191212 動画 garden de 孤高の画家気分 師走編 #IssonTanaka
桜咲く 2019年へ 秋名 本茶 / 去年との比較↑ 月曜撮影 龍郷町秋名 早咲き↑↓ 本茶峠 三叉路角今年は、夏の台風の影響で全国で季節外れの桜の開花のニュースが相次いだ。これは、ヒカン桜のいつもの開花です。......
今年は、遅れ気味かな。
外川 淳 (著)
5つ星のうち4.0 1個の評価
せごどんのときとはやはり違う。
明智光秀は知名度高いのにあまり人物の具体的イメージがわかない。
謀反人だから生涯に謎が多いのは当然なのだろうが。
それだけに推理がおもしろい。それによっては歴史の眺めにも
大きく変化が生じるだろう。
どれかひとつに単純に断定するのはむずかしい。
それを利用して天下をとったのだから、という点がポイントだろうか。
これまでの信長の態度から、
やらなければ使い捨てにされかねない不安があって、
そのためにとっさにとった対抗策、防衛の策でも
あったのかもしれない、というところに落ち着きそうだ。
事前の共謀はばれる不安があるが、しかし天下をとったあとの
協力者が得られないというジレンマもある。
2、長宗我部元親説をとれば通ぶれるのだが、それほどの知識はない。
3、徳川家康説あたりが無難なのだろうか。
その後第二の明智光秀を出さぬような仕組みを注意深く築いき
二百何十年の徳川の時代が続いたことを思うと
家康と光秀のすごさも見えてくる。
先駆者があとから来たものにいいようにやられるケースはよくある話だ。
和歌をたしなむなど教養があり、博識でもあって、朝廷などとの外交手腕にすぐれ、
領国経営にもすぐれた才能を発揮した光秀が「三日天下」に終わってしまったのも
チャンスが突発的であり、光秀は計画を練るより感情に走ってしまったのかも知れない。
「天下」のあとのことは、子との性質上相談する人は限られ、その暇もなかった。
信長、(光秀、荒木村重 松永久秀) 秀吉 家康 などの人間関係、心理状態など、
現在の身近な組織にもありそうです。
フルフラガーデンde孤高の画家気分 師走編
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) December 10, 2019
龍郷町 #田中一村 #IssonTanaka pic.twitter.com/NhQQNK14zQ
ハチジョウススキのとなりに。(カメラのせいで色がすこし不自然です)
ナピアグラス Napier grass(イネ科 チカラシバ属)ではないかと思われます。
手元の紙図鑑にはハマエノコロなどしかなく、
使い古した図鑑を調べてみたら、p84にあった。
畑地近くに生える熱帯アフリカ原産の多年草とあった。
家畜の飼料として導入され栽培されたが、いまではさとうきび畑周辺で普通に野生化しているという。
長浜町周辺では、これまであまり見かけなかった。
キンエノコログサ ? pic.twitter.com/lHJbmVQOMH
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) December 8, 2019
======
エノコログサ(猫じゃらし)はイネ科エノコログサ属
エノコログサはさまざまな所に生え、そのためもあってか種内変異が多い。 wikipedia
ハマエノコロ
ムラサキエノコロ
キンエノコログサ
フシネキンエノコロ
などほかにも多数。
キンエノコログサ ? pic.twitter.com/lHJbmVQOMH
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) December 8, 2019
葉の基部まで細毛
↑ こちらは隣に生えていた(ハチジョウ)ススキ。毛も鋸歯(縁のギザギザ トゲ)もなくなめらかです。
島の桜(もうすぐ咲きます)に先駆けて春の香。いただきものです。
酸味控えめで、かおり豊なやさしい甘さ。さわやかなあのトロピカルの香りも健在です。
ひとつぶ食べたら止まらない。
皮は向きやすく、果肉を包む内皮も柔らかいので食感もやわらか。
191206 ferry Queen Coral Plus クイーンコーラルプラス
11時頃写す。
鹿児島航路の定期船フェリーは、通常は、早朝か、夜の入出港なのですが。
-===-
今日の名瀬は、どんより冬の空。たぶん今季初めて冬らしい。
今日の名瀬
最低気温(℃)13.1 15:36
最高気温(℃) 16.5 00:02
191205 Japanese pampas grass having ears
奄美市名瀬の林道 今朝写す。

本郷 和人 (著)
5つ星のうち4.0
2個の評価
借りている本を一冊も持っていない状況は何年振りだろうか。
書店の本や、積んで置いたある本をゆっくり読める。
が買いすぎて、当分図書館には行く必要と暇がない。
この本は、順番を飛ばして急いで読んだ。
与党としては、幕引きか、それとも噴火させるか、余裕があるように見える。
与党にも大ブーメランが。
こんなことの噴火で痛い目にあうのはいつも
「こんなことでしか」の野党だ。
補論 「令和という年号についての違和感」などは、書下ろし。
通史的な視野の広いテーマは、世界史との比較にも及びとても刺激的だった。
家か血か、世襲、実力、科挙(日本が中国の科挙を採用しなかった意味は小さくない)、
江戸時代の「大奥」、明治維新と「万世一系」、「女系天皇」。
万世一系や男系男子は、歴史的にそれほど確固とした思想なり理念があったのだろうか、という指摘は説得力を感じた。
天皇 上皇 将軍 貴族 僧侶・・政治家 官僚の世界の話だが、
庶民感覚でもわかるような、血か家かなど「この国を動かす権力のリアルに迫る!」のだが、
一方で、ほんとうに万世一系だったのか、などなにかがぼやけている感じがしなくもない。
↓ こちらは、県道81号線から橋への入り口。ここから細い道をほどなく走ると橋があります。
白糖工場跡については、奄美大島 白糖工場跡 などで検索すると詳しい情報が見つかります。english もあります。
白糖工場跡 https://t.co/6JGezotBxD
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) December 3, 2019
191202 奄美大島北部東シナ海側ドライブ
宇喜多秀家は、戦国のイケメン智将。正室・豪姫は、
あの前田利家の四女。豊臣秀吉の養女でもあり、これまた美人の誉れ高い。
秀家は(元亀3年(1572年)、備前国岡山城主の宇喜多直家の次男として生まれる。
その10年後に、来年の大河ドラマの主人公明智光秀による「本能寺の変」が起こっている。
天正9年(1581年)に父・直家が病死し、翌年、信長によって本領を安堵され、家督を継いだ。
つまり10歳そこそこで大名になっている。
また秀家は、末期豊臣政権下の五大老(徳川家康・毛利輝元・上杉景勝・前田利家・宇喜多秀家)の一人で、家督を継いだ幼少時から終始秀吉に重用されていたという。
五大老というわりには知名度は高くないが、まるドラマのような人生をスタートした宇喜多秀家。奄美との関連は?・・(続きは動画で)