『愛加那と西郷』(小学館文庫) 文庫 – 2016/6/7
植松 三十里 (著)
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文庫: 333ページ
出版社: 小学館 (2016/6/7)
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
薩摩藩から奄美大島に送られた西郷隆盛。不遇な西郷を世話することになったのは、島の名家の娘・愛加那だった。二人は当初、文化の違いから反発し合うが、やがて理解し合い、愛加那は西郷の“島妻”となる。二人の子にも恵まれるが、あるとき西郷が藩から呼び出しを受ける。愛加那は西郷を、国のために活躍する男と信じて見送る。そして二人の子も、広い世界に羽ばたいて欲しいと思い、西郷の元へ送り出す。しかし、時代の激動が西郷と子を襲い、愛加那は島人たちに後ろ指をさされることに…。生涯西郷を信じた女性の、切ない恋愛歴史小説。
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先週かな、名瀬ツタヤの入り口付近で偶然見つけた。まだ新しい。
物語の終盤、それまでの愛加那の西郷への信頼が、おおきく揺らぐ。(ここからが圧巻だった)
それは、こころのどこかに潜んでいた不安だったのかもしれない。それは読者も共有したものだろう。
父西郷とともに西南戦争に従軍し負傷した、愛息菊次郎が、右ひざ下を切断されて龍郷の船着き場に帰ってきた。
このころ上鹿していた島の砂糖自由売買の陳情団も、従軍させられ、おもわぬ戦死者を出し
生き残ったものたちも帰島の途中、海難事故で多数が命を失う。陳情団55名のうち、帰島者は半数以下の23人。陳情は西郷側には相手にされず、新政府側がこころよく聞いてくれたのだった。
陳情団の惨状はすでに愛加那は目の当たりにしていた。
すでに、村人たちも、逆賊となった西郷、そして愛加那をも白眼視していたのだった。
愛加那とともにいた読者の気持ちも揺らぐ。
たたみかけるように描写はつづく。
p275愛加那は息をのんだ。
うらぶれた洋服姿で、両側に水夫たちの肩を借り、完全に片足を引きずっている。
杖はもっているものの、一人ではたってもいられない様子だった。
まさか、あれが菊次郎なのか。想像だにしなかった姿だった。
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「母上、不詳の息子が帰りました」
肩頬をゆるめて、自嘲的に笑う。
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かつて西郷は、この船着き場に二度、足をおろした。
どちらの時も、島津斉彬から拝領の紋付に身を固め、堂々たる様子だった。
その息子がよもや、こんな格好で・・・。p277
西郷が鹿児島で日本一の男を夫として見つけてやろうと約束した菊草の近況も、追い打ちをかける。
p283「母上は考えたこともないでしょう。菊草が嫁にやられた相手が、どんな奴なのか」
「大山誠之助。あいつは酒乱だ。兄貴の大山巌が金持ちなのをいいことに、借金をしまくり、好き放題やってるんだ」
愛加那には信じがたい話だった。p283
のこり少ない紙数で、菊次郎も菊草も(そして黒糖地獄に苦しむ奄美も)なんとか西郷の約束したような、
行く末をみせるのだが。
本書の最初のページと最後のページには、「針突」(はずき 表紙の絵 愛加那の左手の甲)が登場し
それは物語の要所要所でたびたび出てくる。
それは、かつて、奄美の女たちが初潮をみた証に右手の甲に刺青をほり、婚約が調った段階で左手にほるという風習で
このものがたりでは、本土の「お歯黒」と対比されている。
互いに見慣れない人々にとっては奇異で醜悪なものであり遅れた奇習と見なされ、
西郷も初めてあった愛加那の針突きをみて忌避感情をあらわにする。
愛加那は、鹿児島にやった菊草にはそれを許さなかった。
ものがたりでは、菊草が丸田南里に恋心をいだき針突きをほろうとしたのだが。
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
丸田南里 まるた-なんり
1851-1886 明治時代の社会運動家。
嘉永(かえい)4年生まれ。幕末に長崎の商人グラバーにさそわれイギリスに密航し,明治8年郷里の鹿児島県奄美(あまみ)大島にかえる。県の保護下にある鹿児島商人を中心とする大島商会の砂糖売買独占に反対して砂糖勝手売買運動をおこし(勝手世騒動),奄美の解放に貢献した。明治19年4月19日死去。36歳。
愛加那は針突によって自らを島に縛り付け、西郷を追わず、
結局はしあわせに西郷の理想の実現を追うことができたのかもしれない。
舞台は、奄美(龍郷町)を離れることなく、愛加那は、わずかに名瀬と徳之島に行っただけだった。この視線も針突とともに効果的だったと思う。
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本書は、2005年6月に講談社から刊行された『黍の花ゆれる』を改題し、加筆改稿して文庫化したものです。