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『こんな沖縄に誰がした』 普天間移設問題――最善・最短の解決策  大田昌秀 (著)

2011年02月23日 | 本と雑誌

110223_book_konna_okinawa こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題――最善・最短の解決策
大田昌秀 (著)

登録情報
単行本(ソフトカバー): 293ページ
出版社: 同時代社 (2010/11/24)

発売日: 2010/11/24

内容(「BOOK」データベースより)
日米両政府合作によってつくられた現実を、無視しつづける鉄面皮はもう許されない。海外移設への具体的道を提示する。

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あまりに知らないことが多すぎる。それは自分だけではない、いわゆる識者、軍事専門家と言われている人たちやジャーナリストたちの中にも大勢いるというがわかるような構成になっている。それにしてもナゼここまでと思うことばかりである。これまで読んだ沖縄基地問題の本の中で一番インパクトがあったタイトル「こんな沖縄に誰がした」。沖縄という土地が人間に対して発しているように聞こえる。

本書は現在まで続く沖縄への軍事的差別の具体的端緒として琉球処分をあげ、明治以来の資料を丹念に検証しながら、「日本」をえぐりだす。英文を含め熟読した。

「天皇メッセージ」について詳述しているところが圧巻だと感じた。奄美も決して無縁ではない。

天皇メッセージ google

沖縄コンパクト事典 「天皇メッセージ」 (てんのうめっせーじ) 琉球新報

第二部 「普天間移設問題――最善・最短の解決策」は


このブログ2011年2月12日 (土曜日)
『沖縄の真実、ヤマトの欺瞞』 (神保・宮台 マル激トーク・オン・デマンド) [単行本

での著者の考えがより詳細に述べられている。主観は述べないが、要所要所での当事者としての著者の怒りを、豊富な資料資料が説得力をもって裏付けている。

調べた単語

買弁(ばいべん、英語:comprador)は、清朝末期の1800年代から1940年代にかけて、欧米列強(銀行や商社)の対中進出や貿易を支援した中国人商人のこと。転じて、外国資本に追随し、自国の利益を損なうような行為や人物のことを指す。例:「買弁的な行為」。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

関連

このブログ 2011年1月11日 (火曜日)
『普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしたい 』 伊波 洋一 (著)

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こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題――最善・最短の解決策 こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題――最善・最短の解決策
価格:¥ 1,995(税込)
発売日:2010-11-24

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大田昌秀さん、大好きなんですよ。 (鎌田浩宮)
2011-02-25 14:39:41
大田昌秀さん、大好きなんですよ。
政治家なんて尊敬できないヤツラばかりだけど、
この人は違う。
でも沖縄は、この人の知事再選を選ばず、
保守系知事を選んだんだよなあ。
ううむ・・・。
返信する
鎌田浩宮さん、コメントありがとうございます。 (管理人)
2011-02-27 22:04:23
鎌田浩宮さん、コメントありがとうございます。

>保守系知事を選んだんだよなあ。

奄美も国からの特別の金がふってくるので利権がからむとドーなるか、骨身にしみてわかるつもりですが、しろゆき君とこのチヂさんは沖縄や鹿児島よりもっとかっこわるいでっせ。それを3回も当選させた都民・・・。

ドー見ても不合理な現在の沖縄に対する差別的政策が長年解決できない日本。
原因は、日本の劣等感(欧米に対してだけではありません。にあるとおじさんは思います(庶民は元々あずかり知らないことでしたがね)。あ、この問題は長くなるので(略)沖縄でそれを癒しているわけです。(中略)だから沖縄は日本のためにも独立へ向かったほうかいいのではないかという意見も説得力を持ちます。
近隣諸国のふつうのおじさんたちも、その情けなさ,に気づいています。気づかないのは・・・。このままでは日本政府だけでなく日本人も尊敬されなくなるおそれがあるのではないでしょうか。これからの若者も見て見ぬふりを通すのでしょうか。そうしないと食べていけないほどやはり日本は貧しいのでしょうか。そんなことを考えさせられた本です。
返信する
石原の事を言われると、恥ずかしくなります。 (鎌田浩宮)
2011-02-28 10:55:43
石原の事を言われると、恥ずかしくなります。
あんなヒトラーみたいな差別主義者のジジイ、この十数年、何も成果を挙げていないのに、なんで都民は好きなのか。
その理由の1つは、おじさんも挙げている日本の劣等感を、石原が中国や他の国、はたまた同性愛者や様々な「他者」を差別し続けることによって生まれるカタルシスを、馬鹿な都民は享受する快楽に向かっているんでしょうね。

大田さんは正論を貫いた。
民主党も正論を掲げて選挙で圧勝した。
でも、民主党は何もなしえなかった。
日本人の劣等感はますます強まり、誰が何をやっても駄目なんじゃないかという厭世観、虚無感に満ちています。

ついでに言うと、音楽も売れなくなっているそうです。
CDだけではなく、有料配信も落ち込んでいるそうです。
音楽ですら、石原よりましなカタルシスを表現できなくなっているんだと思います。
返信する
鎌田浩宮 さん、コメントありがとうござます。 (管理人)
2011-03-01 11:33:58
鎌田浩宮 さん、コメントありがとうござます。

日本が大きく変わろうとしていた幕末
沖永良部島からもどった西郷隆盛は、まもなく
江戸城総攻撃の大総督府参謀になる。

沖永良部島で満天の星空のもと浪の音を聞きながらはくくまれた西郷の「敬天愛人」の思想は、この時、どのように歴史を動かしたのでありましょうか、このさい考えてみることは決して無駄なことではありませぬ。

==============

状況切迫する薩摩軍本陣

西郷は部下に命じ、外部の人間との面会を厳しく拒絶していた。

そこへ、江戸攻めに反対する薩摩藩家老の小松帯刀(たてわき)が面会を求めやって来る。


「西郷さんと是非、話がしたいのです」

「こいまでの西郷さあのようなわけにはいかんとでごわす、どうか理解下さい」

「こんなことは言いたくはありませんが、私は家老ですよ、ここを通してもらいましょう!」

「なりませぬ。おい達もはや薩摩の軍では、ありもはん、朝廷の軍じゃとでごわす、たとえご家老でも勝手は許されもはん」

====帯刀、面会できず

大久保利通「今の西郷さあは、おっとりした、お人よしの西郷さあとは別人でごわす」

=====

一方、天璋院(篤姫)は、大坂から逃げ帰った将軍慶喜の助命を願う手紙を、島津家から篤姫付の老女として江戸城大奥に入った幾島(いくしま)に託します。

体を張って薩摩軍本陣を突破?した幾島に西郷は会います。

西郷「ほんのこと、おなつかしゅうございます。

幾島「天璋院様からのお手紙を預かってきております。

天璋院様から?

こちらでございます。

恐れ入りましてございます。

どうぞ、お読みくださいませ。

(天璋院の手紙)このたびお願いいたしますのは、他でもない徳川慶喜のことです。慶喜とわたくしはかねてより心が通じず将軍職に就いたこともいかがであろうかと心配しておりましたが朝敵のご沙汰を承ったと聞き帝に対しまことに恐れ入りたてまつり深く心を痛めおります。(輿入れの際、篤姫の警護を願った当時のおのれを思い出す西郷)どうか慶喜の命を助け、徳川家もお救い下さいますよう御所(ごしょ)にお取り成し下さいませんでしょうか。徳川家永続のためならばわたくしの命などどうなろうともかまいません。わたくしは徳川の土となる覚悟でございます。ご迷惑でございましょうが、あなた様の他に頼る相手もございませぬ。どうか、くれぐれも哀れみ下さり、お救い下さいますように、どうぞどうぞよろしくお取り組み下さいませ。薩州隊長様 天璋院

涙がとまらない西郷

幾島「改めて申すまでもなく、これは前代未聞のことにございます。先々代将軍、大御台(おおみだい)様が薩摩の隊長に直に文をしたためられるなど、ここまでなさった天璋院様のお気持ちを、なにとぞ、推し量って下さいませ。

西郷肩を震わせて泣く

そいは、別の話でございもす

別の話?

西郷なおも泣きながら 「徳川家を倒さんかぎり、こん国は変わることはありもはん

あなたは一度はお命を捨てた身、しかも二度の島送りを経て人の苦しみ、つらさを人一倍おわかりのはず、学ばれたことも多いはず、そういうお方が武力をもって事を終わらせようというのは、いかがなものでございましょうか。

なればこそで、ございもす

なればこそ?

命を捨て、島であきらめかけても、なんとか生きのびてまいりました。まだこの世で成すことがあるじゃろと、天がわたくしに命じておられるのでございもす。

西郷殿が天璋院様をお忘れか?

おわかり下さいっ!

天は徳川を滅ぼせと命じたのでございましょうかっ!

天璋院様をこれほどまでに苦しめ追い詰めよと(語気を強める幾島)

そこまでやらんと、ならんとでごわす(床を拳でたたき、はげしく肩で息をする西郷)
そしてそこまでの事ができるのは、こん身をおいて他にはおりもはん。徳川と戦こうて先陣の露と消えようとも、残されたみんなで、この国を創っていってくれもんそ

では、いくら話しても分かり合えぬと

まっこて、すんもはん

二人涙を流す。

天璋院様に何かお言伝てがありましたら承りますが

おいのような者にお手紙を下さり、ありがとうございますとお伝え下さい。
そいから、どうかお元気でと

江戸に攻め込もうというあなたが、お元気でと?

天璋院様の手紙を拾い集め、ふところに収め、立ち上がる西郷
涙目で何かを思い巡らすような幾島

指令所に戻り西郷「江戸城総攻めは、3月15日とするっ!全軍に伝えよ」

「は、はっ!」

===

幾島から報告を受ける天璋院「悪者になろうとしておる?西郷がか?」

幾島「そのように見受けられました。おそらく、己一人の身に全てを背負って死んでいこうとしているかのような


己一人の身に?

そこまでせねば、この日本国は変えられぬと、あの者なりに覚悟をしているのでありましょうが、それだけにその意志は固とうございます。

西郷はすこしも変わっておらぬのじゃなあ、わたくしの知っておる西郷のままじゃ、いや、さまざまな目におうて鍛えられ、さらにさらに情熱き男となっておるのであろう。幾島、なんとかなるやも知れぬ

なんですと?

それをできるようにしれぬ男が、一人だけおるっ

それは?

勝を呼べ、話がしたい

付きの者「承知いたしました。

まだ望みが絶たれたわけではないのじゃ、なんとかなるっ、きっとなんとかなる


江戸城無血開城へ

=========

維新成り、新政府の参議に任ぜられる西郷でしたが、やがて

「おい達が、命をかけて戦ったのは、こげな政府ばつくるためじゃなかっ!」ち言って鹿児島に帰えっちまうんですよね。
誰か引き止める人いなかったのかと思います。

いまの政治状況と似ていますかどうか。
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