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『チェンバレンの琉球・沖縄発見』 単行本(ソフトカバー) – 2016/11/11

2017年03月03日 | 本と雑誌

『チェンバレンの琉球・沖縄発見』 単行本(ソフトカバー)  – 2016/11/11

山口 栄鉄 (著)

バジル・ホール。チェンバレンが、神戸より名瀬経由で那覇に着いたのは明治26(1893)年4月末、名瀬には宿泊したのだろうか。文献のみ知識だけは、書けないような内容でもあり、また旅の経由地の通りすがりの旅人の見聞だけとは思えないような記述もある。

長い修飾語の多い翻訳調で読む、我が街の、それも明治時代の外国人による観察の記録は、もってまわったようでもあり、また思いもよらない視点でズバリ本質をついているようでもあって、つい引き込まれてしまいそうだ。名瀬に関する記述が少ないのは当然だが、沖縄に関する幅広い記述の中から奄美を考えるうえで新鮮な刺激があった。現在の沖縄の置かれている現状を考えるためのきわめて有効なヒントも垣間見える。歴史、民俗、民族、島人の風俗習慣、けっこう盛りだくさんの内容がこの一冊で読める。ナゼ今までなかった?のだろう。

名瀬のようすをp57「そこは日本風のたたずまいをみせ、活気のない小じんまりとした所で、一軒ある旅館が自慢である。本質的には琉球語の性質を有する土地の言語はこれまで薩摩方言に圧倒され、話者が町の者であるか地方出であるかによって混成と消滅への様々な過程を堅持している一種の俚諺となっている」P57と述べている。


p170侵略民族の到来例えば日琉両言語の姉妹関係は、そもそも日本語というものが最後に日本国へ到来した征服民族の言語であって、従来信じられてきたごとく(それは、それなりに理由のあることではあったが)それ以前、中央大和地方の一部に定着していた先住民族の言葉ではない、ということを断固として証するものではなかろうか。
逆にいえば、かつて、フランク民族やノルマン民族が被征服地の辺境ラテン語を用い始め、蒙古民族や満州民族がシナ語を採り、さらに歴史の伝える同様な諸事実にみるごとき、比較的少数民族によって用いられはじめたところの、そのような言語ではない、ということである。日本語の場合は、むしろ先住民族の言語を淘汰し、ついには消滅するに至らしめた、かのアングロサクソンの例に類似すると言わねばならない。それでなければ、日琉両語間に脈打つ関連性は、説明がつかぬであろう。

 

 

amazon 登録情報

単行本(ソフトカバー): 180ページ
出版社: 芙蓉書房出版 (2016/11/11)
言語: 日本語


amazon 内容紹介

半世紀にわたってチェンバレン研究を専門分野としてきた著者が、「チェンバレンの日本学」をわかりやすく解説。チェンバレンが書いた琉球見聞録「琉球~その島と人々」を読みやすいように翻訳して収録する。

内容(「BOOK」データベースより)

明治期の日本に滞在し最も有名な日本研究家として知られるチェンバレンの琉球研究のエッセンス。