私自身日本がどんなに悪いことをしてきたかと本やマスコミなどで聞かされて育って、心の底から日本を好きになれな いところがあったのは事実です。実際にこのHPを始めたころにもまだそうした気持ちが残っていました。リンクの部屋 にも今なら恥ずかしい週刊金曜日なんてのを載せていました。現在も殆どチェックしていないのでまだそうした気分が 残っているかもしれませんが、ネットのお陰で日本を心から誇れるようになりました。今時何言ってるんだと言われそう ですが、ネットに縁のない人たちの中には未だにそうした気持ちを持っている人は多そうです。
そうした人たちだって本当は心の底から日本を誇りに思いたいはずです。そして、西欧の植民地政策とは全く 違った日本の戦前の行動を知ればどの先進国より心から誇れる国であることに感謝したくなるはずです。こんな素晴 らしい国に生まれてきた幸運を、戦後の自虐史観によって知ることもなく死んで行くのは余りにも気の毒です。やは り、教育と言うのは恐ろしいですね。何とか、まともな教育を取り戻し、せめてこれからの子供たちには心から誇れ る日本の素晴らしさを教えてあげたいものです。
こう思いながらも、実際に戦前に生きていたことのな い私もその実感は観念でしかない。しかし、ここでもネットという素晴らしいものでその戦前を何時でも見ることができ るようになりました。以下の動画と宮崎さんのブログでまたまた心から戦前の日本の素晴らしさを実感できることができ ました。
「宮 崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成25年(2013)4月16日(火曜日)通巻第3925号
・・・ 略
黄 文雄『学校では絶対に教えない植民地の真実』(ビジネス社)
歴史学者としての黄さんは、『植民地』と奴隷を歴史、文明に照らして比較研究した。集中的に本書では『植民地』の在 り方、その百八十度異なる日本の遣り方を比較する。
ロシアの植民地、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガ ル、そして英国の植民地は現地民を虐殺、虐待、少数民族の分断による分割支配というスタイルで、徹底的に搾り取るシ ステムだった。
ところが文明を比較しても、歴史開闢以来、日本が行ったこ とは理想の国家建設であった。
台湾は近代化し、朝鮮はハングルと教育が普及し、日本が力 点をおいた満州は、毎年百万人の漢族と朝鮮からの入植があってにぎわった。搾取ではなく、まさに日本の持ち出し、日 本の犠牲のもとに行われた。鉄道を敷き、各地に学校、病院を建設し、巨大なダムを建設した。瀋陽の前身、奉天は未曾 有の発展を遂げ、新京(いまの長春)には大々的な都が造営された。
ちなみに満州国で発行された通貨は日本の敗戦から二年も命 脈を保った。ほかの通貨より、満州国崩壊後にも満州通貨は通用した。
背景にあるのは日本への限りない信頼である。心理的な側面 も経済活動のうえでは大きいと言える。
当時、満州を視察したフィリピン外相が言った。
「フィリピンはスペインの植民地として350年、アメリカの支配下で40年が経過している。だが、住民の生活向上に役立つ ものは一つも作っていない。満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と驚嘆したのだ。…以下略
これを読んだだけでも戦前の日本の凄さが分かりますが、 これを画像で見るとなおその凄さを実感できます。
The capital of Manchuria 1/2 満州国国都、新京《前編》
The capital of Manchuria 2/2 満州国国都、新京《後編》
素晴らしいことをやっていたと分かったつもりになっ ていた私も、この映像を見ると本当い戦前の日本人は凄かったのだと心から納得できます。貧乏な国がこれだけのことを 成し遂げるにはどれだけ国内の整備を後回しにしたことだろうと感心します。これだけの投資を国内でやっていれば日本 はもっと違った方向に行ったのじゃないでしょうか。良く、そんな我慢をしてまでこんなすごいことをやったものです。 これはどう考えても今の日本人とは違いますね。同じ血が流れているとは想像もつきません。
そうかんがえるとやはり教育というものの恐ろしさを感じずにはいられません。今の軟弱な私にはきっと耐えら れないでしょうが、今さらながら、戦前の教育の元でそだってみたかったという思いがあります。もしかしたら、こ んな軟弱な私でももう少しましな人間に育っていたかも。今からでも、せめて戦前の人達に後ろ指さされないような 生き方をしたいものです。
無理かも!