奄美 海風blog

写真。植物や本 ネットで映画感想。相撲見てツイート
04年4月~14年11月ブログ人
トップへはタイトルをクリック

『なぜ花は匂うのか』牧野富太郎(著)STANDARD BOOKS (平凡社)ハードカバー

2019年12月24日 | 本と雑誌

『なぜ花は匂うのか』 STANDARD BOOKS (平凡社)
牧野富太郎(著)

待合室で書いている。

牧野富太郎全集(全5巻 1970 東京美術館)が底本

p177 イチョウの精虫 一画工平瀬作五郎によるイチョウの精虫の発見の話は、以前おなじ裸子植物のソテツのことを調べているうちに知った。この本の著者・植物学の父牧野富太郎の名前もそととき知り、私が植物に興味をいだくきっかけのひとつになった記憶がある。

関連記事 池野成一郎のソテツ精子発見 < Journal of Plant Research | 日本植物学会

ーーー

P98 いったい果実の食える部分は種々あって、蜜柑は果実の毛を食っておる、バナナは果実の内皮を食っており、栗などは種子を食っているが、桃などは果皮を食い、梨、りんごなどは花托を食っている。(中略)蜜柑の毛を食うなどは中でも奇抜なものである。P98

ネットでこの例すべてを一覧できるサイトをみることはなかなかできない。
文章も独特のリズムがあって味わいがある。

p95 草木を愛するようになればこれによりて確かに人間の慈愛臣心を養うことができると信ずる。
植物は生物である。これを好くようになればそれが可愛くなる、可愛く思うのはすなわち慈愛心の発動である。一たび発動すればこれを助長することができる。すなわちついには大慈悲の心を養うことができると思う。人間同士に慈悲慈愛の心ができれば世の中は無事太平である。国平かに治まるのである。大にしては戦争小にしては喧嘩、それは人間同士に慈愛心すなわち、おもいやりがないから起こる。思いやりの心を養うに、植物をその道具の一つに使うは最も当を得たものであると信ずる。P96 

この本のなかで、著者は植物観察の趣味をもつことはいかにたのしく心身ににとってまた人生にとって有益であるかをところどころで説いている。若いころはまさか自分が植物に興味を持つようになるとは思いもしなかったのだが、・・・。

以下の巻末の文章のなっとくがいくするところだ。

STANDARD BOOKS 刊行に際して

自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学とを行き来しておもしろがる感性が、そこにあります。

現代は知識や技術のタコツボ化が進み、ひとびとは同じ嗜好の人としか話をしなくなっているのです。いわば「言葉の通じる人」としか話をなっているのです。しかし、そのような硬直化した世界からは、新しいしなやかな知は生まれえません。

境界を超えてどこでも行き来するには、自由でやわらかい、風とおしのよい心ち「教養」が必要です。その基盤となるもの、それが「知のスタンダード」です。

2015年12月