明が衰退し清が朝鮮にも攻め込んできた丙子の役(1636年)。苦悩する絶体絶命の朝鮮王仁祖。
仁祖(じんそ、インジョ、1595年12月7日 - 1649年6月17日、在位:1623年4月12日 - 1649年6月17日)は李氏朝鮮時代の第16代国王
1636年12月14日 清の大軍が鴨緑江(アムノッカン 北朝鮮)を超え朝鮮に侵入した。後金は国号を清と改め朝鮮に臣従するよう強要した。という字幕から始まった。
ある程度のネタバレはあってもよいと、昔ネットを使い始めた頃よく使っていた「世界史の窓」というサイトを久しぶりに訪れた(今もけっこう人気なサイトらしい)
清王朝は、17世紀半ばから1912年まで中国全土とモンゴルを支配した。 その母体は、中国東北部の満洲で、1616年に満洲人(女真族)が建国した「後金(こうきん)」である。 後金はその後、中国全土とモンゴルを手中に収め、国名を清と改めた。
天命の城とは、南漢山城(なんかんさんじょう ソウルの中心部から東南に25km)のこと。
副題はないが、天命のとは、よいタイトルだと思う。原題:The Fortress 要塞はやや味気ない。
進も地獄退くも地獄。
すぐに、半藤一利『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』1985年を思い出した。映画1967
小中華思想. 事大主義など、
歴史問題、日本統治、日韓基本条約等現在の日韓関係を考える上でも非常に大切な歴史の問題な問題だと思う。(南島暮らしの歳寄りには朝鮮の厳しい自然、寒さにも身にしみる)
またしても、王・仁祖役がパク・ヘイルと気づくまで時間がかかった。多彩な役で繊細な演技、とくに三跪九叩頭の礼のシーンは、カメラとともに気合がかんじられたクライマックス。
庶民の視点もしっかり取り入れた映画作りはさずがだ。リアルすぎる戦闘シーンもあったが映像的にも秀逸だとおもう。
丙子の役は47日間後1637年1月30日に集結。春にはいつもようにタンポポの花が咲いた。
ソウル 景福宮(キョンボックン)のタンポポとスミレ 23年6月