孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

台湾・金門島  「中華民国の国民」ではあるものの、「台湾人」ではない人たち

2018-08-30 22:11:56 | 東アジア

(金門島の商店街に共に掲げられた中国の旗と台湾の旗【8月24日 朝日】)

【「五星紅旗」と「青天白日満地紅旗」が並び、中国の人民元が流通 「水がつながった次は、電気と橋だ」】
台湾が領有する金門島は中国本土・福建省の目と鼻の先(最短で2km 金門島と台湾本島は約200km)にあって、かつては中台間で激しい交戦があったこと、その後も厳しい対立の最前線にあったこと、しかし、現在はすっかり観光地化していることなどは、よく知られているところです。

「観光地化」ということは、来島者の多くは中国人であり、中国本土との結びつきが強固になったということでもあります。

最近は国民党政権時代に着手された中国本土からの送水管も完成したこと、その開通式をめぐり水不足に悩んできた地元・金門島と民進党・蔡英文政権の間で対立があったこと(来年台中で行われる予定だった「東アジアユース大会」を中国が圧力で中止させたのを理由に、政権は金門の地元自治体に式典の延期を要請したが、地元側は式典を予定通り開催。台中両国からの政府関係者は参加しなかったとのこと)なども話題になりました。

中台間の激しい砲撃戦から60年ということで、その金門島に関する記事をよく目にしました。

****台湾・金門島、中国依存深める 砲撃戦から60年 商店街に五星紅旗/人民元流通****
中国福建省アモイのすぐ沖合にある台湾の離島・金門島が中国への依存を深めている。フェリーでやってくる中国人観光客を目当てに、商店街に中国国旗がはためき、人民元も流通。中国側から水を供給する送水管もつながった。

かつて中台間で大規模な砲撃戦が交わされてから23日で60年。「最前線の島」と中国との融合が進んでいる。

 ■戦火経験で集客
金門島の陸軍施設で23日に開かれた「八二三砲戦」の60周年式典。厳徳発(イエントーファー)・国防部長(国防相)は、「硝煙が遠くへ去り、砲声は観光客の笑い声に変わった。だが、この戦火の経験があってこそ、平和の貴重さを感じられる」と語り、防衛意識の向上を呼びかけた。
 
1958年のこの日、中台統一を掲げた中国側の大砲撃が始まり、44日間の戦闘で台湾側は500人以上が亡くなった。砲撃戦はその後も断続的に79年まで続き、金門は中台にらみ合いの最前線だった。
 
だが、その硝煙や砲声の記憶はいま、島の観光資源になっている。
 
「第2砲、発射せよ」
軍服姿の解説員が砲撃を指示した。展示された8インチ榴弾(りゅうだん)砲から響いた「パンッ」という空砲の音。見守る約100人の中国人客らが一斉に歓声をあげた。
 
金門東部の高台にある、かつての陸軍の砲撃陣地。現在は毎日6回の砲撃パフォーマンスが披露されている。砲身は、15キロ先の「攻撃目標」である対岸の中国福建省に向いている。その福建省甫田市から来たという観光客の中国人女性(64)は「戦いは昔の話。今は平和で気にしない」。
 
アモイと金門の間で渡航が解禁されたのは01年。初年に951人だった中国からの渡航者は、17年は35万人に増加。今年は更に増える勢いだ。
 
観光客向けの商店街では今年から、中国の「五星紅旗」と台湾の「青天白日満地紅旗」が並んで掲げられている。

店員の李慈涓さん(22)は「お客さんを歓迎する意味。互いの友好の象徴です」と屈託ない。二つの旗の共存は、台湾本島や中国本土では、ほぼ見かけない光景だ。
 
観光施設の売店では、中国建国の指導者、毛沢東の似顔絵をカップにあしらった「毛沢東ミルクティー」も売っている。メニューには80台湾ドル(約290円)に加え、中国の人民元の値段も併記。島の土産物店やタクシーでは、いつの間にか人民元が流通し始めた。

 ■県長は連携訴え
金門と中国側との距離は最短で約2キロ。一方で台湾本島との距離は約200キロある。台湾独立志向のある民進党の蔡英文(ツァイインウェン)政権と中国との関係は冷え込むものの、金門の政治は目の前の大陸を向いている。
 
「水がつながった次は、電気と橋だ」。今月5日、中国側から金門へ水を供給する約16キロの海底送水管がつながったことを祝う式典で、地元自治体のトップ、陳福海・金門県長は中国側との更なる連携を訴えた。
 
アモイと金門は中国語の方言が共通で、49年の中台分裂までは人々が行き交い、親族のつながりも残る。通水計画が決まったのは中台接近を図った国民党政権時代だった。陳県長は無党派で、金門県議会も19議席のうち18議席を国民党と無党派が占める。
 
たった1人の民進党県議である陳滄江氏(63)も祖母はアモイ生まれだ。「金門人の大陸に対する親近感は特別。民主主義や言論の自由など体制の違いを訴えているが、台湾本島とは意識が違う」。民進党は中央では与党でも、金門では野党の存在になるという。【8月24日 朝日】
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中国の「五星紅旗」と台湾の「青天白日満地紅旗」が並んで掲げられ、中国の人民元が流通。「水がつながった次は、電気と橋だ」という話になると、地理的な事情もあって、このまま金門島を台湾につなぎとめていくことができるのだろうか?・・・といった疑問も生じます。

中華民国の106年の歴史上でほぼ一貫して「中華民国領」であり続けた、世界でも稀な土地 「私たちは台湾人ではない」】
砲戦記念イベントにも欠席した蔡英文総統に対し、島では批判的な空気もあるとか。

もともと金門島住民には「私たちは台湾人ではない」「私たちは台湾人じゃなくて、福建人で中華民国人なんです」という意識があるとか。

「台湾」と「中華民国」・・・・この二つは同じもののように思っていましたが、歴史的には微妙な差異があるようで、金門島をめぐる問題の根底には、この意識の違いがあるようです。

****我々は台湾ではない」中華民国を悩ませる離島の現実****
(中略)
砲戦記念イベントを欠席した蔡英文
「なぜ、蔡英文は島に来ないのか?」
 
今年(2018年)8月23日、かつて陳水扁政権時代の副総統だった呂秀蓮が金門島を訪れた際に、地元住民からこうした質問攻めに遭ったと台湾紙『自由時報』が報じている。

呂は記者会見の席で「台湾は(金門島に対して)情がなさすぎる、冷たすぎる。もしも金門が存在しなければ今日の台湾はなかったでしょう?」と発言。蔡英文の姿勢を批判した。
 
この日は、過去に中華民国軍と大陸の人民解放軍が金門島をめぐる激しい砲撃戦「八二三砲戦」を開始した日からちょうど60年目にあたる。

この日の前後、台湾からは当時の戦役に参加した老兵600人以上が島を訪れて記念イベントに参加し、往年の戦いを偲んだ。
 
だが、中華民国現総統の蔡英文(民進党)は、外遊の直後であることや、エルサルバドルが台湾との断交を発表したことによる多忙もあって、金門島でのイベントを欠席。

蔡は公式フェイスブックに「60年前も60年後も、台湾人が故郷を守る決心を砲弾で変えることはできない」と関連する投稿をおこなったのみで、副総統の陳建仁を代理出席させることもなかった。
 
ゆえに、高齢層や金門島の地元住民を中心にうっすらとした反発が広がっている。野党・国民党は同月18日に台北市内で「八二三砲戦」を記念する式典を開き、蔡政権の姿勢に批判的な構えを見せた。

中華民国の最後の大陸領土「金門島」
現在は「台湾」とほぼイコールのようなイメージがある「中華民国」は、かつては中国全土に主権を持つとされた国家だった。

だが、日中戦争の終結直後に起きた第2次国共内戦に敗北し、臨時首都を台北に移転して、台湾島と周辺地域を実効支配する国に変わる。中華民国は1950年代前半までに大陸の主要部をすべて失い、1955年には浙江省の島嶼部の拠点も放棄した。
 
ところが、台湾から見て海峡を挟んだ向こうにある福建省北部の島嶼部の馬祖県と、同省南部の島嶼部の金門県だけは、その後も「中華民国」のまま残存した。この領域が事実上確定したのが、60年前の「八二三砲戦」だったのだ。
 
1958年8月23日、中華人民共和国の人民解放軍は、厦門市の沖に残された中華民国支配地域・金門島の「解放」を目指して大規模な軍事作戦を開始。1カ月半にわたり中華民国軍との間で猛烈な砲戦をおこなったものの、戦略目的を達成できずに終わった。

この砲戦は「八二三砲戦」と呼ばれ、500人以上の死者を出した中華民国軍の頑強な抵抗は語り草となっている。
 
中華人民共和国側は、この後も1960年ごろまで断続的に戦闘行為をおこなうが結果が出ず、やがて決められた曜日に儀式的に砲弾を撃ち込むだけになる。これは1979年まで続いた。

対して中華民国側は、国共内戦の最前線として小さな金門島に10万人の兵士を貼りつかせ、軍政のもとで島内住民への移動制限を布告。民兵の組織化をはじめとした総動員体制を敷いて防衛し続けた。
 
やがて中台間の軍事的緊張が雪解けを迎えた後も、金門県における戒厳令の解除は台湾本島や澎湖島より5年も遅い1992年となり、民主的な県議会選挙の実施もその翌年までずれ込んだ。2002年までは、金門地域だけで通用する紙幣も発行されていた。
 
金門島は、まさに中華民国版の「基地の島」だったというわけだ。徴兵制が敷かれていた台湾では、40代以上の多くの男性が、「最前線」の雰囲気が残っていた時代の島内での勤務経験を持っている。

島民としても、軍隊に地域生活のすべてを管理されていた時代の思い出はいまだに風化し切っていない。
 
そもそも、金門島は第2次大戦中の8年間の日本占領期を除けば、1912年に建国された中華民国の106年の歴史上でほぼ一貫して「中華民国領」であり続けた、世界でも稀な土地でもある(台湾は戦前は日本領、中国大陸の大部分は戦後に中華民国の範囲ではなくなっているためだ)。
 
往年、島を基地化されて砲弾を撃ち込まれ続けるなかで金門島民のプライドを支えたのは、自分たちが中華民国のオリジナルの土地に住み、それゆえに「中華民国」体制を守る立場を担っていることへの自負だったという。
 
往年の八二三砲戦は、そんな島の歴史の象徴だ。それゆえに、現在の中華民国の代表者である蔡英文に島に来てほしいという島民の感情も存在したわけである。

「私たちは台湾人ではない」と話す住民たち
もっとも、島民たちが蔡英文の来島を望んだのは彼女が「中華民国総統」だからであって、別に蔡英文や民進党を支持しているからではない。むしろ、与党・民進党の人気は、金門島内では極めて低い。

「正直、民進党は嫌いです。陳水扁政権時代(2000〜2008年)に進められた台湾正名運動で、パスポートに『TAIWAN』と書かれたり、『中華郵政』だった郵便局が『台湾郵政』に変わったり(注:その後に中華郵政に再度変更)した。でも、私たちは台湾人じゃなくて、福建人で中華民国人なんですよ」
すこし前の話だが、2013年4月に筆者が金門島に行った際に、地元の人からこんな話を聞いたことがある。

中華民国では1990年代の李登輝政権のもとで台湾化が進み、やがて陳水扁や蔡英文など「台湾」のアイデンティティを強調する民進党の総統が登場するようになった。
 
だが、これに複雑な思いを抱くのが金門島の人たちだ。中華民国の台湾化に対しては、内戦後に中国大陸から台湾へ流入した外省人とその子孫たちの一部も反発しているが、彼らは少なくとも現住所の点では「台湾人」である。だが、金門島民はいかなる意味でも「台湾人」ではない。
 
金門島民に言わせれば、自国が「中華民国」ではなく名実ともに「台湾」になってしまうと、自分たちとは本来無関係な「台湾」という国に、島をさながら植民地支配されるような形になってしまうのである。

「そもそも民進党は党旗に台湾しか描かれていない。私たちのことなんか、どうでもいいんでしょ?」
 こ
んな発言からも分かるように、島内で民進党は全然支持されていない。金門県は選挙においては国民党をはじめとする藍営(青色陣営)の票田で、県会議員の約9割が藍営系議員で占められている。(中略)

行政区画のうえでは「福建省」で、地理的にも中国大陸の一部である金門島は、中華民国の各地のなかでもかなり特殊な場所なのである。

やむを得ない面がある「対中傾斜」
ゆえに国共内戦が沈静化した2000年代以降は、金門島はすぐ近くの中国大陸との結びつきを強めている。

多くの島民が対岸の経済特区・厦門市の土地に投資して豊かになり、国民党の馬英九政権時代には中国人観光客の誘致も進んだ。中国大陸客の誘致に対する現地のアレルギー感情は非常に薄い。
 
金門島と対岸の中国領の厦門や泉州は、方言(閩南語。台湾の台湾語も同系統の言語だが、台湾語と違い日本語由来の語彙がない)のレベルでも言語が同じで、親族が金門島と福建省本土にまたがる例もある。

金門島で支持者が多い国民党や新党は中国大陸との交流に熱心で、島全体として中台融和は歓迎ムードだ。
 
今年8月5日には、慢性的な水不足に悩んでいる金門島に対して、対岸の厦門市(中華人民共和国)から水を供給する海底送水パイプが開通した。

この建設は中台関係が良好だった馬英九時代に決められ、蔡英文政権は開通記念式典の開催に難色を示したが、地元は式典の開催を強行。さらに中国大陸からの送電や、両岸を直接つなぐ橋の建設への地元の要望も強い。
 
金門島の中国大陸への接近は、台湾本土や東南アジア各国で進む「対中傾斜」とは意味が異なる。なぜなら島民自身が、自分たちの土地が紛れもない「中国」で、自分自身が「中国人」であると考えているためだ。
 
中国大陸との違いは民国と人民共和国という政体だけで、民族的にも文化的にも同じ。そう考える人たちの地域が中国大陸と結びつきを深めるのは、あながち「悪い」とも言えないのが悩ましいところである。
 
1990年代に民主化してからの中華民国(台湾)は、中国大陸と対峙するうえでの生存戦略の面もあって、人権立国を打ち出すリベラルな国家になった。

台湾では、客家や山地原住民などのマイノリティのアイデンティティを重視する政策が採用され、市民の理解も進んできた。

だが、「第5のエスニックグループ」とも呼ばれる金門島(および媽祖島)の住民について、台湾人の関心は決して高くない。
 
まぎれもない「中華民国の国民」ではあるものの、「台湾人」ではない人たち――。中国への警戒感を強める蔡英文政権にとって、過去の歴史のいたずらが作り出した金門島住民の問題は、なかなか頭の痛い話ではある。【8月30日 安田 峰俊氏 JB Press】
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台湾に関しては、いつも(台湾本島の人々が感じる、中国本土とは異なる)「台湾人としてのアイデンティティ」が話題になりますが、「第5のエスニックグループ」とも呼ばれる「中華民国の国民」ではあるものの、「台湾人」ではない金門島の人たちの存在というのは、非常に興味深い話です。

部外者には“興味深い”で済みますが、問題を大きくしないためにも、蔡英文政権はもっと配慮した方がいいように思えます。
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