奄美 海風blog

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お育ちのいい公園のソテツ(蘇鉄)雄株 雌株/ヒメツルソバ/アカボシタツナミソウ/カワズザクラ実/モウセンゴケ

2017年03月08日 | 夕焼け

↑ こちらは、雄株。上の写真は雌株。花が咲くまで判別は難しいが、雌株は去年の花(種子)が、幹の先端にドーム状(キャベツのような形)に残っている場合が多い。雄株も幹の先端に松かさを数十センチ伸ばしたような橙色の鱗片の集まりを乗せる形で、梅雨時期に形成する。

↑↓ アカボシタツナミソウ

カワズザクラはサクランボになっている。

モウセンゴケ

 


「奄美群島国立公園」が正式に指定のラジオニュースでアマミノクロウサギ(奄美野黒兎)?

2017年03月07日 | うんちく・小ネタ

英語で野うさぎは hare というそうですが。普通日本で飼われるのは、rabbitで穴うさぎのことらしい。

↑ 因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)とは、日本神話(古事記)に出てくるウサギ、または、このウサギの出てくる物語の名(wikipedia)であって、生物の種に与えらえた和名(わめい)ではない。

『古事記』では「稻羽之素菟」(稲羽の素兎)と表記。

ちなみに奄美大島の笠利町には、竜宮伝説が由来となったといわれる浦島と「夢をかなえるカメさん」の像がある。→ https://youtu.be/YCcdOUepgrs


wiki和名(わめい)は、生物の種、鉱物、現象などにつけられた日本語での名前。特に、学名と対応させた標準和名のことをさす場合がある。

和名の由来

和名は、学問規約的に規定された名ではなく、一般に使用されている習慣的な名称である。生物の場合、一つの種に多くの異なる名があったり、複数の種が同じ名で呼ばれたり、地方によって異なっていたりする。

こうした日本語による慣用名は、日常用途では漢字で表記することも多いが、今日、生物学、特に分類学的見地に立った学術的局面で使用するときはカタカナで表記する。当初、戦前においては和文の論文など日本語表記の学術的文章は漢字カタカナ混じり文で書くのが慣例であり、地の文のカタカナと生物名を視覚的に識別しやすくするため、和名をひらがなで表記した。本来カタカナは漢訳仏典、漢籍を読み下しやすくするために付するふりがな、送り仮名として成立したものであり、伝統的に学術的文章は漢字カタカナ混じり文で書いたのであるが、戦後、国語改革に伴い学術的文章であっても漢字ひらがな混じり文で書くようになった。そのため、旧来の表記法をひっくり返して地の文のひらがなと視覚的に識別しやすくするために、和名をカタカナ表記するようになったという経緯がある。

学問的には、生物の名前は学名を用いるべきだが、ラテン文字が日常用いられ、ラテン語の語彙になじみがある欧米諸国とは異なり、日常的にはラテン文字やその語彙を用いない日本では学名の使用はかなりの努力が必要であり、入門者や一般向きであるとは言えない。そのため、学名同様に使えるような日本語の名前があった方が便利である。そのような目的で学界やその周辺で慣習的に用いられているものが標準和名である。

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Amami rabbit wikipedia 

 Amamino kuro usagi (アマミノクロウサギ 奄美野黒兔?, lit. "Amami wild black rabbit"), also known as the Ryukyu rabbit,

 

 


海辺のアダン アダンの海辺 海辺のカフカ

2017年03月07日 | 田中一村

奄美市名瀬 大浜海浜公園 名瀬港から車でおよそ10分

浜砂の色からして一村の絵は大浜の風景とは考えにくい。一村が通っていたことのある名瀬大熊の海岸の色だろうか。その描写は、小石や砂粒までのひとつぶ一粒、それに連続する波の静かな雰囲気まで精緻に描かれていて、アダンの描写と比較すると対照的でもある。と考えるとやはり「アダンの海辺」で納得。海辺のアダンではない。

もう一つの代表作に「不喰芋と蘇鐵」がある。

 

 


去年の記事 路傍のテッポウユリ つぼみ形成

2017年03月05日 | 夕焼け
 
路傍のテッポウユリ つぼみ形成
街中のヒカンザクラが葉桜が多くなるころ、テッポウユリがつぼみを作る。これは、多分、誰かが植えたのだろう。毎年同じ場所に固まって咲きだす。関連記事 このブログ......
 

今年は、桜も遅かったので、鉄砲ユリもまだ見かけない。


ブログ アダンの浜辺 大浜 水平線の白い舟 #田中一村

2017年03月05日 | 田中一村

 


『チェンバレンの琉球・沖縄発見』 単行本(ソフトカバー) – 2016/11/11

2017年03月03日 | 本と雑誌

『チェンバレンの琉球・沖縄発見』 単行本(ソフトカバー)  – 2016/11/11

山口 栄鉄 (著)

バジル・ホール。チェンバレンが、神戸より名瀬経由で那覇に着いたのは明治26(1893)年4月末、名瀬には宿泊したのだろうか。文献のみ知識だけは、書けないような内容でもあり、また旅の経由地の通りすがりの旅人の見聞だけとは思えないような記述もある。

長い修飾語の多い翻訳調で読む、我が街の、それも明治時代の外国人による観察の記録は、もってまわったようでもあり、また思いもよらない視点でズバリ本質をついているようでもあって、つい引き込まれてしまいそうだ。名瀬に関する記述が少ないのは当然だが、沖縄に関する幅広い記述の中から奄美を考えるうえで新鮮な刺激があった。現在の沖縄の置かれている現状を考えるためのきわめて有効なヒントも垣間見える。歴史、民俗、民族、島人の風俗習慣、けっこう盛りだくさんの内容がこの一冊で読める。ナゼ今までなかった?のだろう。

名瀬のようすをp57「そこは日本風のたたずまいをみせ、活気のない小じんまりとした所で、一軒ある旅館が自慢である。本質的には琉球語の性質を有する土地の言語はこれまで薩摩方言に圧倒され、話者が町の者であるか地方出であるかによって混成と消滅への様々な過程を堅持している一種の俚諺となっている」P57と述べている。


p170侵略民族の到来例えば日琉両言語の姉妹関係は、そもそも日本語というものが最後に日本国へ到来した征服民族の言語であって、従来信じられてきたごとく(それは、それなりに理由のあることではあったが)それ以前、中央大和地方の一部に定着していた先住民族の言葉ではない、ということを断固として証するものではなかろうか。
逆にいえば、かつて、フランク民族やノルマン民族が被征服地の辺境ラテン語を用い始め、蒙古民族や満州民族がシナ語を採り、さらに歴史の伝える同様な諸事実にみるごとき、比較的少数民族によって用いられはじめたところの、そのような言語ではない、ということである。日本語の場合は、むしろ先住民族の言語を淘汰し、ついには消滅するに至らしめた、かのアングロサクソンの例に類似すると言わねばならない。それでなければ、日琉両語間に脈打つ関連性は、説明がつかぬであろう。

 

 

amazon 登録情報

単行本(ソフトカバー): 180ページ
出版社: 芙蓉書房出版 (2016/11/11)
言語: 日本語


amazon 内容紹介

半世紀にわたってチェンバレン研究を専門分野としてきた著者が、「チェンバレンの日本学」をわかりやすく解説。チェンバレンが書いた琉球見聞録「琉球~その島と人々」を読みやすいように翻訳して収録する。

内容(「BOOK」データベースより)

明治期の日本に滞在し最も有名な日本研究家として知られるチェンバレンの琉球研究のエッセンス。


クワズイモまとめ 一村風写真

2017年03月02日 | 田中一村

 

 

「蘇鉄残照図」は田中一村の、昭和40年代に奄美大島で書かれた絵の作品名(タイトル)です。

このブログ 動画 ソテツ残雪にあられ 湯湾岳 115ぶりの雪の記録から一夜明け 2016年01月25日 を見る


リュウキュウコザクラ 琉球小桜 サクラソウ科

2017年03月01日 | 植物

花期は4月ごろとされるが、奄美市名瀬では2月下旬には咲いていた。

コトバンクより リュウキュウコザクラ【Androsace umbellata (Lour.) Merr.】

サクラソウ科トチナイソウ属の小型の一,二年生のロゼット植物(イラスト)。コケサクラソウともいう。東南アジアに広く分布し,日本では沖縄に多い。草地にはえ,葉をロゼット状に展開する。葉柄があり,葉身は卵円形で長さ幅とも5~15mm,縁に三角形の鈍牙歯があり,基部は浅い心臓形またはくさび形。4~5月に,直立した高さ5~15cmの花茎を伸ばし,頂の散形花序に1~10花をつける。小花柄は細く,長さ1~5cm,基部に苞葉がある。

↑ 同じ場所に、トキハハゼ?