カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

恋野・中将姫伝説・紫陽花に載せて

2006年07月02日 | ☆季節

1200年以上も前の中将姫伝説は、各地に残されているが、もっとも有名なのは、当麻寺の蓮の糸で一夜にして織り上げられたという、当麻曼荼羅で、これは姫が17歳で出家を認められ尼僧になった頃の話と記憶している。

奈良県宇陀郡菟田野町(現在は宇陀市)に日張山 成就院 青蓮寺という尼寺がある。
「尼寺三十六所法話巡礼」を始めた頃訪れた山深いお寺であった。

継母に疎まれ殺されそうになった姫が、ここに逃げ匿われ14歳から16歳までをこの、日張山で過ごしたとされている。
なかなかに山の奥こそ住みよけれ草木は人のさがを言わねば
これは、当時中将姫が詠んだ和歌で、お寺のご詠歌になっている。


中将姫伝説が、奈良県を通り越したこの地にもあったのだ。

「ところが継母は、こうした姫を次第に憎むようになり、ついに殺そうとまで思いつめるようになりました。このことを知った一人の家来によって難を逃れるために遠い都から紀伊の国の雲雀山に逃げてきました。
 姫の哀れな境遇と都を恋しがる姿を日ごろ見ていた村人たちは、姫がこの地を離れると雲雀山周辺を恋しい野と呼ぶことになりました。」


「恋野」について検索してみると上のような記述があった。
宇陀の、「日張山」と恋野の「雲雀山」どちらも昔は人里離れた山奥で、都を離れて、身を隠した地として納得が出来る。



中将姫は29歳の若さで、幸せ薄いの生涯を、775年当麻寺で終えたが、その10年前19歳の時、自分をかばってくれた、宇陀の日張山に青蓮寺を建立したと言われている。

恋野にも、観音堂と小さな祠があった。
「恋野」の地名は、亡き母恋しい、都恋しいと思って暮らした中将姫の思いと、この地を去って、当麻寺で、尼僧になった、姫への、村人の、「姫恋しい」という熱い思いでつけられた、悲しみの地名であるような気がした。


紫陽花の花色から中将姫への私のイメージ。
青・幸せ薄い数奇な運命に漂うように生きた短い人生。
白・自分の不幸を甘受しながら、清く仏門に帰依した清浄さ。
赤・姫の美しさと、心の温かさ、
ガクアジサイ・ほか・素朴な村人に守られながらも、常に人の世からは、孤高の人であったような・・・


コメント (8)
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