殆どテレビを見なくなった私ですが、放送開始以来殆ど見ている番組に「何でも鑑定団」があります。本物を見る楽しみといくらするんだろうというゲスの根性で何時までもあきません。
そんな中で「楽焼」なんてものも知りました。「楽家」が作る茶碗に「黒楽」と「赤楽」があるなんてことも覚えました。だから、「楽家」というのは苗字が「楽」という変わった名前だと勝手に思い込んでいました。ところがこれが大恥でした。
1日、読売新聞コラム 「茶の湯」 らくやき [楽焼]より
侘び茶に合う茶碗がほしいという千利休の注文を受け、陶工、あるいは装飾瓦の工人だったといわれる長次郎が焼いた。以降400年あまり、長次郎を祖とする楽家で作られてきた。…中略
しかし、茶陶の楽焼は長次郎以来の伝統を受け継ぐ焼き物だ。この「楽」は豊臣秀吉の聚楽第に由来する。…中略
長次郎の茶碗は当初、今焼茶碗と呼ばれた。今風の新しい茶碗だった。「松屋会記」には「宗易形ノ茶ワン」という記述も見える。宗易とは利休のこと。基本は半筒形で、黒楽と赤楽の両種がある。
それが聚楽焼茶碗という名に変わる。聚楽第で焼かれたからで、利休の屋敷が聚楽第の中にあったのだ。
楽焼と称するようになったのは、長次郎の次の二代常慶が秀吉から聚楽第の楽の字の印を拝領してから。ちなみに聚楽は「長生不老の楽しみを聚(あつ)むるもの」を意味する。…以下略
苗字じゃなかったんですね。何でも勝手に思い込んでしまう悪い癖が出てしまいました。「楽」が聚楽第から来ているなんて想像もしませんでした。お茶をやられる人たちにとっては常識なんでしょうが門外漢にとっては思いも付きませんでした。
…略
歴史
天正年間(16世紀後半)、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされる。二代目・常慶の父、田中宗慶が豊臣秀吉より聚楽第からとった樂の印章を賜り、これを用いるとともに家号にしたことから楽焼となった、との説が広く知られる。正統な楽家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯という。…以下略
やはり広く知られていたのですね。これだから教養の無い物は駄目ですね。知ったかぶりで苗字が「楽」なんて言わなくてよかった。
ホントに知らないことばかり!