常識と思い込んでいることが実は全く違っていることがあり驚かされる時がなあります。
ちょっと古くなりますが、面白い記事がありました。
6月30日、読売新聞 編集手帳
沈黙は金、という。西洋伝来の格言は、「雄弁は銀」とつづく。はっきり自分を主張することを美徳とする西洋人が雄弁を低く評価したのはなぜだろう◆「岩波ことわざ辞典」によれば、格言の起こりは19世紀中ごろのドイツで、当時の西欧諸国は銀を基準にした貨幣制度、いわゆる銀本位制が大勢であったという。古人はどうやら現在の意味とは逆、「雄弁の銀」を上位に置いたつもりで格言をこしらえたらしい…以下略
これはわが人生にも関係してくる話ですが、我々日本人は「沈黙は金」を重視してきたと言っても過言ではないでしょう。古くはテレビコマーシャルにも三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」なんてのがあったくらいです。
私自身も、口下手なのをこの言葉を言い訳に自分を納得させて努力を怠ってきたつけが今に繋がっています。今頃気が付いても手遅れですが。
慰安婦問題や南京虐殺などやってもいないことをさも本当にやったかのように非難されるなど日本の外交のまずさにもこんな日本人の意識が現れているのじゃないでしょうか。そして、それは今でも日本の国が世界に誤解される原因になっているようです。
それが、全く違った意味だったとすれば「沈黙は金」は日本を間違った方向に導いたと言えるかもしれません。一つの言葉の解釈が日本の歴史を変えたとしたら恐ろしいものがあります。とは言いながらも、暗黙の了解や阿吽の呼吸などの言葉を持つ日本人には都合の言い解釈だったのかもしれません。
それにしても、沈黙と雄弁のどちらを取るか日本の将来が係っているかもしれません。どちらをとるべきか問題です。
やはり、雄弁は金でしょうか!
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