孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ペルー  ペルー日本大使公邸占拠事件当時と変わらぬ貧困・格差 混迷する急進左派政権

2022-04-24 23:21:11 | ラテンアメリカ
(ペルー議会で3月28日、カスティジョ大統領の汚職疑惑を巡り弾劾裁判が開かれ、同氏は就任してから法を犯したことはないと改めて無罪を訴えた。写真は3月28日、リマで撮影 【3月29日 ロイター】)

【フジモリ氏 最高裁が保釈認めるも、米州人権裁判所が認めず】
1990年にペルー大統領に就任した日系2世のアルベルト・フジモリ元大統領は、経済を回復基調に乗せ、左翼ゲリラの掃討作戦でも実績をあげましたが、一方で政権の腐敗を隠すための言論統制、貧困撲滅を目的とした強制避妊政策などの強権支配の側面も色濃く、2000年には三選を禁じた憲法規定を強引に解釈して立候補。

不正選挙の批判もあった2000年選挙で三選を果たしたものの、直後に政権の腐敗・汚職が明るみに出るなかで失脚、国際会議途中に立ち寄った東京で事実上の亡命をする事態に。(日本政府は、フジモリ元大統領は日本国籍保持者であるため、日本滞在には何の問題もないとした。【ウィキペディア】)

ペルー国内では、フジモリ氏の辞任を求めず、罷免。2006年大統領選挙出馬のために日本を離れて南米チリに向かった際に逮捕。

その後、2007年には日本の参議院選挙に国民新党(自民党を離党した亀井静香氏らが立ち上げ)から立候補するなどの紆余曲折もありましたが、母国ペルーで軍による民間人殺害への関与など、人権侵害、汚職などの罪で告発され、有罪となり服役。

恩赦を求めるとも見られる長女のケイコ・フジモリ氏の政権獲得も今一歩及ばないなかで、ここ数年は体調を崩して入退院を繰り返し、恩赦が許されたり、取り消されたり・・・と、同氏の扱いは政治マターになる状況でした。

そうした経緯を経て、下記最高裁判断でついに釈放か・・・と思われましたが・・・
同氏は動脈閉塞で心臓手術を受け、現在は日常的に人工呼吸器が必要な状態とされています。

****フジモリ元大統領の釈放、ペルー憲法裁判所が認める…禁錮25年の実刑確定から12年****
南米ペルー紙レプブリカ(電子版)によると、同国の憲法裁判所は17日、服役中のアルベルト・フジモリ元大統領(83)の釈放を認めた。
 
フジモリ氏は、在任中の人権侵害事件で2010年に禁錮25年の実刑が確定。17年12月に高齢や病気を理由に人道的恩赦を認められたが、後に取り消され、19年1月から再び収監されていた。【3月18日 読売】
*******************

しかし、米州人権裁判所が人道的恩赦を履行すべきでないとの決定。

****フジモリ元大統領、釈放遠のく 恩赦不履行をと米州人権裁****
米州人権裁判所(本部コスタリカ)は8日までにペルー政府に対し、服役中のアルベルト・フジモリ元大統領(83)にペルーの憲法裁判所が認めた人道的恩赦を履行すべきでないとの決定を出した。ペルー政府は同人権裁の判断に従うとしており、フジモリ氏の釈放は遠のいた。
 
フジモリ氏は在任中に左翼ゲリラと間違えられた市民らが軍に殺害された事件で、禁錮25年の判決が確定して服役中。(後略)【4月9日 共同】
*********************

【ペルー日本大使公邸占拠事件から25年 未だ変わらぬ貧困と格差】
上記概略のように単に日系2世の大統領というだけでなく、日本政界とも非常に近い関係にあったフジモリ氏ですが、同氏と日本の関りを鮮明にし、同氏の強い指導者として評価を強めた事件が1996年に起きたペルー日本大使公邸占拠事件でした。

****ペルー日本大使公邸占拠事件****
1996年12月17日夜に発生。左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」の武装グループ14人が、天皇誕生日を祝うパーティー中だった首都リマの日本大使公邸を襲撃。600人を人質に立てこもり、服役中の仲間の釈放を求めた。

フジモリ政権は要求を拒否し、事件は長期化。97年4月22日、軍特殊部隊がひそかに掘った複数のトンネルを使って公邸に突入し、人質として残っていた72人のうち、日本人24人を含む71人を救出した。MRTA側は14人全員が射殺された。【4月21日 毎日】
*****************

事件の解決から25年を迎えた22日には、首都リマで式典も行われました。

****ペルー人質事件解決25年で式典 日本大使公邸レプリカ前で****
ペルーの日本大使公邸人質事件の解決から25年を迎えた22日、首都リマの陸軍施設にある公邸の原寸大レプリカの前で軍主催の記念式典が行われ、出席したカスティジョ大統領らが犠牲者を追悼した。
 
式典には片山和之・駐ペルー日本大使や人質となった元軍関係者ら、救出作戦に参加した軍特殊部隊メンバーも出席した。(後略)【4月23日 共同】
********************

25年前の事件の背景となった貧困や格差の問題は今も残存し、現在のペルー政治の混乱を惹起しています。

****ペルー日本大使公邸事件25年 貧困や格差の構造、今も変わらず****
最大600人以上が4カ月間人質に取られた南米ペルーの日本大使公邸占拠事件の解決から22日で25年になる。事件の背景にあった貧困や格差の問題はその後も解消されず、ペルー社会は今、新たな混乱の渦中にある。
 
「鶏のむね肉やもも肉も、調理用ガスも買えない」
首都リマのスラム街の一つ、ビジャ・マリア・デル・トリウンフォ地区。住民有志でつくる炊き出し団体の代表、レオナルダ・アラニアさん(47)は毎日新聞の電話取材にため息をついた。以前はコメやマメの煮込みなどを毎日用意できたが、現在はより安く作れる鶏の皮や骨、野菜が入ったスープのみの日が週3日に増えた。「物価が上がり、栄養のある食事を作れなくなっている」
 
ペルーは食料品や燃料の国際価格の上昇などによるインフレに悩まされている。ロシアによるウクライナ侵攻の影響でさらに物価が高騰。国家統計情報庁によると、リマ首都圏の3月のインフレ率は前年同月比6・82%と、中央銀行の目標上限である3%を10カ月連続で超えた。インフレは特に、労働者の約75%を占める非正規雇用の庶民を直撃している。

苦境にあえぐトラック運転手や農業従事者らは3月末ごろから、国道を封鎖するなどのデモを展開した。リマではデモ隊の一部が暴徒化し、警官隊と衝突。4月6日までに少なくとも6人が死亡した。

4月中旬以降は大規模なデモは起きていないが、政府は国道を対象に30日間の非常事態宣言を出し、集会の自由を制限するなど警戒を続ける。
 
デモの原因には政治への不満もある。ペルーでは近年、汚職疑惑などで大統領が相次いで交代している。2016年以降に就任した5人目の大統領となる急進左派のカスティジョ氏も21年7月の就任以来、すでに3度、内閣が総辞職。公共工事を巡る汚職などの疑惑も浮上する。

地元紙レプブリカの今年3月の世論調査によると、支持率は24%で、不支持率は68%。5年の任期を全うできるか疑問視する声も出ている。
 
1996年に発生した日本大使公邸占拠事件も、80年代のハイパーインフレに伴う経済、社会の混乱が遠因となった。
 
事件を起こした左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動」(MRTA)は83年、貧富の差が拡大し、社会不安が高まる中で結成された。別の左翼ゲリラ「センデロ・ルミノソ」(スペイン語で「輝く道」)と並びテロを頻発させ、80年代以降に推定7万人が犠牲になったとされる。

90年に誕生した日系2世のアルベルト・フジモリ大統領はインフレを抑え込み、新自由主義政策を推進して経済を回復基調に乗せた。左翼ゲリラの掃討作戦も主導してテロを沈静化させ、95年に再選を果たす。
 
だが、社会が安定に向かうかに見えた状況下で事件は起きた。ペルー・カトリック大のダビド・スルモント教授(政治学)は「当時、MRTAはセンデロ・ルミノソと同様、既に弱体化しており、事件が最後の目立った活動だった」と指摘した上で、「フジモリ政権下で取り残された貧困層の支持を得て再起を図ることが、MRTAの目的だった」と分析する。

日本大使公邸が狙われたのは、フジモリ政権に対する日本政府の多額の援助が国民全体に行き渡っておらず、格差が拡大したとMRTAが見ていたことが理由とされる。
 
結果的に、軍特殊部隊による人質救出作戦が成功したことで、国民に支持されたのはフジモリ氏だった。スルモント氏は「作戦は世界的に評価され、フジモリ氏の政権基盤は強化された」と語る。
 
一方で、事件後も格差は残った。3選を狙うフジモリ氏の政策から貧困対策は抜け落ち、以降の歴代政権も新自由主義路線を踏襲。00年代には中国の経済成長に伴いペルーの主要産品である銅の需要が伸び、高い経済成長を遂げたが、効果的な再分配政策は打ち出されなかった。
 
調査会社イプソスによると、21年の世帯収入別の割合は、平均月収1万2647ソル(約43万6600円)の層が1%、同6135ソルの層が9%、1242〜3184ソルの層が90%。それぞれ1%、4%、95%だった03年と比べても、低収入層が圧倒的に多い状況は変わっていない。
 
日本大使公邸占拠事件で5日間、人質となった京都大の村上勇介教授(ラテンアメリカ政治)は「ペルーでは伝統的に各政党が支持者らとの利害関係で動く傾向が強い」と指摘した上で、「どの政権も自分たちの利益を優先し、社会全体に還元しようという考えに至らないことが、貧困と格差の問題が改善されない大きな原因だ」と強調する。
 
フジモリ氏は00年に連続3選を果たしたが、側近の野党買収疑惑が発覚して失脚。10年には大統領在任中の軍による市民虐殺事件に関与したとして禁錮25年の判決が確定し、収監された。18年1月に高齢や病気を理由とした恩赦で釈放されたが、9カ月後に恩赦が取り消され、再び収監された。

スルモント氏は「フジモリ氏は強い指導力を発揮したが、今では人権侵害などのイメージが強く、強権的な政治家と見られている」と話す。
 
在ペルー日本大使館によると、事件の舞台となった日本大使公邸は解体され、現在も更地のままになっている。米国務省が01年にMRTAの外国テロ組織の指定を解除するなど、左翼ゲリラは退潮した。だが、村上氏は「格差と貧困の構造を根本的に変えなければ、反政府武装組織が再び台頭する恐れがある」と警鐘を鳴らす。【4月21日 毎日】
***********************

【急進左派カスティジョ政権の混迷】
上記記事にもあるように、今月上旬にはウクライナ情勢によるインフレから混乱が起き、30年ぶりの外出禁止令が出される事態にも。

****ペルーで物価高騰に抗議デモ ロシア経済制裁の余波****
南米ペルーで物価高騰に対する抗議デモが全国に広がり、警官隊との衝突などで6日までに5人が死亡した。カスティジョ大統領は同国史上2度目となる30年ぶりの外出禁止令を5日発令したが、反発した市民が複数の役所になだれ込むなど混乱が広がった。

物価高騰はウクライナに侵攻したロシアに対する経済制裁の影響によるものでウクライナ危機の余波が南米に及んでいる。

ロイター通信によると、ペルーでは最近2週間で燃料や肥料が値上がりした。昨年の大統領選でカスティジョ氏を支えた地方の庶民の暮らしが打撃を受け、トラック運転手や農民らが抗議に加わり、各地で幹線道路の通行を妨げた。

南部イカでは4日、料金所が放火され、デモ隊が警官隊と衝突。同日夜、カスティジョ氏は「全ての国民の基本的権利を守る」として首都リマを対象に5日限定の外出禁止令を出した。

5日のリマは幹線道路や港などで厳戒態勢が敷かれ公共交通機関も運休。バスを待っていたという45歳の男性はAP通信の取材に「子供が4人いる。1日働けなかったら食べていけない」といらだちを募らせた。

ペルー政府が外出禁止令を出したのは、フジモリ元大統領が1992年に騒乱を鎮めるため、憲法を停止し、国会を閉鎖した「自主クーデター」以来。政権基盤が不安定なカスティジョ氏が権力を掌握するため強権的な手段に出たとの観測も広がった。

同氏は昨年7月の大統領就任以降、議会で罷免決議案を2度提出され、閣僚の交代も相次いでいる。最近の支持率は約25%と低迷している。【4月7日 産経】
*********************

昨年6月の大統領選挙で、アルベルト・フジモリ氏の長女、ケイコ・フジモリ氏(46)を僅差で破り大統領に就任した急進左派のカスティジョ大統領の統治は迷走しています。

****政治的混迷を露見させるペルー大統領の迷走****
ペルーのカスティージョ大統領の迷走ぶりは、国際的メディアの注目を浴びるまでになっている。

1月31日、バスケス首相は、国家警察における汚職への対応などで、カスティージョへの不信感を強めたこともあり、辞表を提出した。翌日、バレール議員を新首相に任命するも、過去の家庭内暴力問題が表面化し、早くも2月8日に更迭、アニバル・トレス前法務相が後任の首相に任命された。カスティージョにとり4人目の首相となる。

もともと地方の小学校教師で教員組合のストライキを指導した程度の政治経験しかないカスティージョは、党首が汚職問題で立候補できない共産主義政党ペルー・リブレの候補に担がれたに過ぎなかった。

しかし、その新鮮なイメージが首都リマでの既成政治家の権力闘争に辟易していた地方の有権者の共感を呼び、ケイコ・フジモリとの決戦投票でも僅差で勝利するという幸運が重なった。従って、カスティージョにはもともと大統領に必要な知識や経験もなかった。
 
今回の騒動で最も問題なのは、政治経験も豊富で大統領を補佐することが期待されたバスケス首相の辞任が、大統領への不信感と優柔不断を理由としている点だ。すなわち、政策上の問題ではなく、資質を問題としているのである。
 
カスティージョは、ペルー・リブレの候補として当選したが、同党は、一院制の議会の130の議席のうち32を占めるに過ぎず、中道派と右派で過半数を超えるので、政権運営のために左派急進的主張を押さえ、ペルー・リブレとあえて距離を置き始めていた。バスケス等の左派穏健派の閣僚の補佐により、中道派の支持を得て穏健な左派路線を歩む可能性も期待されていた時期もあった。
 
混乱を招いている原因は、カスティージョの種々の政策判断を補佐官らのインナーサークルが影の内閣として牛耳っており、首相や閣僚の意見よりもそれらの側近の助言が重視されたためと言われている。インナーサークルの人材は、カスティージョの地元の知り合いや縁故によるもので、また一部には腐敗の噂も付きまとっている。

カスティージョとしても他に信頼できる相談相手はおらず、このインナーサークルの意見に振りまわされているようである。(中略)
 
いずれにせよ、トレス新首相の立ち位置や、ペルー・リブレ所属の閣僚が何人か入閣したことから、カスティージョ政権が軸足を左に戻した印象がある。いずれにせよ、カスティージョが今後も側近らのインナーサークルの助言に頼るのであれば、頻繁な政策変更や発言の撤回の傾向は変わらず、政治的混迷が引き続くことは免れないであろう。

フジモリ派などの右派は、混乱を招いたカスティージョの辞任を求め、新内閣を揺さぶり弾劾の機会を今後も窺うであろう。

軍部クーデターの可能性は?
大統領、首相が議会議長や中道派と協力して、議会における多数派を形成する協約のようなものができる可能性は、大統領の能力、過去のしがらみ、利害関係の交錯から、低いと言わざるを得ない。

他方、カスティージョの議会による弾劾もハードルが高く、仮に弾劾に成功しても昇格する副大統領も同様の困難に直面するであろう。一部に、軍部のクーデタの可能性を論ずる向きもあるが、望ましくないし、現実の可能性も低いであろう。
 
大統領制の下で価値観の分裂により小党が分立する結果、議会に十分な基盤を持たない大統領と議会が対立し機能が麻痺してしまう状態は、制度的に避けられない現象であろう。前政権では、昇格した副大統領も弾劾され、結局議会で暫定大統領を選出することで政局はとりあえず安定した。
 
現在のペルーの制度の下では、さまざまな国民の要求を集約し多数派が形成される政治過程の仕組みができておらず、政治指導者にそのような問題解決の能力がないのであれば、当面現在の政治的混迷から脱出することは難しいであろう。【3月4日 WEDGE Infinity】
*****************

上記記事でも触れられている議会による弾劾は否決され、政権は当面の政治危機は逃れています。

****ペルー議会、大統領の弾劾決議案を否決****
南米ペルーの議会は28日、カスティジョ大統領に対する弾劾の是非を問う投票を行い、賛成票が必要な数に届かず否決された。定数130の議会で弾劾を決議するには賛成が87票以上必要だったが、55票にとどまった。

当面の政治危機を逃れたものの、就任1年足らずで閣僚の辞任が相次ぐなど、厳しい政権運営が続いている。

カスティジョ氏は元教師で、昨年の大統領選に僅差で勝利したが汚職疑惑が浮上していた。採決に先立ち、同氏は就任してから法を犯したことはないと改めて無罪を訴えた。

議会で演説し、「残念なことに当選以降、わたしを罷免に追い込むことが政治およびメディアの行動の中心軸となってしまった。これを続けるわけにはいかない」と強調。無罪を主張した上で、政治および経済危機を脱するために結束を呼び掛けた。

カスティジョ氏は2016年以降で5人目の大統領。18年に当時のクチンスキ大統領が罷免決議の採決を前に辞任し、20年に議会は当時のビスカラ大統領に対する罷免を可決した。【3月29日 ロイター】
******************

弾劾は免れたものの、ペルー政治の混迷はしばらく続きそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする