孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アイルランド  母子保護施設の跡地から多数の乳幼児の遺骨 「マグダレン洗濯所」の奴隷労働

2017-03-04 22:45:34 | 人権 児童

(アイルランド「マグダレン洗濯所」【https://matome.naver.jp/odai/2136133702511735201】)

母子施設は婚外子の出産が社会的に強く蔑視されていた時代に、国の助成金を受けて宗教団体が運営
****カトリック系保護施設跡地から多数の乳幼児の遺骨、アイルランド****
アイルランドでカトリックの修道女会が運営していた未婚の母親の保護施設跡の仮設地下室とみられる場所から「かなり多数の」乳幼児の遺骨が発見された。調査を進めていた委員会が3日、明らかにした。
 
遺骨が発見されたのは同国西部ゴールウェー州チュアムにある母子保護施設の跡地。このような施設は「マザー・アンド・ベビー・ホーム」と呼ばれていた。
 
委員会の声明によれば、遺骨は下水道の一部を応急的に区分けして造ったとみられる20の地下室で見つかった。「調査した20の地下室のうち少なくとも17室でかなり多数の人間の遺骨が発見された」「少数の遺骨を分析のため回収した。遺骨は約35週の胎児から2~3歳の幼児のもの」だと声明は述べている。
 
2014年に地元の郷土史家、キャサリン・コーレス氏が、ボン・セクール修道女会が運営していた同施設で1925~1961年にかけて796人の乳幼児が死亡しながら埋葬記録がないことを突き止め、施設内に埋葬された疑いがあると訴えたことをきっかけに政府が認可した委員会が設置され、敷地を掘り返して調査が進められていた。
 
委員会は、1922~1998年の期間に、宗教団体が運営していた18施設で虐待が行われていたとの指摘について調査している。これらの施設で暮らしていた妊娠した未婚女性は計3万5000人に上るとみられている。【3月4日 AFP】
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“国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは遺体発見の報道を受け、アイルランド政府に対し、同国各地の元母子施設について人権侵害の徹底的な調査を行うように求めた。
アムネスティによれば、母子施設は婚外子の出産が社会的に強く蔑視されていた時代に、国の助成金を受けて宗教団体が運営していた。運営は1980年代まで続けられた。”【3月4日 CNN】とも。

詳細についてはよくわかりません。
“1925~1961年にかけて796人の乳幼児が死亡しながら埋葬記録がない”ということで、乳幼児が死亡したこと自体については犯罪性はないが、適正に埋葬されなかったということでしょうか?

ただ、“社会的に強く蔑視されていた”婚外子が闇から闇に葬られていた状況では、乳幼児の死亡自体についても、適正に育児・治療されたのか?という疑念も感じます。

このニュースが引っ掛かったのは、軽度知的障害のある女性、あるいは“ふしだらな女性”を収容する孤島の施設における犯罪的人権侵害を背景としたデンマークの推理小説「特捜部Q カルテ番号64」(ユッシ・エーズラ・オールスン著)を思い出したからです。

もちろん小説はフィクションですが、実際にデンマーク・スプロー島に存在した女性収容所(1921年から1962年)にショックを受けて著者が創作したものです。

実在の女性収容所では、女性たちは不妊手術の同意書にサインをしなければ出ることができなかったのことで、そこでは強制的不妊手術のほか、“優生学的に劣った”“道徳的にふしだらな”女性への人権侵害的行為が日常化していたようです。

【「堕落した女」を保護・収容する目的で創設された「マグダレン洗濯所」】
こうした未婚で妊娠するといった“ふしだらな”(そうした道徳的欠陥は優生学的に劣った遺伝によるもともされ、不妊手術が正当化されたのでしょう)女性を収容するということは、アイルランドやデンマークに限った話ではないでしょう。

アイルランドでは、1996年まで実在した「マグダレン洗濯所」(マグダレン精神病院)が社会問題にもなりました。

****マグダレン洗濯所*****
18世紀に、プロテスタントの教会の施設として「堕落した女」を保護・収容する目的で創設された「マグダレン洗濯所」は、19世紀初頭にはカトリック教会によっても設立・運営されるようになった。

そこに収容されたのは「堕落した女」だけではなかった。そうなる可能性があると(一方的に)みなされた女子、身寄りのない女児などがこの施設に閉じ込められ、過酷な環境でホテルや軍隊の施設などから出るベッドシーツなどの洗濯物を処理する作業を、無報酬で強要された。奴隷労働である。

施設の存在はもちろん知られていたが、完全に閉鎖された施設であり、教会もことを明るみに出すことはなく、そこでの実態は1993年、人手に渡った施設の敷地内から大勢の遺体が発見されるまで、外部には一切知られていなかった。

施設の最後の1軒が閉鎖されたのは、1996年である。

この施設での奴隷労働を経験させられた人々(サバイバー)は、国家の関与を含めた真相の究明と、正当な補償などを求めてきた。【https://matome.naver.jp/odai/2136133702511735201
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1950年代のアイルランド・ダブリンで助産師としてこれらの施設のひとつに関わったジューン・ゴールディングという女性の手記「マグダレンの祈り」は映画化もされているようです。

****マグダレンの祈り』のあらすじと読書感想文****
「マグダレンの祈り」(ジューン・ゴールディング/石川順子訳)は、1950年代のアイルランドが舞台です。カトリック教会によって運営されていた「マグダレン・ホーム」は未婚で妊娠した女性を収容する矯正施設でした。

「マグダレンの祈り」は、そこに住み込みの助産婦として働いていた女性の回想録です。「マグダレンの祈り」の解説には、当時の社会通念が書かれていました。

アイルランドはカトリック国です。避妊や中絶についての記載はありませんでしたが、人工中絶はできなかったのだと思います。当時のアイルランドでは、(今では信じられないほどに)結婚前の処女性が崇拝されており、未婚の母を出すことは一族の恥だと認識されていました。未婚で妊娠した女性は、その事実をひた隠しにされました。生まれた子どもは闇から闇へと葬られました。
 
マグダレン・ホームの門をたたいた女性たちは、そこで密かに出産をします。そのような施設の存在すら知らなかった著者は、マグダレン・ホームの実態を知るたびに絶句します。

どんな鎮静剤を使うのかを聞くと、「使いません。我慢するだけです」と返されました。縫合の必要性を訴えても、「堕落した女には必要ありません」と即座に言われます。

助産婦であった著者には信じられないほどに非衛生的な、そして、非人道的な環境で、「堕落した女たち」は出産をさせられていました。

経済的な援助がない女性は、出産後の3年間は施設で「教育」されます。そして、子どもは孤児として養子に出されました。
 
マグダレン・ホームに来る女性たちは、10代から40代が中心のようでした。実父にレイプされた少女、酒をおごられて気が付いたら妊娠していた学生、恋人に捨てられて誰にも相談できなかった看護婦。そのような「堕落した女性たち」は、マグダレン・ホームで徹底的に迫害されていました。

破水したらシーツを汚したと侮蔑され、出産間近の妊婦にも重労働がかされます。出産後のケアはありません。膿ではれあがった乳房を吸われて苦痛に顔を歪めながらも、我が子をいとおしく見つめる母親に、著者は言葉を失います。

そして、最も残酷な仕打ちは、3年後には取り上げられる運命にある子どもを、母親に母乳で育てさせたことではなかろうかと思いました。

「堕落した」女性たちがマグダレン・ホームに送られてくる経路は、司祭による紹介が多いようでした。娘の妊娠を知った母親が、夫に相談することすらできずに、家族や親戚に隠して娘をホームに送り届けるというケースもありました。
 
現在では、マグダレン・ホームは全て閉鎖されています。本書を原作とする映画「マグダレンの祈り」は、大きな反響を呼びました。そして、多くのアイルランド人が、近年になってはじめてマグダレン・ホームのことを知ったようです。

マグダレン・ホームの中での出来事は、社会の闇から生まれたのではなくて、弱者に慈悲深くあるべき教会によって運営される施設が弱者を残虐に扱うことを許す土壌がアイルランドに存在していたことを解説者は指摘していました。

「ここで私たちがどんなめに逢っていたかを、いつか本に書いて世間に知らせてほしい」
「マグダレンの祈り」は、ある女性からそう言われた著者が、半世紀たった後に、その約束を果たすために書かれました。

50年以上たった現在でも、取り上げられた我が子の消息を追う母親と、自分を産んでくれた母親を捜し求める孤児たちが数多くいるそうです。【竹内みちまろ氏のサイトより http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon/054.html
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アイルランドのエンダ・ケニー首相は、2013年になってようやく「いかなる判断基準で見ても、それは残酷で情け容赦のないアイルランドでありました」と、国家の関与について全面的に非を認め謝罪しました。

****貞節失った女性たち」修道院で虐待70年****
アイルランド建国の1922年から70年以上にわたり、「貞節を失った女性たち」が収容され、重労働を課されていたキリスト教系施設「マグダレン修道院」について、エンダ・ケニー首相は先月、責任は国にもあるとして公式に謝罪した。

同修道院は、経済・社会的に恵まれず売春や婚外交渉を行った女性らの保護・更生を目的に慈善活動家らが創設。
国内の主要都市に施設が作られ、修道女たちが更生を助けた。

だが、刑務所の懲役ですら強制労働だとして禁じられていった20世紀の欧州にあって、同修道院は「戒律徹底」の名の下に無報酬の重労働を課し、実態は刑務所のようだったと伝えられる。

隔絶された空間の中で収容者たちは囚人服に似た服を着せられ、私語は厳禁だった。多くの元収容者たちが修道女たちによる精神的虐待を証言した。過去、約1万人が収容され、うち約1割が収容期間内に死亡したという。【2013年3月9日 読売】
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こうした歴史的事実と重ね合わせて冒頭のアイスランドの記事にもどると、「堕落した女たち」の出産が不適切な条件下で行われ、不適切な育児・医療によって闇から闇へ葬り去られたのでは・・・とも推察されます。その数が役800人・・・。

日本のハンセン病患者施設における強制収容・監禁・堕胎
社会的に“劣った存在・不適切な存在”とみなされた者への、社会通念に基づく過酷な仕打ちは、上記のようなキリスト教社会における婚外子に限らず、日本を含めてどこでも、かつ、つい最近まで、存在します。

例えば、日本のハンセン病患者の施設

*****強制収容・監禁・堕胎の事実****
強制収容・強制隔離
国は、患者さん達に療養所への入所を強制しました。入所の際には、警官、県の職員などが来訪し、「1年で帰れる。」、「3年で帰れる。」などとの嘘を話して、強制収容を行いました。

そして、患者さんが入所した後、その実家は真っ白になるまで消毒されたため、その地域で家族までもが、息を潜めて暮らすことを余儀なくされました。

さらに、「らい患者専用」などと表示されたいわゆる「お召し列車」にて、患者さんは療養所まで収容されたのでした。

そして、いったん入所すると外出することは、ままなりませんでした。ある園は、まわりを高い塀で覆い、またある園は、海の中の孤島の中に設置されました。塀の外には、巡視が見回ったのです。

以上の状況は、元患者さん達の訴えの中に、生々しく表現されています。

「予告もなく、家族一同朝食を摂っている最中、突然衛生課よりトラックを駆って係官が来訪し、「今から30分後に君を護送するから用意せよ」との命令で、自分も家族もその不意打ちに驚愕してしまい、何らの準備も今後の家事の話し合いも出来ず、まるで犬、ねこを追い立てるようにして私はトラックに押し込まれたのです。」(福岡県、男)

断種・堕胎の強制
ハンセン病は、伝染力の極めて弱い伝染病です。断種・堕胎が許容されるいわれは全くありません。それにもかかわらず、結婚の条件として断種が強要され、また女性が妊娠すると堕胎が強要されました。

しかも、その手術自体が、医師ではなく、看護士や看護婦によって行われた結果、手術ミスにより男性の機能を奪われたり、手術が失敗し再度の手術を強要された方もいます。

ハンセン病療養所・大島青松園の現役の医師である和泉眞蔵氏は、熊本地裁における証人尋問において、以下のとおり、断種・堕胎が全く医学的必要がなかったものであることを証言されました。

「患者から生まれた子どもが非常に高率に発症するということはなかったわけですし、・・・・・・更にフィリピンのデータですけれども、ハンセン病の患者から生まれた子どもの、仮に発病したとしても8割は自然治癒するというデーターがありましたので、これを根拠にしてハンセン病患者の断種ないしは妊娠中絶が行われるということは、医学的には正しくなかったと思います。」

ハンセン病患者さんに対するいわれのない差別、さらに強い優性思想に基づき、国は患者さんの絶滅政策をとり続けました。

その結果、人が人として子孫を残し、社会の中でおだやかに生活することが出来ず、患者さん達は未来を奪われてしまったのです。【古賀克重法律事務所HP https://www.lawyer-koga.jp/hansen/history01.html】
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【“本音”の時代の危うさ
2016年7月26日未明に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で発生した「相模原障害者施設殺傷事件」(19人が死亡、26人が重軽傷)の犯人は「彼らを生かすために莫大な費用がかかっています」などと、殺害を正当化しています。

犯行は病的な犯人によるものですが、つい一昔前まで存在していた(今もなくなった訳でもない)、社会的弱者への容赦ない評価にも通じるものがあるようにも思えます。

ここ数十年、そうした社会的弱者の権利を擁護する方向で社会は動いてきたように思えるのですが、今日、いわゆるポリティカル・コレクトネスが軽視され、“本音”が重視される風潮が強まるなかで、再び社会的弱者・少数派の人々の権利が軽んじられるような時代に戻らなければいいが・・・と危惧する次第です。

人間の“本音”は身勝手で、相当にどす黒いものですから。

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