シラスやウシハクどころか権威と権力の分離さえも知らなかったが、ねずさん達にネットで出会え、やっと目が覚めたことを感謝してきました。
とは言え、正しい国家観と歴史観が身に付いたとは烏滸がましくて言えません。兎に角、知らないことばかりで、毎日目から鱗の日々と言っても過言ではない。
この素晴らしい国を作り上げてくれた大化の改新なども詳しいことは殆ど知らないと言えます。
これからもねずさん達に教えてもらい目から鱗の日々が続くことでしょう。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/12/25
7世紀の時代の 大揺籃期を概括してみる
・・・略
天智天皇と天武天皇が兄弟であったことさえ疑う意見があることも承知しています。
しかしそのことを示す史料はなく、この不仲説の根拠となっているのは、万葉集における天智天皇、天武天皇、そして天武天皇の 妻であり一女まである額田王の歌が、根拠となっています。
しかしその根拠とされる歌も実は、その意味をまるで履き違えた解釈によって、歪められていたという事実は、このたびの拙著 『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』で詳しく述べた通りです。
(まだお読みでない方は、是非、ご購読をお勧めします)
不幸なことに、天武天皇のまさかの崩御によって、鵜野讚良皇后が持統天皇として即位されます。
そして持統天皇が、敷いたレール、それが、反対派を粛清したり抹殺したりするのではなく、教育と文化によって、我が国をひと つにまとめていくという大方針です。
万葉集も、そのために持統天皇が柿本人麻呂に命じて編纂を開始させたものです。
こうして我が国の形が固まっていきました。
それは高い民度の臣民によって培われた、民度の高い国家という形です。
我が国が、国家形成の揺籃期に、このような素晴らしい天皇をいただいたことは、我が国の臣民として、たいへんに幸せであった ことだと思います。
爾来1300年、我が国は、庶民の高い民度によって支えられる盤石の国家が築かれてきたのです。
それにしても、本当の意味も教えず件名と年度だけを記憶する無味乾燥な歴史教育はもう止めにしてワクワクする授業を子供達にして欲しいものです。
折角、素晴らしい国に生れながらそれを教えられない悲劇はもう終わりにしましょう。