「第63回 鎌倉薪能」の無料配信動画を樂しむ。能は金春流前宗家の「猩々」で、私がもっとも好むところの他に真似手のゐない独自な藝を、間近で、贅澤に、堪能する。https://youtu.be/scon32dy6S0いいものに逢ふと、自分も舞ひたくなる。来春あたりから、今まで中止になってゐた催しが復活の兆しを聞く。人災疫病の感染者状況が、もしこのままの状態で推移し續けるのならば、そろ . . . 本文を読む
ラジオ放送で、金春流の「木賊」を聴く。構成自体は類型的な生き別れた親子の再會譚だが、この曲の場合は子と生き別れて狂亂するのが母(女)ではなく、男親の老人である點が特色であり、また異色である。年経ると子への情もまた濃くなるものか、失踪した子が得意にしてゐた小歌や曲舞を自ら舞ひ謠っては偲び、また謠にも「子を思ふ」と直接的な表現が頻出し、情愛の昂りと云ふより執着心の迸(ほとばし)りのやうでもあり、一歩間 . . . 本文を読む
全國で確認された人災疫病の感染者數が二百人台で日々推移するやうになり、いよいよ下げ止まりと極まる。これ以上はあっても、これ以下はないのである。この疫病は、ニンゲンをますます厭な生き物にした。 . . . 本文を読む
商業施設の壁に掲げられてゐた、作り物の女のコたち。雰囲気がよく似てゐるので、てっきり一人の作家の作品(もの)かと思ったら、四人が一點づつ手掛けたものと云ふ。現今の街中でうんざりするほど見掛ける同じ“顔”の女のコたちを、そのまま繪にしたかのやうだ。夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、平凡な器量の若い女性につひて、“五分も外を歩ひてゐれば必ず會へる顔である”と云った感じの一文があった。しかし。私はこの描 . . . 本文を読む
九代目桂文治の「大師の杵」を聴ひたら──弘法大師が自分に惚れた挙げ句に自害した娘を弔ふため建てたお堂が川崎大師平間寺の興りと云ふ、もちろん戯れ話──、にはかに川崎大師へお参りしたくなったので、實行す。思へば今年は正月に一度お参りしていらいご無沙汰で、今日に時間がつくれたのは何らかのご縁に違ひない。境内では菊花大會も開催されてゐて、やっと秋らしい秋に逢ったやうな心地がする。これから冬になり、足許には . . . 本文を読む
三年ほど前、近所で土地を切り崩して數棟の建賣住宅が出来、すぐ若い家族によって完賣したが、早くもそのうちの一軒が空き家となり、内装業者が入ってゐるのを見る。この人災疫病禍で収入が覺束なくなり、つひに分割拂ひも不可能になって出たものか?だとしたら、高額の買ひ物を分割で拂ふと云ふ行為は、それはしょせんその人の生活の身の丈に合ってゐないと云ふことだ。だから、いまの疫病禍のやう . . . 本文を読む
埼玉縣さいたま市北區のさいたま市立漫画會館にて、「時事漫画100年」展を観る。明治九年(1876年)、旧中山道大宮宿の脇本陣をつとめた北澤家の四男として東京に生まれ、幼少期から得意だった繪の道に進んで日本初の職業(プロ)漫画家となった北澤樂天が晩年を過ごした旧宅跡に建つ記念館に、近代化へと邁進する大日本帝國の世相を風刺した漫画が、ちゃうど繪で見る年表のやうに並ぶ。しかし、かうした時事漫画はその時そ . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-141629?fm=d明らかに保存には乗り氣でないJR東日本に對し──むしろ「面倒なモノが出て来やがって……!」と忌々しげに舌打ちしてゐる様すら窺へる──、一万キロ以上も西の肥州で保存に積極的な名乗りを挙げてゐるところに、やはり明治の“御一新”は西 . . . 本文を読む
住宅地の電柱で見かけた警告書。犬に字が讀めるのかなど、さういふことは問題でない。二代目桂春團治の「無學の犬」と云ふ一席を、古い音源の復刻版で所蔵してゐる。いつも犬に吠えつかれる男が、おまじなひに“この人噛むな”と掌に書ひてもらひ、それを犬に見せると寄って来なくなったが、仔犬にだけは効き目がなく、「こらアカン、こいつ學校行っとらへん」──そんな噺を、久しぶりに思ひ出した。 . . . 本文を読む
能樂には、その作品世界の理解がだうしても難しい“大作”がある。今日にラジオで放送された觀世流「檜垣」が私にとってはさうした一曲で、もと白拍子と名乗る老女が貴族の男との出會ひをきっかけに水を汲むと云ふ行為に取り憑かれ、ゆゑに死後もそれが執念となって成佛できずにゐる──詠者の経歴が末詳の和歌が下敷きになってゐるこの大作は「重習(おもならひ)」と云って、師匠に“別料金”を拂はなければ教へてもらへないアリ . . . 本文を読む
新宿區立漱石山房記念館で、「永遠の弟子 森田草平」展を観る。明治四十一年(1908年)に生来のだらしのない女遍歴を象徴するかのやうな心中未遂事件を起こし、そのみっともない顛末を小説化した「煤烟(煙)」が縁で夏目漱石傘下となったことにより社会的抹殺から逃れた森田草平の、生誕140年を記念した特別展。と云っても、展示は残された書簡や原稿の一部、そして解説文パネルが中心で、とにかく「字」だらけで目が疲れ . . . 本文を読む
東京都大田區大森西を東西に流れる内川に沿って西へ遡上すると、JR東海道線の線路に行き當たる。本来ならばここで行き止まりだが、土地の“篤志家”が右岸に私設した通路によって、歩行者と自転車は線路下を潜り、向こう側の大田區中央三丁目へと抜けられるやうになってゐる。鐵管と鐵板で組まれたそれは工事現場の假設通路そのまま、足許がなにやら不安定なのは、ただの氣のせいか?しかし、茶番大運動會の時にそ . . . 本文を読む
今年に入ってから一度も灯が入ってゐなかったと思ふ地元の“酒類を提供する飲食店”が、やうやく再開してゐた。 今年は實に厳しい闘ひを強いられてゐることに、私は同情する。さう思ふと、議員に當選した立候補者が「今回はキビシイ闘ひでした……」と涙ながらに挨拶してゐる様など、それがだうした、と鼻で嗤ふものでしかない。 . . . 本文を読む
何事も無い年ならば、今日の今ごろは自治体共催の文化祭に参加し、地元公會堂の舞臺で現代手猿樂を舞ってゐるはずだった。この一年、今日の持ち時間五分のために生きてきたのだ、と。その樂しみを人災疫病のために奪はれて、今日で二年目となる。今年は幸ひ、ずっと氣になってゐたオンライン形式で手猿樂を舞ふ機會を得られたが、やはり舞臺に立ちたいものだ。今まで参加してきた催しについて、今年は何の音沙汰も . . . 本文を読む