奄美 海風blog

写真。植物や本 ネットで映画感想。相撲見てツイート
04年4月~14年11月ブログ人
トップへはタイトルをクリック

『追想 島尾敏雄』&カケロマ

2006年06月08日 | 島尾敏雄

060608shimaotoshio1

↑大きい写真で見る

どしゃ降りの雨で、写真が撮れない日は、室内で撮ればよい。

といってもこれは、以前撮った写真です。

『追想 島尾敏雄』2005年12月25日発行

    amazon で見る

作家 島尾敏雄は第二次世界大戦末期の10ヶ月と、1955年から1975年までの約20年間、奄美大島に住みました。

1986年11月12日鹿児島市で,69歳で亡くなってから20年が経とうとしています。

この本には、奄美、沖縄、鹿児島を中心に、島尾敏雄に縁の深い方々から寄せられたエピソードなどを中心に43編が収められています。

身近で良く知っている方や、有名な方の、初めてきく興味深い話が数多く書かれています。なつかしい写真も、いっぱい載っているので買ってよかったです。

島尾敏雄が館長をつとめた、県立図書館奄美分館(名瀬名瀬小俣町)には

「病める葦も折らず
けぶる灯心も消さない」島尾敏雄

と書かれた文学碑があります。

旧約聖書 イザヤ書

42の2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

42の3 傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。

42の4 暗くなることも、傷つき果てることもないこの地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。

加計呂麻島の文学碑は、観光ガイドブックにも載っています。

この本はまだ名瀬市内の書店の店頭に並んでいると思います。
ぶらりと訪れた名瀬の小さな書店で、買ってみるのも格別かも。本の写真入りでブログに旅行記を書くとか。

名瀬市内の新刊書店は、数年前まで十数軒あったのですが、ここ2、3年で
半数ほどに減ってしまいました。

大型書店やコンビニの出現、ネット通販の普及の影響でしょうか。

========突然ですが、これを書いている途中、お客さんが、

「おじさん、カケロマの宿、どっか知らない?」
「あー、お客さんから、いくつか名前は聞くけど・・・、知っているわけじゃないから・・・これ、あげようか?」

といって、あげたパンフレットに載っている加計呂麻島の宿泊施設です。

ペンションタートルビーチ加計呂麻
マリンブルーかけろま
来々夏ハウス
ダイビング&ペンションRIKI
ペンションハウスINカケロマ
ペンション芝
ペンションマリンビレッジ
民宿池田
民宿INAハウス
民宿おりた
民宿かけろま
民宿きゅら島
民宿花富
民宿南龍
民宿はまゆう
民宿ゆきむら
民宿5マイル

合計17施設、宿泊費は、2食付で、4500円(一軒)から8000円。
部屋代のみ(2000円~3500円)が一軒

加計呂麻島、請島、与路島は、鹿児島県瀬戸内町ですので、
YAHOO電話帳のこちらなどで、住所と電話番号を調べます。
詳しいことは、直接お尋ね下さい。

本を見せて 「カケロマ行ったら、この人の文学碑とか、見てきたらいいよ」

「誰すか、その人、有名?」
「ああ、おじさんの場合、名前くらいは知らないと、はずかしいくらいには、有名さ」
「ふうん」

奄美に行くことになって、ネットでいろいろ検索してみた人は「ああ、その人どっかで、見たことありますよ」という。

060608shimaotoshio2 島尾敏雄『日の移ろい』、『続 日の移ろい』

島尾敏雄が名瀬に住んでいた頃の昭和47年(1972年)4月1日から翌年の11月1日までの日記が本になっている。

おじさんがこんな本をヒジョウにおもしろく読めるのは、当時の名瀬の様子がよく書かれているのと、ブログを書くようになったからか。

昭和47年の7月3日(中公文庫65ページ)の日記がおもしろい。分量も多い。

島尾敏雄は音に敏感な人だったようだ。

三日間の福岡の旅から帰った島尾敏雄は名瀬の街のいろいろな音が気にかかるようになった。

勤めていた図書館近の筋向いの板金塗装工場から、流行歌が鳴り出します。

「その音響は意味がついているから」もう、がまんなりません。まるで拷問をうけているような気分になります。
細かい描写がつづき、島尾敏雄は意を決して板金塗装工場の若者に声をかけます。

「にいさん、にいさん」

・・・・・・・・・・・・長くなりそうなので、》》続く・・・・明日からワ-ルドカップなのに