広い境内の入口には、椿の赤と梅のピンクが華やかな色どりで迎えてくれる。
歩いてくる人はまずこの美しい花を愛でながら神社の境内に入っていくことになる。
車ではこの彩を横目にし乍ら、どんどんと上の方に上がって何か所かにある駐車場の空いたところに車を置く。
お社の方へ行こうかと思ったが、先ず私は深い木立の森の中の道を、足に任せて下って行った。
心地良い風が森を通り過ぎて、少し汗ばんだ額を拭ってくれる。
参道の両側には椿の木がありその木の下には、万葉の詠を記した木が沢山あって、できるだけ見逃さないようにカメラに納めながらの参道歩きだった。カメラに収めたごく1部は1昨日UPしたが、後のは後日時間のある時に整理したいと思っている。
護国神社のご祭神について、明治維新以来の戦争で亡くなった方の御霊が祀られていることと、このあたりは山の辺の道の北道で多くの古墳群のあった地であることや、古の油山城跡のあった場所であることなど、説明文を読みながら初めて知ったことがかなりあって、このたび訪れた意義深いものとなった。
この万葉歌は私を1番驚かせた。戦時中、学校で習ったのか学校行事で歌ったのかは覚えていないのに、「兵隊さんになって戦地へ行けば、海であっても、山であってもそこがこの世との別れの場所であるというような、漠然とした別離の悲しい歌であると教えられてきた国民学校の低学年の頃の事である。
万葉集に詠われた大伴家持のこの詠は、どんな戦いの時の「心の戒め」だったのか・・・生き方の決意を人に示すのでなく、自分の心の支えのようなものであったような気がする。
万葉集を研究している人のこの詠の解釈は読んだことはないが、私の記憶では、第2次世界大戦の時の「兵隊さんの決意」としての「悲しい歌」なので今更ながら驚いている。
さて本題の「落ち椿」だが、山茶花は「散る」と言うけれど、椿は「花が落ちる」とよく表現する。
私も木の根元を彩っているかのような「落ち椿」がとても綺麗に見えたのでその画像の何枚かをUPした。
落ち椿 やがては杜の 土となり 花の命を 繋ぐ彩