(高台から壁の向こうの米国側を見つめる人たち=メキシコ・ティフアナ【5月6日 GLOBE+】)
【欧州が門戸を閉ざし、南米経由で「ダリエンギャップ」を超えてアメリカを目指す人々】
アフリカから欧州を目指す人々、中南米からアメリカを目指す人々などの移民・難民に関する記事は多々あります。
どれも心に重く残るものがありますが、受け入れ国側にも無条件では受け入れられない事情(自分たちの利益を守りたいという思い)もあり、どうしたらいいのか・・・というところでは答えが見つかりません。
そうした記事の比較的最近のもののなかから、特に印象に残ったものをいくつか。
アメリカでトランプ大統領が壁で追い払おうとしている、主に中米「北の三角地帯」と呼ばれるホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの3カ国からアメリカを目指す人々はよく取り上げられており、それはそれで悲惨なのですが、その中にはアフリカ・アジア各地からの人々も混じっているそうです。
欧州への入国が難しくなったため、南米エクアドルやブラジルからコロンビア経由でアメリカを目指すためのようです。
また、そのように南米からアメリカをめざす場合、パナマにはルートの空白地帯「ダリエンギャップ」という「壁」が存在するそうで、彼らはそこを命がけで乗り越えてアメリカを目指すとか。
****4年で100倍、アメリカを目指す移民はなぜパナマのジャングルを目指すのか****
「エクソダス」壁を越える移民たち
南北アメリカ大陸は地図上ではつながってみえるが、車で渡ることはできない。北米アラスカから南米パタゴニアまで縦断する「パンアメリカン・ハイウェー」が途切れる空白地帯「ダリエンギャップ」があるからだ。
密林と湿地。マラリアや毒蛇。麻薬カルテルと武装組織。直線距離で100キロほどの「空白地帯」に潜むいくつもの危険が、豊かな北米への道を阻む「壁」になってきた。
ところがここ数年、ダリエンギャップを越え、遥かアフリカやアジアから米国を目指す移民たちが増えている。その先の道のりも、「エクソダス」(大量脱出)と呼ばれる移民集団の出現で一変しているという。何が起きているのか。
■おもちゃ屋2階の安宿
「ホテル・グッドナイトに行け」
南米から北米を目指す移民が集まる中継地と聞き、コロンビア北部メデジンからバスで9時間かけて着いた港町トゥルボ。材木が積まれた船着き場で移民がいそうな場所を尋ねると、一言、そう言われた。
それは、移民局のそばのおもちゃ屋の上にある安宿だった。「Good Nigth」とつづりを間違えた看板を掲げた2階からフロントに入ると、受付の女性のポロシャツの胸には、今度は「Goog Night」の刺繍。案の定、スペイン語しか通じない。
それでも、移民が集まる理由はこの宿の名にあった。宿帳にはインドやパキスタン、ガーナやエリトリアなどアジアやアフリカの国々の名が並ぶ。
ホテルの通路に、カメルーン人が集まっていた。同国では少数派の英語圏住民で、政府軍に家を焼かれ国を逃れたという。元大学生の男性(25)は「英語名のホテルだから言葉が通じるかも」と、ここを選んだ。同じ境遇の仲間を見つけ、ともにダリエンギャップを越えて北米を目指す。「家で兵士に射殺されるのを待つより、密林で死ぬ方を選ぶ。命がけです」
窓のない部屋の壁を見ると、「心配するな、神とともにある」と英語の小さな落書きがあった。
■「速度を落とせば転覆する」
翌朝、郊外の波止場からダリエン湾を渡るボートに乗り込むと、すし詰めの乗客45人のうち、41人が移民で、中には子どもも10人いた。ビーチリゾートの町に向かう一般の定期便だが、オフシーズンのいまは、移民船のようになっていた。
出発するや小さなボートは荒波を猛スピードで進む。すぐに波しぶきで目を開けていられなくなった。10秒ごとに波がしらを越え、乗客の体がそろって宙に舞い、着水のたびに椅子に打ち付けられて悲鳴が上がる。歯を折りかねない。慌ててハンカチを口に含もうとしたが、手すりから手を離せなかった。(中略)
■「天国」への道
船旅を終えた移民たちは夜明け前、「コヨーテ」と呼ばれる密航手引き人とともに数十人の集団になって、町はずれの山道から自然保護区のジャングルに入るという。その入り口には、看板が立っていた。
「El Cielo」。スペイン語で「天国」を意味する。いくつもの山を越えて崖を下り、川を渡った先に、天国を思わせる美しい湖沼があるという。だが道中は、誘拐や強盗、置き去りといった危険に満ち、けがや熱帯病で歩けなくなっても助けは来ない。港に面した宿のオーナー、ネシー・ホハナ(30)は「捨てられた服と人骨、とりわけ子どもの骨がよく見つかる」と話した。(中略)
■ジャングル最奥の多国籍な村
川を十数回渡り、いくつもの牧場を通り抜けて5時間半。隣町に着いた時には日が暮れかけていた。移民たちはこの密林の奥を、小川の水をすすり、ビスケットを食べながら1週間ほどかけて越えて、パナマ側にある人の住む村を目指す。
私は、パナマ市から移民が到着する地を目指した。その一つで、少数民族が暮らすジャングル最奥の村バホチキトを訪ねると、まるで国際会議を思わせるような多国籍の顔ぶれであふれかえっていた。
川べりで水浴びするハイチ人やペルー人、高床式住居の木陰には青いターバンを巻いたインド人。人口約250人の村に世界中からの移民が約450人も集まっていた。
国境警備隊の詰め所の黒板には、ネパールやスリランカといったアジア、コンゴやカメルーンなどのアフリカ、キューバなどのカリブ海まで、20を超す国名と人数がチョークで殴り書きされていた。
移民が増えたのは2015年ごろという。体を壊す人も少なくなく、前日にもアフリカ系の人の水死体が見つかっていた。村はずれの墓地には、土を盛ったばかりの跡があった。
女性や子どもの姿も目立つ。近くの村で会ったハイチ人女性は15人のグループで6日間、密林を歩いた。「食べ物がなくて本当に大変で、マラリアになった人もいます。でも子どもは米国で産みたいんです」と膨らんだおなかをさすった。
■コロンビアからパナマへ、4年で100倍
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計を見ると、コロンビアからパナマに入った外国人は11年に300人足らずだったのが、15年と16年は約3万人に。わずか4年で100倍に膨らんだ。
その出身国はアフリカ、アジアを中心に約50カ国に及ぶ。なぜわざわざ南米に渡り、危険なダリエンギャップに身を投じて北米を目指すのか。
UNHCR中米キューバ地域代表ジョバンニ・バス(48)は、「欧州に向かう地中海ルートが困難になり、だれもが代替ルートを探していた」と話す。中東やアフリカなどから難民が殺到した15年の「欧州難民危機」で欧州諸国が門戸を狭めたため、代わりに米州に向かうようになった、というのだ。「密林を抜ける危険が、十分に理解されているとはとても思えない」
この新しい流れの中で、米州に目を向けた移民の「玄関口」になったのが、多くの国からビザなしで入国できるエクアドルや、五輪やワールドカップで外国人労働力を受け入れてきたブラジルだ。
国を逃れざるをえない人、貧しい母国に帰らずに豊かな国を目指す人。ダリエンギャップはこうして、彼らが明日を描くのに、どうしても越えなければならない「壁」になっていった。
ダリエンギャップを越えた移民たちはその後、さらに北上し、「北の三角地帯」と呼ばれるホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの3カ国から米国を目指す人たちの波に流れ込んでいく。
警察やギャングを恐れ、人目を避けて身を潜める「伏流水」だった移民の流れが突然、堂々とした「大河」に変貌したのは昨年10月のことだ。数千人規模のキャラバンを組んで米国境に迫り、中間選挙を前にした米大統領トランプが「侵略者だ」と非難したことで世界中のメディアの注目を集めた。
「エクソダス」(大量脱出)と呼ばれ、「完全にゲームを変えた」とも言われるキャラバンの背景に何があるのか。私は同行することにした。(後略)【5月6日 GLOBE+】
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【大量難民が出ている内戦国イエメンに命がけで渡る人々】
一方、激しい内戦と飢餓・コレラに苦しみ大量の難民を出している中東イエメンにアフリカ各地から命がけで渡ろうとする人々が絶えないそうです。イエメン経由でサウジアラビアを目指す人々です。
****密入国、内戦のイエメンへ アフリカから死の危険冒しても/はびこる密航業****
中東イエメンは内戦で「世界最悪の人道危機」と言われ、約18万人が周辺国に逃れている。ところが、逆にイエメンへ密入国するアフリカの若者が後を絶たない。さらに北隣の産油国サウジアラビアに渡って稼ぐためだ。
イエメンと海峡を隔てて約30キロのジブチ。首都ジブチから北へ向かう幹線道路に、1・5リットルのペットボトルを手に歩く若者を50人以上見かけた。ほとんどが隣国エチオピア出身で、国境から150キロ以上歩いて密航船が出るオボックを目指す。
エチオピア中部出身のムハンマド・イドリスさん(22)がのどの渇きを訴えて記者の車を止めた。手には水を入れるために拾った食用油の容器。気温は38度。野宿しながら国境から15日かけて歩いてきた。
イドリスさんは1年半前にも密航船でイエメンに入ったが、武装した男らに拘束され、親族は身代金を要求された。そのとき受けた拷問の傷が首筋に残る。解放後にサウジで羊飼いとして2カ月働き、不法滞在で強制送還。だが故郷は仕事もなく貧しい。危険を冒してでも再びサウジに渡ることを決めた。
持ち物は刃渡り10センチのさびた護身用ナイフと2枚の顔写真。「途中で死んで顔がわからなくなっても写真があれば誰かわかるから」
ジブチは以前からサウジなど裕福な産油国への経由地になっていたが、2012年ごろから人の流れが増加。国際移住機関(IOM)によると、隣国ソマリアなどから出る者と合わせると、16年に11万7千人がイエメンに渡り、17年も9万9千人。大半がエチオピア人で、一部にソマリア人もいる。
夏場の気温は50度になり、のどの渇きや病で息絶える者もいる。船は強風や高波、客の乗せ過ぎで時折、転覆する。内戦状態と知らずに入ったイエメンで戦闘に巻き込まれたり、誘拐されたりすることもある。無事にたどり着けるのは、ごく一部だ。
オボック周辺には、対岸のイエメン人らと共謀して密航ビジネスで稼ぐ業者がいる。沿岸警備隊などが取り締まるが、当局者は「海岸線は100キロ以上あり、密航業者が動くのは夜中。すべてを止めるのは難しい」と話す。
「我々の助けなしでサウジにたどり着くのは不可能だ」。モウラと名乗る密航業者の男(48)はそう断言した。エチオピアやイエメンにネットワークを持つ「ビッグボス」の下で働いていると自慢した。(中略)
内戦下のイエメンに事情を知らない人々を送り込む点をどう思うのかと問うと「やつらは知っているさ」と反論し、こう付け加えた。「需要があるからビジネスをする。それだけだ」
■貧困背景、裕福なサウジ目指す
(中略)それでも多くの若者が流れ込むのは経済上の理由だ。中国などの支援で急速な経済発展を遂げるエチオピアだが、17年の1人当たり国民総所得は740ドル(約8万1千円)で、2万90ドルのサウジの27分の1程度。しかも都市と農村の格差が大きい。
「サウジに行けば金持ちになって仕送りもできる」といった密航業者の話が「サクセスストーリー」として広まる。
中部の農村出身のアブドルファッターハ・ムハンマドさん(19)は、家族が財産の牛1頭を売って密航業者に払う約6万円を工面。家は貧しく、8人兄妹の末っ子のムハンマドさんは学校には5年通っただけだ。
イエメンの内戦は知らず、ジブチで国際機関の説得を受けて思いとどまった。「金を作って送り出してくれたのに、家族にどう説明すればいいのか。期待されていたから帰るのも怖い」(5月16日 朝日)
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【「壁」で分断された二つの世界】
そして壁をはさんで分断される二つの世界。
****流れ作業で移民に有罪判決 壁が分かつ世界の現実****
米大統領トランプが掲げ、米社会を揺さぶり続けるメキシコとの国境の壁建設計画の現場をみようと2017年8月、私は米国とメキシコの国境3200キロをたどった。
四半世紀をかけて築かれた1100キロにおよぶ「壁」の周辺には、毎年数十万人が検挙され、数百もの遺体が見つかる異様な世界が広がっていた。
米南西部アリゾナ州ツーソンの地方裁判所。証言台にラフな格好の男性6人と女性1人が、弁護士に付き添われて横一列に並んでいた。数日前に不法入国容疑で逮捕されたメキシコなどからの移民だった。
「通関施設を通らずに入国しましたか」。裁判長が英語で、日時と場所だけを替えた通りいっぺんの質問をすると、移民たちはスペイン語で一言「シー(はい)」と答える。審理は1人わずか1分40秒。全員に有罪判決が言い渡され、すぐ次の7人が入ってきた。
「オペレーション・ストリームライン」(流れ作業)の名の通り、ベルトコンベヤー式に進む裁判に私は戸惑った。移民に犯歴をつけて再犯時の刑を重くし、再び越境するのを思いとどまらせる狙いで2005年に始まった。人権を軽視した「移民処理工場」との批判が絶えない。
だが、彼らは命があるだけまだ幸運かもしれない。私はツーソンにある移民の支援団体の事務所で、「デスマップ」(死の地図)と呼ばれる地図を見たときの悪寒を思い出した。国境周辺の広大な砂漠が無数の点で赤く染まっていた。一つ一つが遺体の発見場所だ。
「移民はどんどん砂漠の奥地に向かっています」。地図をつくっている団体の代表ダイナ・ベア(66)は、硬い表情を見せた。
米側で国境管理強化を求める声が強まり、1990年代に西海岸の都市部に壁ができると、2000年代には東の砂漠に回り道する移民が増加。
人里離れて警備が手薄な砂漠にあえて踏み込み、途中で力尽きたとみられる移民の遺体が年に百数十体も見つかるようになり、地元に動揺が広がった。
自動小銃で武装した自警団ができる一方、ベアたち支援団体が砂漠に水タンクを置く活動を始めた。
私は自警団や支援団体に同行して3日間、国境近くの砂漠を回った。雨期で緑は豊かだったが、気温は40度を超え、足元はトゲのあるサボテンだらけで、毒蛇もいる。「3週間もあれば白骨化し、身元も死因も分からなくなってしまう」。検視官の話にぞっとした。
国境は高さ5メートルほどの鉄柵で仕切られ、センサーを備えた監視塔が周囲を見下ろしている。この「壁」を越えたメキシコ・ノガレスは、米国を目指す移民の拠点だ。
夕方に支援施設を訪ねると、礼拝堂の床の上で数人が力尽きたように寝入っていた。マイクロバスが横付けされると、この日強制送還されたばかりの移民が続々と入ってきた。
「水が尽きてから2日間歩き続けた。たくさんの遺体を見た」(農場作業員)
「マフィアの許可なく壁を越えると殺される。金が払えないなら麻薬を背負えと言われた」(車塗装工)
移民たちは、追い詰められた様子で苦境を訴えた。
10年代に入ると、砂漠に加え、国境の東半分に沿って流れるリオグランデ川での遺体発見が相次ぐようになる。治安が悪化した中米から逃れ、川を渡ろうとする移民が急増したためだ。
トランプ政権が真っ先に目をつけたのも、この川だった。壁建設計画を示し、地元で激しい反対運動が起きていた。
四半世紀の間に雇用確保やテロ防止、麻薬対策など様々な理由で、壁は延び続けた。ひとたびできると、壁を隔てて新しい二つの世界が生まれていく。
その現実を取材の終盤に、西海岸で米国と国境を接するメキシコ北部ティフアナで出会った家族が教えてくれた。鉄柵を握りしめた看護師ベロニカ・ルビオ(41)の視線の先、壁の向こうに、生後3カ月のめいソフィアの姿があった。目を細めても、抱きしめることはできない。壁がつくった冷徹な現実だった。(後略)【5月3日 GLOBE+】
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【それでも「壁」を超える人々】
「壁」を築いて排除しようとしても、命がけで壁を越える彼らを思いとどまらせることはできません。
****「必死に壁をジャンプした」****
彼らの旅の終着点は、米国との国境を高さ5メートルほどの壁で阻まれたメキシコ国境の町ティフアナ。難民申請の窓口に行くと面接までに数週間待たされるため、壁を乗り越えて米国境警備隊に出頭する移民が多いという。
彼らはその後、施設に収容されたり、監視用のGPS機器をつけられたりしながら、米国内で審査の結果を待つことになる。(中略)
移民支援団体「ボーダーエンジェルズ」のウゴ・カストロ(47)は、壁を越える彼らの姿を思い起こした。「必死だった。地元住民にも迷惑がられ、もう待てない、と思ってジャンプしていったよ」
■得をしたのは誰だ
エクソダスが押し寄せたのは、米中間選挙の直前だった。(中略)トランプには最高の贈り物で、完璧なタイミングだった」という専門家もいた。得をしたのは、トランプだった。
そして、再選に向けて動き出したトランプは「壁をつくれ」に続く新しいキャッチフレーズをつくった。「壁を完成させろ」。国家非常事態を宣言し、中米3カ国への援助停止を表明した。
国境を閉鎖すると脅されたメキシコは4月下旬、数百人の移民の一斉逮捕に踏み切った。逃れた移民たちは貨物列車の屋根に飛び乗って、北を目指した。
■なぜ壁を越えるのか
ダリエン湾を渡るボートが出るトゥルボから米国境に面したティフアナまで、飛行時間でわずか10時間ほど。移民たちが命がけでたどる約7000キロの道のりを眼下に見ながら、日本のパスポートを持っているというだけで、自由に、そして安全を考えた上で目的地に行ける「特権」が不条理に思えた。
貧困、治安、政情不安など理由は様々だが、移民たちに共通しているのは、母国で生きることへの絶望だ。
失意の弱者たちは今、集団になることで、かつてない力を手に入れた。それが、グローバル化の恩恵を受けた国で格差にあえぐ弱者をいらだたせる。その連鎖が「自国第一主義」を加速させていく。
しかし、「壁」を築いて排除しようとしても、命がけで壁を越える彼らを思いとどまらせることはできない。その過程で多くの命が失われ、分断が深まっていく。
回り道のように見えても、人々が母国で希望を持てるようにするために、手を携えるしかない。移民集団の出現は、特権を享受している私たちにその責任を問いかけている。【5月6日 GLOBE+】
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