阿比留さんと高山さんが共著で本を出されるそうです。それも、マスメディアの罪と罰とのタイトルですから面白そうです。
阿比留さんがフェイスブックにアップされています。
何と、何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。宮崎さんの書評は何時読んでも面白い。
その宮崎さんが阿比留・高山さんを博覧強記と票されています。宮崎さんがそう言われるのですから太鼓判でしょう。
宮崎正弘の国際 ニュー ス・ 早読みより 平成31年(2019年)1月29日(火曜日) 通巻第5971号
書 評
メディアの存在理由とは「反権力」ではなく、事実を伝えることではないのか
取材もしないで、間違った前提と予見で報道するのはアジテーター
高山正之 v 阿比留瑠比『マスメディアの罪と罰』(ワニブックス)
日本のジャーナリストはレベルが低く、メディアの質の劣化が甚だしい。「ジャーナリスト」を僭称するインチキ の代表格は田原総 一朗だ。
かねてから評者(宮崎)も朝日新聞はアジビラ、NHKは中国代理放送と批判してきた。したがって読者の多く は、朝日批判などは 常識としてきた。「アカが書き やくざが売って、莫迦が読む」のが朝日とからかわれた。
フェイクニュースを日夜量産して、今日も反省の色なしだが、かれらは「予見」が先にあって、その目的のために 情報をでっち上げ たり、談話の部分だけを肥大化させたり、事実を曲解、歪曲、針小棒大がお得意、つまり情報を報道する機関ではなく、一部の偏向し た主張を押しつけるのだ。
情報とは第一に速さ、第二に正確さ、そして第三は誰よりも早く入手した、その正確な情報を分析判断し、いかに 迅速に次の行動に 移れるかというアクションを伴う。それが『情報学』の基礎であり、日本が戦後失ったメディアの存在理由の基本である。
日本の「ジャーナリスト」を僭称する人たちは何を勘違いしてきたのか。
いや、この基本的情報学原則をたたき壊してきたのは朝日に代表される日本のメディアであり、それに協力してきた 「ブンカジン」 だった。というわけで、実名が上がる。田原総一朗、池上彰、青木理、ほか。ジャーナリストでも東京新聞の望月某女とか、俎上に乗 せられて一瞬にして葬られる。
しかし、戦前、軍とべったりだった朝日は戦後、なぜ、一夜にしてひどく歪んだのか。
GHQは新聞用紙配給で、GHQに逆らう新聞社には供給しないというあくどい手段を講じた。このため1945 年9月18日、朝 日新聞は二日間の発行停止となった。
その後、「朝日新聞はGHQに絶対の忠誠を誓った紙面で再登場してきた。(中略)GHQの広報誌新社」だった のだ、と高山氏が 舌鋒鋭く言う。
かたや阿比留氏は「マスコミが反権力」というのが、そもそも錯誤であり、マスコミの第一の使命とは「事実を知ら せること」であ り、その過程で権力を監視したり反権力の立場になることもあるだろうが、第二義的なことなのである、と本質をズバリついている。
深刻な問題が縦横に語られ、二人の博覧強記に圧倒される。