私には曽野綾子さんとか安倍元首相とか、幼稚園から大学まで同じ学校にいて卒業した家の子は
たまたま生まれた“”ええし“”(関西弁で上流階級)の家の環境を当然のように思い、
“”我は特別で選ばれた人である感“”にあふれているという偏見がありますが、曽野さんはそんな環境の中でも驕らずに
周囲を理解し、自分の頭で物事を考えて 生きた人なのかと思いました。
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「週刊新潮 墓碑銘 曽野綾子さん」から 週刊新潮3月20日号
里見清一医師がかって曽野綾子さんから聞いた言葉を抜き書き。
「実に にこやかに、また穏やかにですが、人が思っても言えないことをはっきり口にされていました。
“人間の命がどんどん延びたらどうなるか、推定しなければいけなかった。医学会は何を怠けていらしたのか。”
“若い人を守るために、人間には生きる権利もあるけど 死ぬ義務もある。 ”」
「先生はかたくなな教条主義者ではなかった。妊娠中絶について質問した時に ”いろんな事情があって仕方がない場合もあるでしょう。
ただ、子供の命を奪ったという事実を忘れずに、ずっと背負って生きていかなければなりません、”とおっしゃった。
情は情として理は理として両立させ、一体となった方でした」
「“年寄りの義務は早く死ぬこと”とまでおっしゃっていた先生は93歳という長寿を全うされた。その意味では不本意な晩年だったかもしれません。
それでも“思い通りにならないのも人生”と恬淡と受け入れておられたことでしょう」