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『真田太平記』 11 関ケ原 池波正太郎 1985

2016年08月16日 | 本と雑誌

 

 その時歴史が動いた 「関ヶ原の戦い 決死の敵中突破 戦国の猛将 島津義弘」 (2002年) https://youtu.be/bn0NOJvxLpo

 https://youtu.be/bn0NOJvxLpo その時歴史が動いた 「関ヶ原の戦い 決死の敵中突破 戦国の猛将 島津義弘」 (2002年)

 

 

 

 ↑ 保証がないかぎり、みだりに東軍の手にゆだねてはならなぬと、養子の毛利秀元は反対したが、輝元は、東軍諸将の誓約に疑念をいだいては家康の怒りを買うことになりはすまいか、とおそれた。 p134

家康は大坂入場後、井伊直政をもって輝元に「薩摩攻めの先陣をつとめられたい」一方的に要求する。

毛利家の本拠であった安芸の国広島の新しい城主となったのは大坂城接収に奔走した福島正則(秀吉子飼い)であった。がこれは正則不運の第一歩であった。

 

 

 本田→訂正→本多

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8/16日の大河ドラマ「真田丸」は1598年(慶応3)の第32回「応酬」だった。

秀吉が死に有力大名らによる政権運営が始まり、家康と三成は自陣の大名を増やそうと互いに宴を催すなど躍起になる。犬猿の仲といわれる文治派石田三成と武断派加藤清正の、そうともいえない仲をうかがわせる演出がおもしろい。