7/29日放送「西郷(せご)どん」第28話「勝と龍馬」
平均視聴率が11・1%だった。
過去最低の第16話「斉彬の遺言」11・1%に並んでしまった。
平均視聴率が11・1%だった。
過去最低の第16話「斉彬の遺言」11・1%に並んでしまった。
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後半あと15分ほどのところからしか録画できず、「勝と龍馬」との面会の場面は見逃した。
第一次長州成敗の場面であろうか、征長総督の徳川慶勝(よしかつ尾張藩前々藩主)が、陣羽織姿で、自らが征長軍全権を委任し参謀格となった西郷に、よくやったとかいう場面から録画されていた。
これは二人の間で事前に合意(この時西郷は、慶勝から脇差一刀を与えられている)のあった長州藩降伏のプロセスがうまくいったことに対するねぎらいの言葉であったであろうか。
しかし、西郷のこの長州に対する寛大な処置は慶喜の怒りを買う。
この西郷と慶喜の対面の場面を、今週の一場面にしよう。
「腹を切れ」怒りのあまり、慶喜は牛男、西郷に、そう言い放ってしまった。
とんでもない話だが、
これに、たいし、西郷もとんでもない行動に出た。
西郷の凄みにおののく慶喜の股の間の畳に、牛男が、刀痕も鮮やかに短刀を突き刺してしまったのであった。
次期将軍と目される慶喜に対し、あわや刃傷沙汰か?
これは、無位無官の国父久光に対し「田舎者」とののしった、あの話とは、ちと違う。
島帰り(沖永良部)の西郷が、少し大人になっていたのは、7/15日放送の「西郷、京へ」(視聴率12.2%)であった。
王様に向かって、裸と言ってのける子供のような西郷の純な気持ち、それはかつて慶喜が「俺にくれ」といった「熱き心」でもあったのだが、おそろしい熱い心を見てしまい、ここで慶喜は西郷から絶縁を宣言されてしまう。
「西郷の短刀」と言えば思い出すのは、今から約4年後の、あの「小御所会議」。
大政奉還した徳川慶喜の官職の辞職と徳川家領の削封が決定され(徳川慶喜の辞官納地)
「王政復古クーデター」と呼ばれることにもなったあの会議でのこと、
紛糾で休憩に入り、
紛糾で休憩に入り、
西郷が大久保のに漏らした「短刀一本あれば片づく」の一言が、倒幕派の計画通りに決議されることになり歴史を動かした一言となったのであった。また西郷のこの一言は、西郷に対し否定的に「武断派」のレッテルを貼る論拠のひとつのエピソードにもなっている。
と、話はすこし飛んだが、慶喜のまたぐらに刺したこの短刀は、
6/3日放送の第21回(「別れの唄」平均視聴率は12.0%)で、
西郷を説得するため、あろうことか奄美大島まで大久保がやってきて
愛かなに託したあの短刀なのではなかろうか。
6/3日放送の第21回(「別れの唄」平均視聴率は12.0%)で、
西郷を説得するため、あろうことか奄美大島まで大久保がやってきて
愛かなに託したあの短刀なのではなかろうか。
それは、たしか斉彬から「なんにでも命を懸けるものではない」とかいっていただいたのでななかったか。
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