『海神の首飾り』 田中一村伝説の島々から 単行本 – 2015/5/10
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2016, 2月 4
田辺 周一 (著)
写真集
内容紹介
1970年代後半、今や伝説となった画家、田中一村との奄美大島での出会いを核に、当時・・・ pic.twitter.com/meETpS2nlh
『海神の首飾り』 田中一村伝説の島々から 単行本 ? 2015/5/10
田辺 周一 (著)
5つ星のうち 4.3
3件のカスタマーレビュー
与論島の写真が主だが、南の島々の人物や風景の写真。
中でも21枚ある田中一村の自宅、そこでくつろぐ一村の姿。
これは、1970年代後半、77年ごろの撮影だろうか。
当時20代後半の若者三人が漂白の旅の途中、奄美大島の老画家、まだ無名の田中一村に出会う。
そのくわしいいきさつは想像するしかない。
陋屋(=ろうおく 狭くてみすぼらしい家)で
パンツ(下着の上からはいた真っ白な半ズボン)一枚とはいえ、
一村の姿は気品にあふれいて、着こなしは現在のわたしより「決まって」いる。
イケメンで律儀な一村はおしゃれでもある。
なんども病とたたかったという痩身だが、のびのびとしていて、目は澄んでいる。
いただいたカップアイスのふたを
不慣れな様子で真剣な表情であける老人一村。
その目も真剣だ。
少年のようなというより、現在の日本人が失ってしまったような何かを感じさせる。
すがすがしい。
(『海神の首飾り』で画像検索するか、出版社のHPでその写真を見ることができます)
一村の台所には、ガスコンロもあり、電気洗濯機もある。
ピカソの画集やその他の本や雑誌が部屋の隅の床の上に平積みになっていたり
JALの旅行バック、それにこれは絵を虫や蚊から守るための蚊帳(=かや)だろうか、壁にたたまれてかけてある。新型らしいラジカセも写っている。一村は奄美に来たとき当時高価だったカメラも持っていたと聞いた。
廊下に正座して客人を迎える一村の表情、顔は半分だけ映っているが、とてもリラックスしてうれしそうだ。
その横に写っているのは洗濯機に付属していた洗濯カゴだろうか。
昔の記憶が刺激される。あゝなつかしい。
脱水は手回しのハンドルだったはずだ。
部屋の壁には通風と明り取りのためだろうか、手作りらしい格子窓がある。スライド式かなあ。
いい感じだ。
絵に光はたいせつなのだろう。明り取りは屋根にもあった。
すこし擦り切れた畳にのばした一村の足の長いこと。手も長い。
当時こどもたちは一村のことを「長うじ」と呼んでいたと思う(手足が長いおじさんという意味だろう)。
台所には酢のビンが何本もあった。健康のためだろうか。
家屋の外見から受ける印象とは違って意外と快適そうだ。
写真を隅々までみるのは楽しい。台所のよこの洗濯機の上にハンドタオルがつるしてある。
畳店の屋号が入っていて、それは当時この付近の住んでいた人なら誰でも知っていた屋号だ。
一村の家は私が中学か高校のときに見た記憶があるが、定かではない。
記憶が記憶を捏造するのだろうか、
この写真の庭の様子が呼び起こす私の記憶とよく一致する。
ほかにも当時のことを懐かしく思い起こされる写真がたくさんだ。
人々の表情を見ていると日本人の顔も暮らしもだいぶ変わったなあ、と思う。
書きたいことはまだたくさんあったが時間です。
本の扉に
Necklace of Watatsumi とあったので調べた。
wikipedia ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神のこと、転じて海・海原そのものを指す場合もある。
手元の国語辞典では
「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」にあたる文語の助詞、「ミ」は神の意で海を支配する神。
わだつみは後世の変化。