昨日のストークスさんに続いて、今日も一連の 図書館購入依頼作戦で購入依頼していた第 5329回の「ねずさん「第二巻」購入依頼」についてです。
あの後、ねずさんが第 二巻: 「和」と「結い」にを何故出版したかを書いてくれていました。又、又、目からうろこでした。単に素 晴らしい日本について書いてくれているんだろうと思っていましたが、その裏には深い考えがあったようです。全く、ねずさ んは凄い人ですね。
ねずさんの ひとりご とより 2014年05月20日
慰 安婦問題の処方箋
…略
繰り返しますが、その説明責任は、日本にあります。
そもそも、いま行きている保守の人も、左翼の人も、つまり慰安婦問題について「あった」「なかった」と言ってい るどうちらの当事者も、当時の時代を、大人として生きていた人は、すでにごくわずかしかいません。
つまり、あった、なかった、と言っている人たちも、それを評価する第三者も、当時の時代を生きた当事者ではないので す。
ですから、多くの評者は、なにをもって「あった、なかった」と言っているかといえば、現在の価値観で、ことの善 悪を判断しようとします。
そして日本が、韓国の女性たちを売春に利用したといわれれば、それは悪い事にしかみえません。
しかもそれはかつては戦争における世界の常識でもあったわけです。
ところが「なかった」と言っているわたしたちから見ると、「あった」と言っている連中は、かつて強姦致死にいた らしめた犯罪者の在日韓国人が、被害者 の女性を「性奴隷にしたかった」と法廷で述べたという事件がありましたが、それと同じで、彼らにとってのそれが薄汚 い「彼ら自身の欲求や欲望」にしか見え ません。
なぜかといえば、わたしたちは日本の文化性を知っているからです。
現実は、当時の朝鮮人の女衒たちが、金儲けのために国中から女性を連れて来て、売春させていた。
むしろ日本は、彼女たちを手厚く保護していたというのが事実です。
そして現実には、おそらくいま、世界中にいる売春婦たちと比べても、あるいはいま日本国内にいるソープ嬢やヘルス 嬢、デリヘル嬢などと比べても、当時の慰 安婦というのは、衛生面でも、収入面でも、あるいは労働条件面においても、健康管理面においても、経済的にも、あら ゆる面において、はるかに恵まれた環境 にあったことを知っています。
しかしそのことは、日本の常識であっても、世界の常識ではありません。
ならば、その日本の常識が、「なぜか」ということ、「なぜそうしたのか」ということを、わたしたち日本人が、世界に 向けて、ちゃんと説明しなければならないはずなのです。
繰り返しますが、その説明責任は、間違いなく、日本にあります。
私がねず本第二巻で、「和と結いと対等意識」という本を書いた直接の動機も、まさに、ここにあります。
そのように書くと「なんだ、自分の本の宣伝かい」と言われてしまいそうですが、そういうことではなく、実際に、ねず 本の第二巻をお読みになられた方ならお わかりいただけると思うのですが、読み終えたとき、まるで韓国の慰安婦問題などというものが、あまりにも次元が低 く、程度が低いことに、お気づきになられ たことと思います。
つまり、日本の歴史、文化を知ったとき、韓国の主張する慰安婦問題なるものが、ただの彼ら自身の願望にすぎない ということが、肌で感じられるのです。
そして、世界の人々が、まさに千年以上にわたって待ち望んでいた、本当の「人が大切にされる社会」、「人類が理想と すべき社会」とは、いったいどのようなものであったのかが、はっきりと形になって、目の前に迫ってくる実感を得てい ただくことができます。
さきほど「説明責任は日本にある」と書きましたが、日本人が、日本の文化性を見失っていれば、韓国の慰安婦問題 の主張に対して、ただ、対抗的に争う、というだけになってしまいます。
日本は、和の国、結いの国なのです。
だからこそ日本は、韓国の言い分が、たとえおかしな間違った曲解したものであっても、彼らに手を差し伸べて来たし、 そのおかげで、彼らは経済的にも復興したのです。
これまた、世界の常識ではあり得ない事です。
どうして日本が韓国に、さんざん悪口を言われながら、それに対してカネを出して来たのか、あるいは河野談話を出 し(それ自体はとんでもないことです)、宮沢首相がお詫び会見をしたりしてきたのか。
日本は、「争う」のではなく、どこまでも和と結いで両国が仲良くしていきたいと考えてきたからに他なりません。
ならば、その「どうして」の部分について、日本は、ちゃんと世界に向けて情報発信していく。
この問題は、ただ対抗するだけでは、決して解決しないのです。
戦争をすることなく、韓国を黙らせるには、日本の文化性を世界に向けて、わたしたち自身が堂々と情報発信していく必 要があるのです。そこが、実は、いちばん大事なところなのです。
戦前、戦中、朝鮮半島に慰安所はありました。
そこには慰安婦もいました。
中国語や朝鮮語では、慰安婦のことは「売淫」と呼びます。
「淫」という漢字は、膣に液体をほとばしらせるという意味の漢字です。
それを「売」るのですから、「売淫」です。
けれど日本語では「売春」です。春はあたたかく、花が咲き、一年でもっとも過ごしやすい季節です。
さらに戦時中は、「慰安」です。慰安の「慰」は、なぐさめるという意味の漢字、「安」は安心の安です。
明日死ぬかもしれない、厳しい状況にある兵隊さんたちだからこそ、ほんのいっときでもいい、慰め、安心させてあげ る。それを商売にしていたという意味です。
することは同じかもしれないけれど、そこにあるパラダイムは、まったく別なものです。
すくなくとも「売淫所」ではありません。
先ほどの繰り返しになりますが、当時の慰安婦たちは、いまどきのソープ嬢や、ヘルス嬢たちよりも、よっぽど、健 康的で経済的にも良好な状態にあったのです。
これは世界では、まさに信じられないことだし、ありえないことです。
では、どうしてそのようなことが、現実に起こっていたのか。
彼女たちが恵まれた環境下にあったのか。
そのことは、日本が説明しなければ、誰もわからないのです。
日本が、ただ「なかった」と、対立的、対抗的に反論するだけならば、すでにその時点で、相手方の術中にはまりこ んだことになってしまいます。
騒ぎが大きくなればなるほど、世界の常識である「戦勝国は敗戦国の女性を蹂躙する」という方向に議論がたなびくから です。
そうではないということについて、日本文化の持つ思いやりの文化や、たとえ相手が売春婦であったとしても、人として はあくまでも対等な存在であるという、日本的価値観などを、日本はあらゆる場を通じてきちんと説明していかなければ なりません。
繰り返しますが、その説明責任は、間違いなく、日本にあるのです。
慰安婦問題への直接の対抗は、いってみれば、西洋医薬です。
背景となる日本の歴史伝統文化についての説明は、いってみれば漢方薬です。
慰安婦問題がいわばガン細胞なら、それには対処療法と根治療法、この二つの処方箋が必要だと思うのです。
そして切開手術(戦争)という手段がとれない以上、日本は、その根治のために、日本文化のもつやさしさやおもいや り、人をたいせつにする日本という国柄を、世界に向けて、それをわかりやすく主張し、説明する。
しかし残念な事に、そういうことが「わかる」本というのが、見当たりません。
だからこそ、ねず本の第二巻を書きました。
この本は、慰安婦問題を考える上で、必ず役に立つ本です。
この本に、従軍慰安婦のことはひとこともかいてありません。
ところがこの本を読み終えると、韓国や売国左翼の主張する従軍慰安婦なる主張が、あまりにも下劣で下品で、ただの欲 の塊にしか見えなくなります。
それが、日本のもつ文化性なのです。
是非、慰安婦問題の最終的、究極的な解決のためにも、これまでの慰安婦問題への対抗のための様々な行動に加え て、ねず本第二巻を拡散していただきたいと思います。
偶然でしょうか、図書館から本が入りましたとの連絡があり、早速取りに行き、一気に読みました。一つ一つは既にねずさ んのところで読んだものばかりでし たが、通して読むことで、ねずさんが言われる通り、日本が昔から如何に女性が敬われ大事にされてきたかが良く分かりま す。
まさに、ねずさんの意図された通り、日本が女性を力づくで慰安婦にするような国でないことが良く分かります。
ねずさんの言われる、『世界の人々が、まさに千年以上にわたって待ち望んでいた、本当の「人が大切にされる社会」、 「人類が理想とすべき社会」とは、 いったいどのようなものであったのかが、はっきりと形になって、目の前に迫ってくる実感を得ていただくことができま す。』を全世界に知らせてあげるべきで す。それによって、世界の人々も、何を目指すべきかが理解できるでしょう。
もちろん、今の日本ではその資格はないのですから、一日も早い再生を成し遂げることで、世界の模範となる必要があり ます。まだ、その可能性はあるのじゃないでしょうか。
9条死守よりこの本を世界に広める方が戦争抑止になることは間違いないでしょう。日本って本当に凄い国ですね。