テディちゃとネーさの読書雑記

ぬいぐるみの「テディちゃ」と養い親?「ネーさ」がナビする、新旧の様々な読書雑想と身辺記録です。

~ 消えぬ光 ~

2015-08-09 21:54:20 | ブックス
「こんにちわッ、テディちゃでス!
 あちこちでェ、ふッとぼーるゥ!」
「がるる!ぐっるーがる!」(←訳:虎です!サッカー開幕!)

 こんにちは、ネーさです。
 英プレミアリーグが開幕し、
 私ネーさが応援する伊ユヴェントスも初公式戦を戦いました。
 長崎原爆忌の今日、欧州サッカーを観戦していると、
 やはり《平和》を感じさせられますね。
 英国人やベルギー人のMFさん、スウェーデン人のCFさん、
 日本人のDFに、スペイン人のGK、
 チリやブラジルのスター選手さん……と、
 もはや国境に鉄の壁は無し。
 この《平和》が続くようにと祈りながら、
 本日の読書タイムは、こちらを、どうぞ~!

  



           ―― 新宿ベルエポック ――



 著者は石川拓治(いしかわ・たくじ)さん、2015年4月に発行されました。
 『Sinjuku Belle Epoque』と仏語題名が、
 『芸術と食を生んだ中村屋サロン』と日本語副題が付されています。

「あはァ! なかむらやさんッ!」
「ぐるがるーる!」(←訳:あのカレーの!)

 はい、そうです、
 東京・新宿にお店を持ち、
 『カリー』の美味しさで広く知られる中村屋さん。

 この御本は、明治期に中村屋さんを創業した、
 相馬愛蔵(そうま・あいぞう)さんと
 相馬黒光(そうま・こっこう)さん夫妻、
 そして荻原碌山(おぎわら・ろくざん)さんという、
 三人が織り成したベル・エポック――
 “美しき日々”に光をあてたノンフクション作品です。

 今でこそ名店として揺るぎもない中村屋さんですが、
 その誕生は意外なものでした。

 お店の名前は中村、なのに、
 創業した人の名は相馬、って……?

「うむゥ? いわれてェみればッ?」
「がぅっるぐる?」(←訳:ちょっとヘン?)

 実は、中村屋さん、
 もとは東京帝大前にお店を構えるパン屋さんでした。

 それを、明治34年のこと、
 店舗からパン製造道具、職人さんたち働き手をも
 丸ごと買い取ったのが、
 相馬愛蔵さんだったのです。

「ていだいまえェのォ、ぱんやさんッ?」
「ぐるがるぐるー!」(←訳:今と全然違うー!)

 愛蔵さんと、黒光さんこと良(りょう)さんは、
 経済的に傾いていたパン屋さんを
 懸命の努力で立て直し、
 明治40年には新宿に支店を開店する運びになりました。

 その当時の新宿ときたら、
 町はずれで、非常に見すぼらしくて、
 商売繁盛など覚束ないと思われたのですが。

「せんけんのォめいィ、でしたでス!」
「がるる~!」(←訳:大繁盛~!)

 お店の本拠を、本郷から新宿三丁目の新店へ移したのは
 明治42年の出来事。

 その前年に、相馬夫妻は
 懐かしい友人と再会し、喜び合います。

 友人の名は、荻原守衛――
 のちに、荻原碌山として
 日本美術史に名を刻む非凡な彫刻家さんでした。

「テディちゃ、しッてるでス!」
「ぐるるるがるるぐるるる!」(←訳:安曇野に美術館あるよね!)

 相馬夫妻、そして碌山さん。

 三人を核に、
 日本で初めて“サロン美術”が育まれてゆく様子を、
 著者・石川さんは静かに追ってゆきます。

 つかのまの、光。
 明治から大正、昭和と変貌してゆく世情と世界の裾で
 生まれては散らばっていったもの。

「それがァ、べるえぽッくゥ?」
「がるぐるる?」(←訳:佳き思い出?)

 単なる思い出で終わらせてはいけない、
 嵐の前の“美しき日々”――良き時代の記録を、
 活字マニアの皆さま、ぜひ。
 



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