阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

葛飾柴又 その1。 帝釈天と商店街と    もう寅さんが帰ってこない町は何となく寂しかった。

2018年06月11日 | 東京あちこち

堀切菖蒲園を鑑賞した一行は駅に戻り、高砂駅で金町線に乗り換えて柴又駅で下車した。



このホームでさくらは何度も数えきれないほど、上野へ出てそこから日本各地を放浪する兄を涙目で見送った。
{寅「じゃあなさくら」さくら「あのね、お兄ちゃん。辛いことがあったら、いつでも帰っておいでね。」
寅「そのことだけどよ、そんな考えだから俺はいつまでも一人前に……。故郷ってやつはよ、故郷ってやつはよ」}
第6作『男はつらいよ純情篇』のラストシーンから。

妹さくらのモニュメントもこの3月に建てられていた。

駅を出ると迷うことなく道は帝釈天参道に通じている。









今回初めて柴又帝釈天のお寺が日蓮宗のお寺だということを知った。笠智衆演じる御前様は日蓮宗の高僧だったのだ。







阿智胡地亭は40年前ほど前に社宅があった千葉県南柏から3歳の長女を連れて一家3人で柴又に来た。よちよち歩きの長女はそのとき飽きずにいつまでも帝釈天の境内の小石を拾っては積んで遊んだ。余談ながら後年彼女の当時三歳ほどの長女を連れてあいかたと三人で亀戸天神をお参りしたら、境内で孫が全く同じ遊びを倦むことなく続けたのに驚いた。



門の陰から佐藤蛾次郎演ずる源公が箒を持って現れないか無意識に探している自分に気が付いた。



大きな庭園があるのを初めて知った。希望者は有料で拝観できる。




私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。
性は車、名は寅次郎、人呼んで風天の寅と発します。
皆様共々ネオン・ジャズ高鳴る大東京に仮の住居罷りあります。
不思議な縁もちましてたった一人の妹のために粉骨砕身、
売に励もうと思います。西へ行きましても、東へ行きましても、
とかく土地土地のお兄さんお姉さんに御厄介かけがちなる
若造でござんす。
 以後、見苦しき面体お見知りおかれまして今日後万端
引き立って宜しく御頼ん申します。



コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 逸香坊で夕食 | トップ | またまた四日市の諏訪神社ネ... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
柴又 (愛読者)
2018-06-11 13:06:46
楽しいガイドありがとうございました。
周りは寅さんファンが多いです。
さくらちゃんは、健在ですよね。
返信する

コメントを投稿

東京あちこち」カテゴリの最新記事