奄美に、全山紅葉はないものの、今、奄美の杜を車で走ると、紅葉が目立ちます。
ヒカン桜も、青葉から紅葉まで、さまざまですが、
そのほか、ハゼノキ、サルスベリ、ゴンズイ、その他、名前を知らない広葉樹の紅葉、落葉が目立つ季節です。
その季節が終わろうとしている今、ヒカン桜が咲き出しました。
山では今、もっといいカメラがあればな、もっといいカメラで撮ってもらいたいと思う瞬間に、よく出会います。
本茶峠は、そろそろ、すごいカメラを持った人に出会う季節になりました。
↑↓ 秋名の早咲きヒカン桜 12/10の開花発見から約一月。
いま満開。まわりの木も目覚めだした。
いい写真を撮ろうと思ったら、脚立が必要ということがわかった、反省。
ジャンプなどしても、ぶれるだけさ。オーチャクはいけない。
↑ 峠を名瀬から大勝方面へ100mほど下ったところ。
田中一村が歩いた付近は、まだ青葉も目立つ
名瀬の新刊書店の数は、数年前の十数店から、半数ほどに激減したのではないだろうか。
なので、本の購入は、なるべく通販ではなく、名瀬の書店で買うことにしている。
きょうはTsutaya に行くついでに、大型ディスカウントスーパー、ビックツーでキリン「のどごし生」の買い置きをしておこうと考えた。
ビックツー行きは、そのついでに、すこし遠回りして秋名の桜を見ようと考えたからだ。
しかし長雲峠を超え、ビックツーに着いたら、まだ開店前だった(あと10分)待てない。
しかたがないので、ビールは名瀬のディスカウント 酒のベリーマッチで買うことにして、本茶峠の桜を観察してから、ふたたびTsutaya に寄った。急いで4冊を選んで買った。
かくして、もうひとつの名瀬のスーパーセンターには、行く回数が減ってしまう、桜の季節の今日この頃です。
週に一回くらいづつ、読んだ本の感想記事を書く計画でしたが、
それもなかなかできなくなった桜の季節の今日この頃です。
初場所が始まるとさらに忙しい。
やはり奄美は自然の記事が・・・一番あれです。感想文記事は断念。
大型ディスカウントスーパー、ビックツーから、本茶峠へ。
大勝から、車で坂道を上りながら、一村の人生と芸術について、考えた。
絢爛豪華な語彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描いた
夏目漱石『草枕』の主人公は、30歳の洋画家である。
西欧文学の現実主義の対極に位置する東洋趣味を高唱する。
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
の冒頭は有名だ。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
このあとの芸術論がすこぶるおもしろい。
きょう本茶峠の帰りに偶然手にした『草枕』
田中一村の人生と芸術について考えるため、何十年ぶりかに、
つづけて読む。
中略
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
漱石の時代から何年がすぎたのだろうか(草枕は1906年の発表)
絢爛豪華な語彙がつづくが、奄美に杜にいても
わかりやすく納得できるところはここだ。↓坂道を運転しながら考えてみよう。
詩人に憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの雲雀(ひばり)を聞く心持になれば微塵(みじん)の苦(く)もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍(おど)るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物(けいぶつ)に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥(くたび)れて、旨(うま)いものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅(ぷく)の画(え)として観(み)、一巻(かん)の詩として読むからである。画(が)であり詩である以上は地面(じめん)を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲(ひともう)けする了見(りょうけん)も起らぬ。ただこの景色が――腹の足(た)しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴(ともな)わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊(たっ)とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。インターネットの図書館 青空文庫で 「草枕」 全文を読む