薬師寺の東塔の修復が6月の何日かから始まって、このような情景はたぶん10年間は見られないとのことなので、唐招提寺にお参りするまでに、勝間田池に寄り道した。
桜の頃以来である。
桜の頃以来である。
三笠山の緑も濃くなって、春日山の木々の新芽も、五月の太陽を浴びて輝きを増しているようだ。
時間的に先を急ぐので、ゆっくりと写真を撮っていることもできず、一緒に来た、キョウさんとまたゆっくり来ましょうとここを後にすることにした。
ふと池の縁の足元に咲く野薔薇が目に入った。
毎朝この辺りで日の出の写真を撮っていらっしゃるとんとん・とんさんのある日の画像にこの野薔薇が登場していて、とても印象的だった。
「針金を引っ張って・・・」と書いてあったので、見ると本当に針金があった。
私の力では、上まで引っ張りあげることもできず、薬師寺はずっと遠くになってしまった。
(お笑いの1枚である)
ふと池の縁の足元に咲く野薔薇が目に入った。
毎朝この辺りで日の出の写真を撮っていらっしゃるとんとん・とんさんのある日の画像にこの野薔薇が登場していて、とても印象的だった。
「針金を引っ張って・・・」と書いてあったので、見ると本当に針金があった。
私の力では、上まで引っ張りあげることもできず、薬師寺はずっと遠くになってしまった。
(お笑いの1枚である)
唐招提寺の招待状のお茶席の人数に間に合わなかったら大変と、急いだ。
唐招提寺の手前まで来た時、とても甘い香が漂ってきた。
民家の塀をいっぱいに被って、テイカカズラが芳香を放っている。
風車のような花びらが可愛い。
唐招提寺の手前まで来た時、とても甘い香が漂ってきた。
民家の塀をいっぱいに被って、テイカカズラが芳香を放っている。
風車のような花びらが可愛い。
下の水路には黄菖蒲が咲いて、歴史街道にふさわしい道路である。
テイカカズラ(定家葛))
謡曲の「定家」に由来する名前。
京都を旅していた僧侶が夕立にあい、雨宿りで
駆け込んだところが、歌人の「藤原定家」が
昔建てた家だった。
どこからか現れた女性がその僧侶を、
葛(つる)のからんだ「式子内親王
(平安時代の、後白河法皇の第三皇女)」の
墓に案内し、こう語った。
”藤原定家は式子内親王を慕い続けていたが、
内親王は49歳で亡くなってしまい、
定家が式子内親王を想う執心が葛となって
内親王の墓にからみついてしまった。
内親王の霊は葛が墓石にからんで
苦しがっているらしい”
僧侶はそれを聞き、内親王の成仏を願って
墓の前で読経した。
じつは、先ほどの女性は
式子内親王本人の「霊」で、
僧侶が読経してくれたことで成仏できて喜んだ。
そして、この、からみついた「葛」に後年
「定家葛」の名前がつけられた。
・「石綱(いわつな)の またをちかえり
青丹(あおに)よし
奈良の都を また見なむかも」
万葉集
京都を旅していた僧侶が夕立にあい、雨宿りで
駆け込んだところが、歌人の「藤原定家」が
昔建てた家だった。
どこからか現れた女性がその僧侶を、
葛(つる)のからんだ「式子内親王
(平安時代の、後白河法皇の第三皇女)」の
墓に案内し、こう語った。
”藤原定家は式子内親王を慕い続けていたが、
内親王は49歳で亡くなってしまい、
定家が式子内親王を想う執心が葛となって
内親王の墓にからみついてしまった。
内親王の霊は葛が墓石にからんで
苦しがっているらしい”
僧侶はそれを聞き、内親王の成仏を願って
墓の前で読経した。
じつは、先ほどの女性は
式子内親王本人の「霊」で、
僧侶が読経してくれたことで成仏できて喜んだ。
そして、この、からみついた「葛」に後年
「定家葛」の名前がつけられた。
・「石綱(いわつな)の またをちかえり
青丹(あおに)よし
奈良の都を また見なむかも」
万葉集
季節の花300より