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『未完の西郷隆盛』: 日本人はなぜ論じ続けるのか– 単行本 2017/12/22

2018年05月09日 | 本と雑誌

『未完の西郷隆盛』: 日本人はなぜ論じ続けるのか– 単行本 2017/12/22
先崎 彰容 (著)

そろそろ大河ドラマでは「西郷どん」が菊池源吾」と名を変えて奄美大島へやって来る展開だった。名瀬の書店の西郷どんコーナーも盛況のようだが、本書はその多くの本とはちがった。書店で見つかりそうにはなく、あきらめていたことろ偶然にも別の調べものでいった図書館で見つけた。この著者の本との図書館での偶然の出会いはこれで※二度目だ。

※ 違和感の正体 (新潮新書) 新書 ? 2016/5/13 先崎 彰容 

2016年10月24日 | 本と雑誌

本書は思想史だが、西郷の言行を追う伝記が主の西郷本よりむしろ読みやすく、おもしろく読めた。

↑字数の都合から、食わず嫌いと言いましたが、まあ西郷読みの西郷知らずというか、
何冊よんでも、ナゼそんなに西郷が読まれるのか、分からず、だったという気もしていた。たぶん多くの人がいだく、そのなぞは本書で・・・。

われわれの時代はマルクスやニーチェなど、難しい哲学も読まなけれらならなかった(今年はマルクス生誕200年ということで、中国がドイツに新マルクス像を寄贈したとのニュースもきのう聞いた)し、それに奄美大島では意外?に西郷熱は上がらないでいたのである。さて、西郷不人気のわけは。黒糖地獄ばかりが強調される奄美の歴史。奄美大島に来た当初、西郷が島の人たちを軽蔑する手紙、廃藩置県のころ、大蔵省を出し抜いて商社を作り利益を独占し、その利益を鹿児島士族救済のために使おうとする西郷が桂久武に宛てた手紙(改定名瀬市誌1巻p559)、明治8年砂糖売買の自由を求め鹿児島県に直訴に行った一団を投獄、折からの西南戦争に従軍させられた話など、よく奄美の歴史の本に登場するのだった。本書は若い西郷の、そのへんのことにも触れている。

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あつかう事柄は単純ではないが、わかりやすい章立ては以下のとおり。

”はじめに” は福沢諭吉と柳田國男が登場する。

第1章 情報革命――福澤諭吉『丁丑公論』と西南戦争
成島柳北と福地源一郎
第2章 ルソー―――中江兆民『民約訳解』と政治的自由
第3章 アジア―――頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム
第4章 天皇――――橋川文三『西郷隆盛紀行』とヤポネシア論
第5章 戦争――――江藤淳『南洲残影』と二つの敗戦
最終章 未完――――司馬遼太郎『翔ぶが如く』の問い

それぞれ章の間には、流れがあって説得的で一気に読める。
もう一度くらいは熟読しなければいけないが、そのうちの島に大いに関係する第3章 アジア―頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム~第4章 天皇―橋川文三『西郷隆盛紀行』とヤポネシア論 について簡単にメモしておこう。

昭和50年(1975年)西郷伝の執筆を依頼された橋川は、西郷の島流し時代を描けば、類書とは異なる評伝を書けるのではないかとの思いを抱く。p162

奄美大島、徳之島、沖永良部島での西郷に注目して三島由紀夫とは違う西郷像を探ろうと、橋川文三は島を訪れ島尾敏雄と対談している。

橋川は、西郷論を構想するなかで、ヤポネシア論=南島時代の西郷がもつ可能性を発見したのである。P172

p171西郷は縄文文化が濃密に残る南島で、都合五年にわたる期間そ過ごした。しかも年齢は、三〇代半ばの壮年期である。南島時代が西郷の政治観だけでなく、その根底にある人生観・死生感にまで、何か決定的な影響を与えたと考える方が、むしろ自然であろう。島尾自身がヤポネシアによってアイデンティティを揺さぶられたように、西郷もまた薩摩藩士としての存在意義に直面したのではないかP171 

それまで中央政治の前線で各地を歩き多くの知識人との交流していた経験とこの島での体験の落差はあまりに大きい。想像力の働かせどころだだろう。

このあと、あの『共同幻想論』の吉本隆明が登場し「天皇と南島」をめぐる理論が紹介され、吉本の問いは、島尾と橋川の南東論に接続される。

そして前章(3章=では敬天愛人の含み持つ「毒」つまり自己絶対化への危険の指摘に驚いた。流れの起承転結で言えば転にあたる部分だろうか。孫文や植木枝盛らが登場し、論は深まった) 第3章 アジア―――頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム)で登場した三島由紀夫、川端康成との天皇観との対比。そして最後に彼らの共通点を探るなかで、今に続く天皇制への違和感に「西郷と南東体験」がせりだしてくるという具合に流れはつづく。

p182三島にとっての西郷とは、陽明学徒に他ならなかった。他の論者にとって西郷とは、むしろ「菊池源吾」と名を変えて歴史の表舞台から消えた時期に、反近代のあらたな可能性を発見する存在だった。天皇を奪還するのか、超克するのか いずれの立場にたつにせよ、反近代思いを西郷に仮託する姿勢において、共通する面があったということに注目しておきたい。p182

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日本人が繰り返す西郷思慕の「なぜ」答えることができない司馬のリアリズムは西郷の何に敗れたのだろうかp246その謎を解くには第5章 戦争――江藤淳『南洲残影』と二つの敗戦 を振り返るのよいと著者はいう。とにかく西郷は〇×や一筋縄ではいかないのだ。西郷がめざした「国のかたち」とは?西郷はいつまでも「未完」なのか。

流れはまっすぐだけではない。やはり戻るべきは江藤淳『南洲残影』なのかと思い、戻った。

江藤淳は文芸評論家なのだった。「政治家西郷」をこえた「人間西郷」がそこにあった。しかしp236西郷が死とともに差し出した課題は、未完のまま私たちのなかに置き去りにされている。p236 ここは結論めくが、まだまだ流れは終わりではない。歴史書ではわからない西郷がそこにあるようで読んでみたくなった『南洲残影』。

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以下は余談だが、『南洲残影』に登場する音楽

勝海舟の「城山」、落合直文作詞「孝女白菊の歌」、外山正一作詞「抜刀隊」、童謡「一かけ二かけて」はいずれもyoutube できくことができる。

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西郷と奄美大島で親交があった重野安繹による西郷に対する辛口評価は、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」に紹介されているようだが「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。 それで西南の役などが起こるのである」などで検索できるが、まあ引用によって肝心な点(西郷はその自分の欠点を自覚していた)が省略されたり・・・想像を子細にめぐらせば、単純に〇×で評価するのもどうかと思う。

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