2012年5月、知人(80才代)に淡路のお土産海苔佃煮を渡そうと出かける時、「鎌を研いでもらおう!!」と思って、鎌を2本持っていきました。
知人は「おお、よく来てくれた」と言って、庭に下りて、砥石で鎌を研いでくださいました。
そして、研ぎ終わると、納屋へ行き、「もう、これは使うことがないように思うから」と新品の鎌を1本手渡してくださったのです。
「もう、これは使うことがない」という覚悟にたじろぎながらも、「え、いいんですか。」と、その好意に甘え、いただいて帰りました。
それからは、草の伸びが気になったとき、私は「さぁ、今から頑張って草刈をするわよ~」と、いただいた鎌に話しかけて使わせてもらっていました。
その知人がこの夏逝去されました。九十有余歳。
天災やお子さんや奥様の死等々たくさんの哀しい思いを抱えながらも、屈せず、懸命に生き抜いてこられて、尊敬できる人でした。
誰に対してもため口ではなく、丁寧な物言いの方で、明るさと聡明さが魅力でした。
施設に入所されてから、友人と、或いは私一人で、何回か訪問しました。
「よう来てくれた」と迎えてくださり、帰るときは必ず「気をつけて帰ってくださいよ」と心配りをしてくださいました。
私たちにできたことは、一緒にコンビニのホットコーヒーを飲み、お菓子を食べ、好きだったジャイアンツのタオルをプレゼントし、パジャマの取れていたボタンを縫い付け、共通の懐かしい話をし、戦争の話を聴くことぐらいでした。
私たちの訪問で、少しでも「快」にして差し上げることができたらと思っていましたが、果たしてどうだったのか。もう少し私が齢を重ねたとき、その心情に近づけるかなと思っています。
姉を亡くした私に「あなたは何としても親より長く生きなさいよ」と励ましてくださった言葉に従って、頑張って生きていこうと思う私です。