タイムマシンがあれば、いつに戻りたいか・・・。
誰でも、いつでも、よく考えるテーマです。
タイムマシンがあれば…と考える根本的な思いには、「懐かしいものを見に行きたい」思いと、「やり直せるものならやり直したい」思いの二つがあるように思います。
2021年4月4日の朝日新聞に、読者からの投稿がたくさん載っていました。
小学校の木造校舎の3年5組の教室に入りたい
あの肉屋のおじさんの声が聴きたい
あの元気のよい、たこ焼き屋さんのたこ焼きが食べたい
60年以上も生きてきたのですから、こういう懐かしい感情を抱く対象は山ほどあります。
タイムマシンで子供時代の懐かしいところにちょっと立ち寄りたいとは思いますが、そのままそこからリスタートするとなれば、話はそう簡単なことではありません。
今の私なら、あの時あの判断ではなく、別の判断をしただろうと思うこともたくさんあります。
優先順位の間違い、言葉足らず、未熟な思い。
軽重はありますが、指先や口から毒を吐く感じだったとでもいうのでしょうか。
無意識も含め、罪の重さを思います。
後悔していることを消し回るためにタイムマシンに乗るとなれば、あの時その時あれもこれも・・・です。
これがタイムマシンの消極的利用というのならば、実現したい自己がそれほどなかった私には、タイムマシンの積極的利用と呼べるべきものはないのかもしれません。
大きく満足しているわけではないけれど、大きく消し去りたいわけでもない。
こんな人生、どうなんだろうと思いつつ・・・。
「やり直すのに遅い時はない」という表現はよく見聞きしますが、「やり直す」のは物理的にも精神的にもそう生易しいことではないのを私は知っています。
とりあえず、今をしっかり、今から後悔しないように生きていくということなのでしょうか。
そういえば、私、いつも「とりあえず・・・」の人生だったような気がする。
そこが本質的な問題なんですよね。