6日目 ローマ
終日ローマ自由行動です。
ホテルの前のカヴール通りを渡り、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へ行きました。

石段を上がります
左の建物がサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会



ミケランジェロ作『モーゼ像』
律法の記された石板を片手に、あらゆる困難を乗り越えてイスラエルの民を「約束の地」へ導こうとした不屈の意志をみなぎらせているモーゼ


コロッセオに向かいました。



修復中です
コロッセオはまだ開いていません

コンスタンティヌス帝の凱旋門も修復中
フォロ・ロマーノの方を歩きました
コスチュームを着ている人が何人もいました


マルス神殿跡とフォロ

トラヤヌスのフォロ


ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
カンピドリオの丘に来ました。
石段を上がれば、カピトリーノ美術館、コンセルヴァトーリ美術館、市庁舎があります。

石段を上がりました
カンピドリオ広場の石畳のデザインはミケランジェロが担当したそうな。
ローマ市庁舎の前の台座にはアウレリウス帝の騎馬像(レプリカ)

カンピドリオの丘からの遺跡の眺め

セヴェルスの凱旋門
S.P.Q.R.の植え込み
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http://ja.wikipedia.org/wiki/SPQRより引用
SPQR は、ラテン語で Senatus Populusque Romanus の略語。
過去の使用例[編集]
その意味は「元老院とローマの人民(市民)」、すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマ・ローマ帝国)の主権者を指す。また、現代の「紳士淑女諸君」のように、演説などの冒頭の挨拶にも使われた。
「SPQR」の文字は、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカにいたるあらゆる地域で公共物に全て刻まれ、軍団の軍旗などにも使われた。ローマ時代の遺跡やそれを基にした建造物、ローマ市の盾形の紋章に見て取ることができる。
現在の使用例[編集]
現在もローマ市役所の広報に使用されており、「SPQR『ゴミはクズカゴヘ』」といった風に使用されるほか、マンホールの蓋やタクシーのドアにも描かれている。また「Sono Porci Questi Romani(このローマ市民どもは豚である)」と皮肉げに解されることもある。
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狼の乳を吸うロームルス (Romulus) とレムス (Remus)

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%82%B9より引用
ロームルス (Romulus) とレムス (Remus) は、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟で、ローマの建設者。 ローマ市は紀元前753年4月21日にこの双子の兄弟によって建設されたと伝えられている。
この双子は、軍神マルスとレア・シルウィア(アルバ・ロンガ=ラティウム王ヌミトルの娘)の間に生まれたとされている。王の末弟のアムリウスは王位を奪っていたが、兄の孫である双子の復讐を恐れて、双子をテヴェレ川に捨てた。しかし、双子は狼によって育てられた。やがて、羊飼い夫婦に引き取られ立派に成人する。その後、祖父の軍隊に山賊と間違えられてとらえられ尋問されるうちに孫と判明する。間もなく兄弟は反逆者の叔父を殺し、祖父を復位させた。兄弟は、自分たちが捨てられた地に都市を建設しようと決めた。兄弟のうちのどちらが建設者になるかを鳥占いで決めることになり、兄のロームスに軍配が上がり、羊の守護の女神パレスを讃えるババリアの日(4月21日)新しい町(Roma quadrata)の城壁を築くために線を引き始めた。それに弟のレムスが怒り兄をあざけったので、兄弟の間で戦いが起こり、弟が兄に殺されてしまった。弟を立派に埋葬した兄ロームスは、町に多くの人を住まわせた。彼は40年間統治し、雲の中へ消えていった。
このローマ建設伝説は、紀元前3世紀にはすでに存在していたと伝えられている。紀元前296年に牝オオカミの乳を飲む双子の兄弟の像が献上され、同269年製造のローマ貨幣の表裏にオオカミと双子像の同じ場面が刻印されている。
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石段を下りて、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会へ向かいました。

シーザーが着手した円形競技場「マルケルス劇場」とアポロ神殿の円柱



真実の口広場
「真実の口」があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会

既にたくさんの人が並んでいます

コインを準備しました

ここにコインを入れます

真実の口
みんなこんなポーズで写真を撮っています
コロッセオに向かいます。






サン・グレゴーリオ通りの入場券売り場
コロッセオの入場券を買うために並びました

現在地
歩いてきたルート



コロッセオに入ります
コロッセオは、広大なネロ帝の黄金宮殿「ドムス・アウレア」内に、公共の競技場として建てられたもので、5万人もの観客が収容できたそうです。
板張りの上に砂を敷いたアリーナに近い1階のドーリア式の大理石張りの貴賓席には皇帝や貴族たち、神官、ヴェスタ神殿の巫女たちが座り、2階のイオニア式は庶民のための木製の座席で、3階のコリント式は貧民の立見席です。
アリーナの上では剣闘士と猛獣や、囚人同士の闘いがくりひろげられたのですが、記録に依れば「9000の野獣が100日間に虐殺された」とあるそうな。
404年、1人の修道僧が自らの命を犠牲にして血なまぐさい見世物反対を訴え、彼の殉教を機に、猛獣同士の闘いだけが6世紀まで続けられたそうです。


2階へ上がります






ヘリコプターが飛んでいました






地下鉄に乗ります



地下鉄を下りて、歩きます
スペイン広場
階段の手前にある「バルカッチャの噴水」は修復中でした。



ランチを食べに行きます
道路わきにテーブルが並んでいます
パンテオン
パンテオンは、ローマ初代皇帝アウグストゥス帝の武将アグリッパによって、紀元前25年に創建された教会です。


讃美歌でしょうか、きれいな歌声が響き渡っていました。




良い天気です
イタリアで3回目のジェラートです
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会へ向かいます。
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会



バロック絵画の先駆者カラヴァッジオが1599年から1600年に聖マタイの生涯を描いた3部作「聖マタイの召命」、「聖マタイと天使」、「聖マタイの殉教」があります。


ナヴォーナ広場へ向かいます
ナヴォーナ広場

「四大河の噴水」はローマのバロック彫刻の代表作です。世界の四大河であるラプラタ河、ナイル河、ガンジス河、ドナウ河を擬人化したもの。ナヴォーナ広場の中央に位置し、噴水の上にはオベリスク(古代エジプトの記念碑)がそびえたっています。
オベリスクの先端にはオリーブをくわえたハト

新婚さんは絵を買い求めていました。よい記念になるでしょうね。
私も買おうかなとチラッと思ったのですが…結局買わず。
ネプチューンの噴水 Fontana del Nettune
サンタンジェロ城へ向かいます
サンタンジェロ橋
サンタンジェロ城
テヴェレ川を見下ろすこの城は、ハドリアヌス帝が自らの墓として建築したもので、590年にペストが流行した際、天使ミカエルがここに舞い降りてローマを救ったという伝説が名前の由来です。
城や橋の上にはブロンズの天使像が並んでいます。
現在は武器・美術品の博物館。
テヴェレ川
イタリアの川はすべて濁っていました。
サンタゴスティーノ教会へ向かいます
サンタゴスティーノ教会
濃厚なユリの匂いが漂っていました






ヴァチカンを案内してくださった方のお勧めの教会、「ジェズ教会」へ向かいます。
ジェズ教会
ジェズ教会のファサード(正面)には、イエズス会の紋章「Iesum Habemus Socium(イエスは我とともにあり)」というラテン語の頭文字「IHS」が掲げられています。
ジェズ教会はまさにバロック芸術の殿堂
聖遺物箱には、異国の地でたくさんの人々に洗礼を与えたザビエルの右腕の一部が保存されているそうです
トレビの泉へ向かいます。


トレビの泉はとても混雑していました。

ローマへの再訪を祈り、私も後ろ向きにコインを投げました。


タクシー乗り場です

夕方になってきました。再びスペイン広場の前を通りました。
トリニタ・デイ・モンティ聖堂に夕陽が当たっていました。
終日ローマ自由行動です。
ホテルの前のカヴール通りを渡り、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へ行きました。

石段を上がります

左の建物がサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会



ミケランジェロ作『モーゼ像』

律法の記された石板を片手に、あらゆる困難を乗り越えてイスラエルの民を「約束の地」へ導こうとした不屈の意志をみなぎらせているモーゼ


コロッセオに向かいました。



修復中です

コロッセオはまだ開いていません


コンスタンティヌス帝の凱旋門も修復中

フォロ・ロマーノの方を歩きました

コスチュームを着ている人が何人もいました



マルス神殿跡とフォロ



トラヤヌスのフォロ



ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂

カンピドリオの丘に来ました。
石段を上がれば、カピトリーノ美術館、コンセルヴァトーリ美術館、市庁舎があります。

石段を上がりました

カンピドリオ広場の石畳のデザインはミケランジェロが担当したそうな。

ローマ市庁舎の前の台座にはアウレリウス帝の騎馬像(レプリカ)

カンピドリオの丘からの遺跡の眺め



S.P.Q.R.の植え込み

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http://ja.wikipedia.org/wiki/SPQRより引用
SPQR は、ラテン語で Senatus Populusque Romanus の略語。
過去の使用例[編集]
その意味は「元老院とローマの人民(市民)」、すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマ・ローマ帝国)の主権者を指す。また、現代の「紳士淑女諸君」のように、演説などの冒頭の挨拶にも使われた。
「SPQR」の文字は、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカにいたるあらゆる地域で公共物に全て刻まれ、軍団の軍旗などにも使われた。ローマ時代の遺跡やそれを基にした建造物、ローマ市の盾形の紋章に見て取ることができる。
現在の使用例[編集]
現在もローマ市役所の広報に使用されており、「SPQR『ゴミはクズカゴヘ』」といった風に使用されるほか、マンホールの蓋やタクシーのドアにも描かれている。また「Sono Porci Questi Romani(このローマ市民どもは豚である)」と皮肉げに解されることもある。
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狼の乳を吸うロームルス (Romulus) とレムス (Remus)


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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%82%B9より引用
ロームルス (Romulus) とレムス (Remus) は、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟で、ローマの建設者。 ローマ市は紀元前753年4月21日にこの双子の兄弟によって建設されたと伝えられている。
この双子は、軍神マルスとレア・シルウィア(アルバ・ロンガ=ラティウム王ヌミトルの娘)の間に生まれたとされている。王の末弟のアムリウスは王位を奪っていたが、兄の孫である双子の復讐を恐れて、双子をテヴェレ川に捨てた。しかし、双子は狼によって育てられた。やがて、羊飼い夫婦に引き取られ立派に成人する。その後、祖父の軍隊に山賊と間違えられてとらえられ尋問されるうちに孫と判明する。間もなく兄弟は反逆者の叔父を殺し、祖父を復位させた。兄弟は、自分たちが捨てられた地に都市を建設しようと決めた。兄弟のうちのどちらが建設者になるかを鳥占いで決めることになり、兄のロームスに軍配が上がり、羊の守護の女神パレスを讃えるババリアの日(4月21日)新しい町(Roma quadrata)の城壁を築くために線を引き始めた。それに弟のレムスが怒り兄をあざけったので、兄弟の間で戦いが起こり、弟が兄に殺されてしまった。弟を立派に埋葬した兄ロームスは、町に多くの人を住まわせた。彼は40年間統治し、雲の中へ消えていった。
このローマ建設伝説は、紀元前3世紀にはすでに存在していたと伝えられている。紀元前296年に牝オオカミの乳を飲む双子の兄弟の像が献上され、同269年製造のローマ貨幣の表裏にオオカミと双子像の同じ場面が刻印されている。
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石段を下りて、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会へ向かいました。

シーザーが着手した円形競技場「マルケルス劇場」とアポロ神殿の円柱



真実の口広場

「真実の口」があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会

既にたくさんの人が並んでいます


コインを準備しました


ここにコインを入れます


真実の口

みんなこんなポーズで写真を撮っています

コロッセオに向かいます。






サン・グレゴーリオ通りの入場券売り場
コロッセオの入場券を買うために並びました


現在地

歩いてきたルート




コロッセオに入ります

コロッセオは、広大なネロ帝の黄金宮殿「ドムス・アウレア」内に、公共の競技場として建てられたもので、5万人もの観客が収容できたそうです。
板張りの上に砂を敷いたアリーナに近い1階のドーリア式の大理石張りの貴賓席には皇帝や貴族たち、神官、ヴェスタ神殿の巫女たちが座り、2階のイオニア式は庶民のための木製の座席で、3階のコリント式は貧民の立見席です。
アリーナの上では剣闘士と猛獣や、囚人同士の闘いがくりひろげられたのですが、記録に依れば「9000の野獣が100日間に虐殺された」とあるそうな。
404年、1人の修道僧が自らの命を犠牲にして血なまぐさい見世物反対を訴え、彼の殉教を機に、猛獣同士の闘いだけが6世紀まで続けられたそうです。


2階へ上がります







ヘリコプターが飛んでいました







地下鉄に乗ります




地下鉄を下りて、歩きます

スペイン広場

階段の手前にある「バルカッチャの噴水」は修復中でした。



ランチを食べに行きます

道路わきにテーブルが並んでいます

パンテオン

パンテオンは、ローマ初代皇帝アウグストゥス帝の武将アグリッパによって、紀元前25年に創建された教会です。


讃美歌でしょうか、きれいな歌声が響き渡っていました。





良い天気です

イタリアで3回目のジェラートです



サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会へ向かいます。
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会




バロック絵画の先駆者カラヴァッジオが1599年から1600年に聖マタイの生涯を描いた3部作「聖マタイの召命」、「聖マタイと天使」、「聖マタイの殉教」があります。



ナヴォーナ広場へ向かいます

ナヴォーナ広場


「四大河の噴水」はローマのバロック彫刻の代表作です。世界の四大河であるラプラタ河、ナイル河、ガンジス河、ドナウ河を擬人化したもの。ナヴォーナ広場の中央に位置し、噴水の上にはオベリスク(古代エジプトの記念碑)がそびえたっています。
オベリスクの先端にはオリーブをくわえたハト


新婚さんは絵を買い求めていました。よい記念になるでしょうね。
私も買おうかなとチラッと思ったのですが…結局買わず。
ネプチューンの噴水 Fontana del Nettune

サンタンジェロ城へ向かいます

サンタンジェロ橋

サンタンジェロ城

テヴェレ川を見下ろすこの城は、ハドリアヌス帝が自らの墓として建築したもので、590年にペストが流行した際、天使ミカエルがここに舞い降りてローマを救ったという伝説が名前の由来です。
城や橋の上にはブロンズの天使像が並んでいます。
現在は武器・美術品の博物館。
テヴェレ川

サンタゴスティーノ教会へ向かいます

サンタゴスティーノ教会

濃厚なユリの匂いが漂っていました







ヴァチカンを案内してくださった方のお勧めの教会、「ジェズ教会」へ向かいます。
ジェズ教会

ジェズ教会のファサード(正面)には、イエズス会の紋章「Iesum Habemus Socium(イエスは我とともにあり)」というラテン語の頭文字「IHS」が掲げられています。
ジェズ教会はまさにバロック芸術の殿堂


トレビの泉へ向かいます。


トレビの泉はとても混雑していました。

ローマへの再訪を祈り、私も後ろ向きにコインを投げました。


タクシー乗り場です


夕方になってきました。再びスペイン広場の前を通りました。

トリニタ・デイ・モンティ聖堂に夕陽が当たっていました。