原作:松本清張 野村芳太郎監督、脚本:橋本忍&山田洋次
1974年製作/143分
公開:1974年10月19日
録画して見たあと、消し忘れていた
100分de名著 松本清張スペシャル 第2回「砂の器」
第2回 生き続ける歴史の古層 ~「砂の器」~
2018年3月放送だったと思う。
を見て思い出し、Netflixでもお勧め画面にたびたびあらわれていた「砂の器」をクリックして見た。
(それまでずっと別の映画だと思いなしていたのだが、そのタイトルが思い出せない。
検索しても思い出せない。不思議だ)
松本清張「砂の器」原作は、遠い昔に読んで「社会派サスペンス」の謎解きにワクワクした
記憶がある。
映画になるとそのワクワク感は薄れ、別の作品とも思える違和感をともなう印象だった。
ラスト30分の音楽会と、捜査会議での説明で、感動的にうたい上げる感じは
映画ならではの盛り上がりではあるが、それが違和感でもあった。
というわけで、Wikipediaで制作にまつわるエピソードを読んでみたが、
これがまた面白い。いろいろあったようだ。
社会派推理小説とよばれる「飢餓海峡」(1964年 原作 水上勉)
と比べてみてもおもしろい。
いずれも主人公は、高度成長期に成功しているものの、過去の自分を呪い、それを隠したい、あるいは変えたい一心で犯罪を犯す。しかし・・・。という点で共通するものがある。
しかし、よく考えてみると、けっこう違いがあって甲乙つけがたい。(「飢餓海峡」は原作を読んでいない)
両者とも、見終わって改めてそのタイトルの「意味」を考えてみた。
切っても切っても切れない海峡のこちらとあちら、現在と過去。飢餓海峡
何時かは、押し寄せる海の波洗われ、一瞬で壊れてしまう浜砂でこさえた器の中の現在の栄光。砂の器
事件の謎を解く刑事の執念が追うのは、犯人個人の事情なのだが、観るものはそこに描かれる当時の「社会」をとおして、自らの記憶を刺激される。
映画としては「飢餓海峡」のほうが、現実味と深みも感じられ、「砂の器」は、
ちょっと作り込み感、が否めない。
しかし、リメイクの幅は、「砂の器」に軍配があがるのではないか。「社会派」にこだわらないみせかたもあるのではないかと思う次第であった。
関連このブログ 映画「飢餓海峡」原作:水上勉 監督:内田吐夢 1965年1月公開
2021年03月20日 | 映画
wikipedia ある殺人事件を発端に、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説。清張作品の中でも特に著名な一つ。ハンセン氏病を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。ミステリーとしては、方言周圏論に基く(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)設定が重要な鍵となっている。
1974年に松竹で映画化、またTBS系列で2回、フジテレビ系列で3回、テレビ朝日系列で2回の7度テレビドラマ化され、その都度評判となった。