ネパール、ブータン、バングラデシュに囲まれた細い回廊でインド本体とインド東北部はつながっています。
今回、中印両国がにらみ合っているのは、この地域のブータン・中国国境係争地域です。
【インド側にとって軍事的な重要地域で起きている中印にらみ合い】
インドと中国は以前からカシミールとインド東北部(中国、インド、ブータンに挟まれたアルナーチャルプラデシュ州)の2方面で領土問題を抱えており、両国国境警備当局の“侵入”(あくまでも“一方の側にとって”という話ですが)、にらみ合い、小競り合いは日常的に頻発しています。
1962年には紛争も起きており、このときは戦闘については先制攻撃をしかけた中国側が勝利しています。(アルナーチャルプラデシュ州を制圧した中国軍はその後撤退し、現在はインドが実効支配しています。)
今回、6月から起きているにらみ合いもインド東北部をめぐる争いの一環で、インドが支援するブータンを舞台に起きています。
中印両国関係は、チベット仏教の最高指導者でインドに亡命しているダライ・ラマ14世がチベットのすぐ隣、アルナーチャルプラデシュ州を4月に訪問し、約1週間滞在してことで悪化していました。
更に、5月14日に北京で開かれた一帯一路サミットに際し、中国側が両国係争中のカシミール東部で開発を進めようとしているとインドは不快感を表明し、参加を見送りました。
関係が悪化するなかで、6月3日には、中国軍の攻撃ヘリがインド北部のウッタラカンド州に侵入する事態も起きていました。【8月5日 河東哲夫氏「インドのしたたかさを知らず、印中対決に期待し過ぎる欧米」Newsweekより】
こうした流れの中で、6月16日に中国軍はブータンとの係争地ドクラム高地に侵入して、道路建設を開始。
“人民解放軍は、ドクラム高地から、細い山間を通り中国領へ繋ぐ道路を建設中だという。同情報筋によると、「中国は軽量戦車、砲撃車両などを含む最大40トンの軍用機が通過できる道路を建設しようとしている」と明かした。”【7月3日 大紀天】
これに対し、ブータンの安全保障を担うインドが阻止に入り、印中両軍がにらみ合い、次第に兵力を増強しながら、6月半ば以降1か月以上にらみ合いを続けています。
“国境地帯における侵入事件そのものは小規模なものも含めると年間300件以上あり、ほぼ毎日だ。そのうち、少し規模の大きなにらみ合いが起きるのも、年平均2回程度ある。”【8月7日 長尾 賢氏 JB Press】という中印両国ですが、今回の緊張は1962年の中印国境紛争争以来、最も長期になっています。
この地域はインドにとって、インド本体と東北部をつなぐ細長い回廊に隣接する地域ということで、インドにとって戦略的に極めて重要な地域です。
****中国とインドがかつてない軍事緊張関係に****
(中略)インド側にとって軍事的な重要地域であることも特徴だ。
地図を見ると分かるが、インドは大きく2つの地域、インド「本土」と北東部に分かれていて、その2つの地域は、ネパール、ブータン、バングラデシュに挟まれた鶴の首のような細い領土でつながっている。
この細い部分は最も狭いところで幅17キロしかない。東京から横浜でも27キロ程度あるからとても狭い地域だ。この部分を攻められると、インド北東部全域がインド「本土」から切り離されてしまう安全保障上の弱点になっている。
そのため、インドはブータンと協定を結んで、ブータンにインド軍を駐留させて守ってきた。
1971年の第3次印パ戦争で、東パキスタンを攻め、バングラデシュを建国したのも、この安全保障上の弱点を克服することが目的の1つである。1975年にシッキム藩王国の民主化運動を支援し、結局はインドへの併合へと至ったのも、この安全保障の弱点を克服するためであった。
今回、中国はこのようにインドにとって安全保障上重要な地域で、中国の戦車が移動できる道路を建設しているわけだ。そして、インドがこれを阻止しようとすると戦争をちらつかせて脅しをかけていることになる。大変強硬な姿勢だ。(後略)【8月7日 長尾 賢氏 JB Press】
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【両国はそのうち和解するであろう・・・とは言うものの、不測の事態も】
中印両国の“綱引き”“勢力争い”は上記の地域だけでなく、南アジア全域に及んでいます。
しかし、両国は緊密な経済関係にあるなど、必ずしも“対立”の側面ばかりではありません。
****インドのしたたかさを知らず、印中対決に期待し過ぎる欧米****
<係争地で緊張を高めるかに見える「竜(中国)」と「象(インド)」。それでも対中包囲網の強化を期待できない理由とは>
(中略)インドと中国は決別した――そう早とちりして欧米がインドを引き込むチャンスと思い込むと手痛い目に遭うだろう。
インドはアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーだ。中国も6月9日の上海協力機構(SCO)首脳会議で、これまでの抵抗をやめてインドの加盟を認めている。
インドは米中ロ各国と付かず離れず、バランスを取るのにたけている。例えば軍事面でインドはロシアと陸海空の共同演習を、日米とは東シナ海やインド洋で海軍共同演習を定期的に行う。さらに中国を南北で挟む位置にあるモンゴルとも小規模共同演習を行う一方で、インドは中国とも共同演習を続けている。
親密な「竜象共舞時代」
インドにとってこれまで、最大の脅威は隣国パキスタン。もともと一つの国だったのが宗教を理由に別の国となり、カシミールで領土係争を抱え、テロを仕掛けてくるからだという。
だが、中国はいま押せ押せムードだ。ネパールではインドの影響力を覆す勢いだし、アフリカ東部のジブチに海軍基地を設けた。さらにインド洋ではパキスタンのグワダル港やスリランカのコロンボ港などの整備も手掛け、モルディブでも地歩を築いている。まるで「真珠の首飾り」でインドを締め上げるかのようだ。
ただ、インドは中国海軍を深刻な脅威とは思っていない。中国艦船の多くはマラッカ海峡を通ってインド洋に入る。その途上にあるアンダマン・ニコバル諸島にはインド海軍の基地があり、中国海軍を捕捉できる。インド海軍には中国空母「遼寧」に匹敵する空母もある。
だからインドはこれまで安心して中国の経済力を利用してきた。モディ首相と習近平(シー・チンピン)国家主席の仲はよく、中国語の読本にも「竜象共舞時代」との標語が出てくる。
16年の印中両国間の貿易額708億ドルのうち、中国からインドへの輸出額は583億ドル。インドで中国製品の存在感は圧倒的で、家電ばかりか、ヒンドゥー教の神像など外国人観光客が買う土産物までが中国製だ。中国製日用品の一大集散地である浙江省義烏には、インド人バイヤーが押し掛けている。
インドの街を歩くと、地下鉄の工事現場に円借款供与案件であることを示す日の丸印のすぐそばに、中国の建設企業の看板が立っている。価格や工期などで優れている中国企業が落札してしまうのだ。
インドは米中ロのいずれにもなびかない。中国との対立を売りに欧米各国から支援を得ながら、中国ともしっかり裏で手を握る。13年には国境防衛協力協定を結び、不測の衝突を防ぐための一連の措置を合意しているのだ。
タフな交渉で知られるロシアの外交官がある時、こうこぼしていた。「インドほど交渉上手な国はない。ロシアの戦闘機を買うと言って喜ばせておいてから、何年も延々と値下げ交渉を仕掛けてくる」
今回の印中対立にも、余計な期待や過度の心配はやめよう。冒頭のダライ・ラマ視察への報復にすぎず、両国はそのうち和解するだろう。【8月5日 河東哲夫氏 Newsweek】
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ただ、今回揉めている地域が先述のようにインドにとって極めて敏感な地域である一方で、「どんな犠牲を払っても」自国の主権を守り抜くとする中国側も厳しい姿勢を隠していません。
****「我慢にも限界」中国軍がインドに警告、実弾演習で圧力も****
2017年8月5日、参考消息網は記事「中国軍、インドに『幻想を捨てよ』と警告=人民解放軍は『弓に矢をつがえた状態』と海外メディア」を掲載した。
中国国防部は3日夜、インド軍兵士が国境を越えて中国側に侵入したとの批判声明を発表した。任国強(レン・グゥオチアン)報道官は「中国は最大の善意を用い、外交ルートを通じて事態の解決を図っている」とした一方で、「善意を払うといっても原則がある。我慢にも限界はある」との表現で強く警告した。
中国とインドは先日来、国境付近で緊張を高めており、両国ともに相手側が先に侵犯したと批判している。
台湾・中時電子報は、中国国防部以外にも、外交部、在インド中国大使館、新華社、解放軍報などの政府機関や官製メディアが矢継ぎ早に声明を発表していると指摘。
中国政府は自らの権益擁護のためにあらゆる行動をとる可能性を示すものだと分析している。中国は警告を発する一方で、チベット軍区でロケットや榴弾砲による実弾訓練を連日行うなど、圧力を強めている。【8月6日 Record china】
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両国は、紛争が起きた“1962年”を引き合いに出す形で、「売り言葉に買い言葉」状態にもなっています。
“インドのジャイトリー国防相は7月2日までに、「1962年と情勢は異なる。2017年のインドは同じではない」と発言。
すると中国外交部の耿報道官は3日の記者会見で「彼(ジャイトリー国防相)の言ったことは正しい。、2017年のインドは1962年のインドとは同じでない。同じように、2017年の中国も1962年の中国と同じではない」と発言し、双方の主張は「売り言葉に買い言葉」状態になった。”【7月7日 Record china】
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インド国内には中国製品ボイコットを呼びかける声もあるとか。
与党幹部が「中国経済はかなりの部分でインド市場に依存している。われわれは中国製品をボイコットし、中国に思い知らせてやるべきだ」と語ったそうですが【8月9日 Record chinaより】、これは認識を誤っているでしょう。
経済的に依存しているのはむしろインドの方で、インド国内に中国製品があふれる現状で“ボイコット”などは自らの首を絞める行為でしょう。
核大国の両国ですし、お互いに対立・競い合いながらも、経済・安全保障的に相互依存の関係にあることも承知していますので、河東哲夫氏の言うように“両国はそのうち和解する”のでしょう。
特に、北朝鮮がきな臭い現在、中国がインドと事を起こすとも思われません。
ただ、なかなか振り上げたこぶしのおろしどころが見えない現状です。不測の事態から一時的に現場の衝突・混乱が拡大する場面も否定できません。
【ネパールなど南アジアで拡大する中国の影響力】
全体としては、河東哲夫氏も指摘しているように南アジアでは中国の攻勢がめにつきます。
例えば、かつてはインドの影響力が支配的であったネパール
ネパールと中国、初の軍事演習…インドは反発【4月18日 読売】
ネパール、中国「一帯一路」参加で覚書=インドとの摩擦必至【5月12日 時事】
ネパール、中国企業と国内最大の水力発電所建設へ【6月15日 AFP】
中国がネパールへ自転車3万台を寄贈=中国ネットからは皮肉の声【7月3日 Record china】
インドとしては、心穏やかならざるものもあるでしょう。
****ネパールの親中姿勢をインドメディアが心配****
2017年8月9日、中国メディアの参考消息は最近のネパールの親中姿勢をインドメディアが心配していると伝えた。
記事は、ネパール国内の政治情勢と中国のネパールに対する積極的な姿勢に対して、インドは今のところ沈黙することが慎重な方法だとインドメディアが分析していると紹介。しかしこれは、ネパールが満足するような反応ではないかもしれないという。
実際、ネパールの政府高官はシェール・バハドゥル・デウバ首相に対し、2015年5月にインドとネパールとの間で結んだ協定の見直しを提案しているという。これは、インドと中国とネパールの国境地帯での辺境貿易に関する協定のことだ。
中国は、ネパールに一帯一路構想への参加を勧めており、ネパールのオリ元首相も、最近ラサに招かれた際、係争地であるドクラム問題における中国側の立場についての説明を受け、中国はネパールとブータンの主権を尊重するとの説明を受けたという。
記事によると、中国は地域問題についてネパールに対して友好的かつ率直な態度を示している。中国現代国際関係研究院の胡仕勝(フー・シーシェン)氏は、中国とネパールとの間に鉄道や石油ガスのパイプライン、高速道路を建設することを提案。ネパールが中国とインドとの懸け橋になるよう呼び掛けた。
記事は、ネパールにとってこの提案を受け入れることは簡単なことではないものの、中国はネパール国内で反インド感情が高まっていることをよく知っており、ネパールが国内の反中活動を阻止するために努力していることを高く評価しているという。
インドメディアによると、インドはすでにネパールの好感を失っており、ドクラム問題がネパールの生活や経済に悪影響となることをネパールもよく分かっている。従って現状では、インドがネパールからの支持を得るのが難しい状況だと結んだ。【8月10日 Record china】
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【競争にならない中印の経済格差】
中印両国の勢いの差の根底には、経済力の差があります。
****インド経済は中国を越えられない モディ改革に「見掛け倒し」の烙印****
「次はインド」と注目され続けたアジアの大国が苦悩している。
七月から「物品・サービス税(GST)」が導入され、ナレンドラ・モディ首相の改革が実質的に緒についたものの、インフラ整備や工業振興は停滞したままだ。中国にどんどん引き離されるばかりか、東南アジアや南アジアの新興国から猛追を受けている。(中略)
インドが「次の大国」と言われ続けたのは、ライバル中国が間もなく猛烈な少子高齢化の圧力にさらされるのに対し、インドの人口構成は「これからが黄金期」とされるほど理想的な形だったことにあった。生産年齢人口に対する子供・老人の比率は、二〇五〇年に五〇%弱。七割に達する中国に比べ、確かに未来の大国である。
これはもちろん、生産年齢人口に十分な雇用があってこその話。
一四年に就任したモディ首相は、「Make in India(インドで作ろう)」をスローガンに、脆弱なインド工業を一変させると公約した。「二二年までに工業がGDPに占める割合を二五%(昨年時点で一六%)に引き上げ、一億人の追加雇用(同五千万人)を創出する」との野心的な目標も掲げた。
ただし、税制改革が遅れたように、工業振興や外資誘致の具体策導入に手間取り、政権の目標は、早くも「達成不可能」(在インド米外交筋)の様相なのだ。
モディ政権がもたつくうちに、世界経済地図は急激に変わってきた。「次」として伸びているのは、インドではなく他の東南アジア、南アジア諸国である。
最新の経済統計によると、インドの工業生産は今年五月で年間成長率がわずか一・七%。中国の今年六月の七・六%に大差をつけられた。
ベトナムは七・一%(今年一月)、隣国バングラデシュは七・四%(昨年十二月)と、アジアの周辺国が猛烈な勢いで伸びている。
長期的な比較でも、中国の一九九〇~二〇一七年の工業生産の年平均成長率は一二・三七%。対するインドは、ほぼ同時期(一九九四~二〇一七年)で六・六一%と、まるで競争になっていない。(後略)【「選択」8月号】
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インドは中国と影響力を争うより先に、国内の改革・整備を進める必要がありそうです。