数年前にエンディングノートを買いました。
記入を始めましたが、完成させずに、いい加減なところで中断しました。
私らしいことです。
日頃厭世的なことを口にしている私に、彼は言いました。
「あなたも75歳ぐらいまでは生きないといけない!」
私「え、私、75歳までも生きるかなぁ…」
でも考えてみたら、父が亡くなった年齢の71歳はすぐそこです。
ぼやぼやしていたら、75歳になるのはあっという間のことかもしれません。
本気でエンディングノートを書く時期かもしれないと思いました。
で、本棚からエンディングノートを取り出しました。
パラパラとページを見て、手書きが面倒な部分はPCで入力してプリントしたものをノートに貼り付けようかと思っています。
今回こそ、書き上げたいと思います。
2月中には確定申告とエンディングノートを完成させたいと思っています。
期限を設けないとダラダラしてしまう私ですから、一応宣言を…。
3月初旬のブログに、確定申告提出とエンディングノート記入が無事完了と書きたいものです。
若いころ、漠然と、私の寿命は25歳ぐらいかなぁと思っていました。
でもそれ以上生きています。
人生を振り返った時に、あの時に死んでいてもおかしくないということも何度か経験しました。
(その事態が起こっているときは「痛い」「こわい」「どうなるのだろう」「これで死ぬのか」とか思わず、ただただ驚愕の事実を他人事のように意識するだけです。)
それでも死ななかったのは、母を見送る要員として私は選ばれていたからだと、今は思います。
もちろん生き続けて楽しいことはたくさんありました。
哀しみよりも楽しみの方がずっとずっと大きかった人生です。
なにはともあれ、母が生きている限り、私は死んではいけません。
母を見送らない親不孝だけは避けねばなりません。
妙に醒めた頭で、母は私を生かすために死ねないのかもしれないと考えることがしばしばあります。
1月下旬、私が大学生だった時、3年間お世話になったアパートの大家さんから、寒中見舞いの返事(きれいな絵葉書)が届きました。
小さい子たちのお母さんだった大家さんは、まもなく79歳になるとのこと。
確実に時は流れています。
大家さんのお母さんが、大家さんの小さな息子さんたちのお世話をされていた日常的な光景を思い出します。
大家さんのお母さんは100歳と10ヶ月でお亡くなりになったとありました。
お母さんとの思い出話はたくさんあるとのこと。
クリスチャンの大家さんは、きっといい表情でお母さんのお世話をされたのだろうと想像しました。
そのはがきには「ご両親と一緒に入室されました時の上品なご両親を思い出します。お母様、頑張っていらっしゃり、あなたの支えになってくださっていますよ。」
「お母様にはもっともっと長生きしていただいてくださいね。」とありました。
18歳の春、私が借りた部屋(4畳半)で両親も一緒に1泊できるよう、下宿生活のスタートの準備のために来てくれた両親に布団2組を貸してくださった優しさは忘れられません。
絵葉書の文字を辿っていると、あれやこれやでなんだか泣けてきました。