25日(第 4967回)の「日本は立ち直れるか」で安倍さんに期待しながらも全面的 に賛成という訳にいかないと書き、27日(第 4969回)の「やはり鎖国か」で日本の常識を世界の常識にと書きました。
それじゃあ、どんな日本を造りたいのかと言えば私にはそれだけの頭はないのが現実です。しかし、何時もの ネット巡回で素晴らしい回答を見つけました。というか何度もその考えを読ませてもらって目からうろこでした が、今回はより一層はっきりと日本がどこを目指すべきががはっきりと分かった気がします。
ねずさんの ひとりごとよ り
日本における革命、改革 4/22
・・・略
欧米における民主主義は、王制絶対主義 に対する民衆の抵抗運動として発達したものです。
民主主義によって、王権に制限を加え、 それによって民衆が奴隷的支配から脱却しようとしたわけです。
ところがそのようなことは、我が国では いまから1300年以上も昔に実現していました。
すなわち、君の中の君である大君が直接 政治権力を揮うことをしないという体制を築いたのです。
これが律令制度です。
これは実にたいへんなことです。
西欧風にいえば、王自身が、王としての 政治権力を否定してしまったのです。
世界の常識ではありえない話といえるか もしれません。
でどうなったかといえば、天皇は伝統的 権威となり、権力者が政治権力を揮う権力の認証をする役割となったのです。
そして同時に、一般の民衆は、その天皇 の民、すなわち皇民という位置づけになりました。
これが何を意味するかといえば、民は権 力者に支配され、隷属しなければならない権力者の私有民、もっといえば権力者の奴隷という立場から、一躍、権力 者と対等な天皇の大御宝となったのです。
日本社会には、古来、奴隷という制度が ありませんが、これは天皇の存在によって、民衆が大御宝とされたことによります。
いってみれば、究極の民主主義を、日本 はなんといまから1300年以上もの昔に、実現してしまっていたのです。
このことを理解すれば、いたずらに西欧 風の民主主義を社会体制として模倣することが、民衆にとって幸せとはいえないということも、容易に理解できま す。
なぜなら、民主主義によって選ばれた権 力者は、それだけでは結局は、民に対する支配者と化してしまうからです。
そしてこのことによって、世界で民主主 義の名のもとに、どれだけの血が流されたか。
そのことは、フランス革命を例にとるま でもないことと思います。
自由主義にしても然りです。
欧米における自由主義は、王権による支 配からの自由です。
けれど、彼ら欧米人が学んだことは、た だやみくもに民衆に自由を与えれば社会が崩壊するという現実です。
だからこそ、彼らは「Freedom」と「Liberty」を立て分け、神のもとの正義の中にある 「道義」を「Liberty=自由」と呼ぶとしているのです。…中略
私たちの日本は、民衆が天皇の民、皇民 であるという、たいへんありがたい社会体制の中にあって、1300年かけて、ではどうやったら皇民である民衆 が、互いに慈しみあい、支えあい、助け合い、互いが気持ちよく生きて行ける社会をつくれるかを、長い年月をかけ て考え、築き上げてきました。…以下略
何で戦前の人達があんなに凄かった のか納得です。やはり日本の常識は世界を超えていたのですね。こうなるとやはり日本の常識を世界に広めてあげる ことこそが世界平和への最短距離かもしれません。当然、すべて正しい訳じゃないでしょうから日本の先人のように 良いものは取り入れて理想を目指せは良い訳です。
この考えは、実際のところ全ての為政者や国民にまで浸透していなかったのじゃないでしょうか。特に為政 者がこの精神をきちんと持っていればもっと素晴らしい国になっていたような気がします。
私も、長い間かかって権威と権力の分離という日本の素晴らしさにうっすらと気が付いていましたが、ここ まではっきりと教えてもらったのは初めてです。この考えを常に持っているのと、ぼんやりと考えているのでは その行動が全く違ってくるはずです。
日本人自体がこの素晴らしさをきちんと自分のものにすればそれを世界に広めることも自信をもってできる と言うものです。きちんとした背骨があるということは素晴らしいことです。
それにしても毎日ねすさんに目の うろこを落としてもらっていますが、このブログを是非教科書に採用してもらいたいですね。日本ががらっと変 わりそうな気がします。
現代にも凄い 人はいるんですね!