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石光寺の牡丹の庭には、歌碑、句碑が沢山ある。
与謝野晶子夫妻をはじめ、多くの文人、歌人など、文学者が訪れている。
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二上山麓に、ひっそりと佇むお寺で、同じように冬に咲く牡丹を愛でたことに想像の世界が広がる。
そんな碑の中に、心惹かれたのがあり、暫くそこを動けなかった。
どんな花も、どんなに綺麗に咲いていても、惜しまれながら散っていく、散っていくことに儚さを感じるのが常である。なのに「咲いていることが、はかない」これには考えさせられた。
禅宗の教えの中の「諸行無常」の思想から先代住職が、残された言葉であることを、後でお尋ねして、生きていることそのものを、儚さとして捉えたものなのだと知った。
これについては、もっと考えてみたい。
いしぶみ・いろいろ
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いしぶみの傍に、作者や、歌の書かれているものもある。