこうやらんといかんのですか?」と聞くと、

外国ではこれも当たり前、時々注文もしてないのに紛れ込ませて請求されることがある。

日本人はいつもノーチエックで支払うと思われると、この後に来る日本人がなめられて迷惑するから必ずやってください」 と言われました。

 この勘定書の明細表の一品一品のチエックは いやあホンとになかなか慣れませんでした、普通の日本の習慣が身に付いたボクにとっては。

2、インドのニューデリーのホテルの両替窓口で円をルピーに換えました。

その場で数えるともらったルピーが掲示されているレートで計算した事前に想定した金額と違いました。

金額が合わないというと、平然と机の下から差額相当分を出して来ました。素早くしかも顔色一つ変えずに。

 翌日、日本の農協VIPの使節団が同じホテルに泊り,同じ窓口でたくさんの人が 両替し誰もチエックしなかったため、

その場は誤魔化され後で気がつき ホテルの責任者ともめていました。しかしチエックしない方が悪いという考えには日本人はなかなか慣れませんね。

3、パリの銀行でフランに両替しました。窓口の女性はキュートなパリジェンヌです。

やはり渡された金が数えると足らず、文句を言うと机の下からこれまた素早く平然と出してきました。

手品みたいに数枚抜くようです。ぼんぼん顔のボクだからなのか、覚束ない英語のせいなのか、日本人はお札をその場で数えないと知られているのか・・

しかし上司の台湾でのOJT(現場教育・指導)のおかげで、必ずその場でお金を数える習慣が身に付いていたので、海外のどこの国でも一度も実害にはあいませんでした。

 (アメリカのあちこちのホテルでは 当時よく国際電話代という印字が請求書にあって 支払いの時にこんな電話はしていないから項目と金額を消せ、

いやかけたとか不愉快なやりとりをしたものだ。)

 ボクが子どものころ住んでいた町に、時々外国の貨物船がつき、外国人船員が食料品を買いに近所の店に来ていました。

そこの店主は船員相手には2、3倍ふっかけて売ると評判で、皆の噂になっていました。

人間の持つ「せこさや狡さ」は11面観音の一面ですが、いずこの国の人間も変わりませんね。

(画像はいずれもネットから借用。当時の写真ではありません。)

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 菊池雄星投手がアメリカメデ... | トップ | 東日本大震災が起こった翌年... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
文化 (学習)
2024-05-28 14:56:01
世界は広いです。
国、人、文化、皆んな違って、みんなよいかと???
なるほど、面白く認識しました。
返信する

コメントを投稿

昭和50年代の海外あちこち記」カテゴリの最新記事