「こんにちわッ、テディちゃでス!
あちこちでェ、ふッとぼーるゥ!」
「がるる!ぐっるーがる!」(←訳:虎です!サッカー開幕!)
こんにちは、ネーさです。
英プレミアリーグが開幕し、
私ネーさが応援する伊ユヴェントスも初公式戦を戦いました。
長崎原爆忌の今日、欧州サッカーを観戦していると、
やはり《平和》を感じさせられますね。
英国人やベルギー人のMFさん、スウェーデン人のCFさん、
日本人のDFに、スペイン人のGK、
チリやブラジルのスター選手さん……と、
もはや国境に鉄の壁は無し。
この《平和》が続くようにと祈りながら、
本日の読書タイムは、こちらを、どうぞ~!
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―― 新宿ベルエポック ――
著者は石川拓治(いしかわ・たくじ)さん、2015年4月に発行されました。
『Sinjuku Belle Epoque』と仏語題名が、
『芸術と食を生んだ中村屋サロン』と日本語副題が付されています。
「あはァ! なかむらやさんッ!」
「ぐるがるーる!」(←訳:あのカレーの!)
はい、そうです、
東京・新宿にお店を持ち、
『カリー』の美味しさで広く知られる中村屋さん。
この御本は、明治期に中村屋さんを創業した、
相馬愛蔵(そうま・あいぞう)さんと
相馬黒光(そうま・こっこう)さん夫妻、
そして荻原碌山(おぎわら・ろくざん)さんという、
三人が織り成したベル・エポック――
“美しき日々”に光をあてたノンフクション作品です。
今でこそ名店として揺るぎもない中村屋さんですが、
その誕生は意外なものでした。
お店の名前は中村、なのに、
創業した人の名は相馬、って……?
「うむゥ? いわれてェみればッ?」
「がぅっるぐる?」(←訳:ちょっとヘン?)
実は、中村屋さん、
もとは東京帝大前にお店を構えるパン屋さんでした。
それを、明治34年のこと、
店舗からパン製造道具、職人さんたち働き手をも
丸ごと買い取ったのが、
相馬愛蔵さんだったのです。
「ていだいまえェのォ、ぱんやさんッ?」
「ぐるがるぐるー!」(←訳:今と全然違うー!)
愛蔵さんと、黒光さんこと良(りょう)さんは、
経済的に傾いていたパン屋さんを
懸命の努力で立て直し、
明治40年には新宿に支店を開店する運びになりました。
その当時の新宿ときたら、
町はずれで、非常に見すぼらしくて、
商売繁盛など覚束ないと思われたのですが。
「せんけんのォめいィ、でしたでス!」
「がるる~!」(←訳:大繁盛~!)
お店の本拠を、本郷から新宿三丁目の新店へ移したのは
明治42年の出来事。
その前年に、相馬夫妻は
懐かしい友人と再会し、喜び合います。
友人の名は、荻原守衛――
のちに、荻原碌山として
日本美術史に名を刻む非凡な彫刻家さんでした。
「テディちゃ、しッてるでス!」
「ぐるるるがるるぐるるる!」(←訳:安曇野に美術館あるよね!)
相馬夫妻、そして碌山さん。
三人を核に、
日本で初めて“サロン美術”が育まれてゆく様子を、
著者・石川さんは静かに追ってゆきます。
つかのまの、光。
明治から大正、昭和と変貌してゆく世情と世界の裾で
生まれては散らばっていったもの。
「それがァ、べるえぽッくゥ?」
「がるぐるる?」(←訳:佳き思い出?)
単なる思い出で終わらせてはいけない、
嵐の前の“美しき日々”――良き時代の記録を、
活字マニアの皆さま、ぜひ。
あちこちでェ、ふッとぼーるゥ!」
「がるる!ぐっるーがる!」(←訳:虎です!サッカー開幕!)
こんにちは、ネーさです。
英プレミアリーグが開幕し、
私ネーさが応援する伊ユヴェントスも初公式戦を戦いました。
長崎原爆忌の今日、欧州サッカーを観戦していると、
やはり《平和》を感じさせられますね。
英国人やベルギー人のMFさん、スウェーデン人のCFさん、
日本人のDFに、スペイン人のGK、
チリやブラジルのスター選手さん……と、
もはや国境に鉄の壁は無し。
この《平和》が続くようにと祈りながら、
本日の読書タイムは、こちらを、どうぞ~!

―― 新宿ベルエポック ――
著者は石川拓治(いしかわ・たくじ)さん、2015年4月に発行されました。
『Sinjuku Belle Epoque』と仏語題名が、
『芸術と食を生んだ中村屋サロン』と日本語副題が付されています。
「あはァ! なかむらやさんッ!」
「ぐるがるーる!」(←訳:あのカレーの!)
はい、そうです、
東京・新宿にお店を持ち、
『カリー』の美味しさで広く知られる中村屋さん。
この御本は、明治期に中村屋さんを創業した、
相馬愛蔵(そうま・あいぞう)さんと
相馬黒光(そうま・こっこう)さん夫妻、
そして荻原碌山(おぎわら・ろくざん)さんという、
三人が織り成したベル・エポック――
“美しき日々”に光をあてたノンフクション作品です。
今でこそ名店として揺るぎもない中村屋さんですが、
その誕生は意外なものでした。
お店の名前は中村、なのに、
創業した人の名は相馬、って……?
「うむゥ? いわれてェみればッ?」
「がぅっるぐる?」(←訳:ちょっとヘン?)
実は、中村屋さん、
もとは東京帝大前にお店を構えるパン屋さんでした。
それを、明治34年のこと、
店舗からパン製造道具、職人さんたち働き手をも
丸ごと買い取ったのが、
相馬愛蔵さんだったのです。
「ていだいまえェのォ、ぱんやさんッ?」
「ぐるがるぐるー!」(←訳:今と全然違うー!)
愛蔵さんと、黒光さんこと良(りょう)さんは、
経済的に傾いていたパン屋さんを
懸命の努力で立て直し、
明治40年には新宿に支店を開店する運びになりました。
その当時の新宿ときたら、
町はずれで、非常に見すぼらしくて、
商売繁盛など覚束ないと思われたのですが。
「せんけんのォめいィ、でしたでス!」
「がるる~!」(←訳:大繁盛~!)
お店の本拠を、本郷から新宿三丁目の新店へ移したのは
明治42年の出来事。
その前年に、相馬夫妻は
懐かしい友人と再会し、喜び合います。
友人の名は、荻原守衛――
のちに、荻原碌山として
日本美術史に名を刻む非凡な彫刻家さんでした。
「テディちゃ、しッてるでス!」
「ぐるるるがるるぐるるる!」(←訳:安曇野に美術館あるよね!)
相馬夫妻、そして碌山さん。
三人を核に、
日本で初めて“サロン美術”が育まれてゆく様子を、
著者・石川さんは静かに追ってゆきます。
つかのまの、光。
明治から大正、昭和と変貌してゆく世情と世界の裾で
生まれては散らばっていったもの。
「それがァ、べるえぽッくゥ?」
「がるぐるる?」(←訳:佳き思い出?)
単なる思い出で終わらせてはいけない、
嵐の前の“美しき日々”――良き時代の記録を、
活字マニアの皆さま、ぜひ。