写真撮影日:2014/5/31
写真上:福井県東尋坊の「雄島」は信仰の島として手付かずの自然が残る
ヤマバト続報。 昨日な~~んとヤマバト2羽がニワに来て、小さいほうは「空の巣(からのす)」の近くに止まって、まったりしていました。おおおっ、元気だったのね?!
それにしても古巣に帰ってくるものなの? どちらでもいいの~、ともかく無事な様子が見れてとっても感激でした。あまり刺激したくなかったけど、やっぱ記録しておきたいので、写真を撮りました。場所が微妙なうえに、逆光で見えにくいですが、「若い・幼い」カンジがわかります。
この写真のみ撮影日:2014/8/14
前回の続きですが、それでは「ロボット(工学)三原則」ってどんなものなのでしょう。SF作家のアイザック・アシモフが「ロボットシリーズ」の主題として提示したテーマで、知っている人には有名な三原則です。
第1条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を見過ごすことによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条:ロボットは人間から与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合はこの限りでない。
第3条:ロボットは、前掲第1条および第2条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
単純に読んだだけでもなんだかどこかに矛盾がありそうで、頭が混乱しそうです。しかし現在のロボット工学ではこの三原則を「安全・便利・長持ち」と読み替えることで家電製品などにも適応しているようです。
いずれにしてもロボットやサイボーグなどのアイデンティティや人間との関係性において大きな影響を及ぼしているのですね。
それではすべてのロボットはこの原則に沿って作られ、作動しているのでしょうか? 「ロボットは決して人間に危害を加えない」つまり、人間にとって有用・必要であればもちろんありがたいことだし、今後さらなる開発・進化を期待するのです。
問題は三原則を必ずしも守っていない場合や、結果的に人間に危害与える場面があることです。たとえば複数の人間がそれぞれのロボットに命令を出せば、結局互いに戦ったり、相手の人間に危害を加えたりすることになるでしょう。表のロボットはお披露目できますが、裏ロボットは顔を隠し、実力を隠しているのです。
小説「消滅」でも、「現実には軍事分野で必要とされている」と書いています。もともとロボットということばは、カレル・チャペック(1890-1938)が造った造語で、彼の戯曲「ロッサムズ・ユニバーサル・ロボット」で始めて使われました。チェコ語で「奴隷」を意味するらしいです。
さらに違う方向からのロボット論に「人間機械論」があります。これは「人間それ自体が一種の機械」という考え方です。
***続く***
写真左:雄島は「大湊神社」の鎮守の森として守られた。神社の前にある神木。
おもしろい顔?
写真右・下:多くの海浜植物が咲いている。
写真右:照葉樹林の森には「ヤブニッケイの純林」
写真:みごとな板状摂理。北側には方位磁石が狂う「磁石岩」が多い。
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