日本は歴史が古過ぎて、日本を「ニホン」と読むのか、「ニッポン」と読むのか決まってないそうです。流石日本が嫌いな国民が多いだけのことはあります。
と言うか、読み方さえ解らない程に古い時代からの国名というのはやはり誇って良いものとも言えそうです。
何と、その国名も白村江の戦いとも関係あるのだそうです。と言うか、ここでもあの朝鮮半島の人達が関係しているようです。
ねずさんが詳しく書いてくれています。
いつものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2020/10 /5
世界一歴史の 古い国の世界一すばらしい国家の成り立ち
・・・略
日本は、世界一歴史の古い国です。
日本という国号のはじまりは、持統天皇が689年に発せられた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)です。
ここに最初に「日本」という国号が文字として書かれました。
それより以前は、外国では倭国、我が国では葦原中国(あしはらのなかつくに)、または大倭(おほやまと)と呼ばれています。
ですから「日本」の読みも、本来はこう書いて「やまと」と読みます。
「やまと」の表記は、「倭(やまと)」であったり、「大和(やまと)」であったり、秋津島(やまと)であったりしましたが、最終 的に持統天皇の御世に、「日本」という表記で確定したわけです。
このため、いまでも「日本」と書いて「ニホン」と読むのか、「ニッポン」と読むのか確定していません。
結局、どちらの読みも正しいとされています。
この「日本」という国号が唐の国に伝わり、その後に成立した元の大帝国の時代に、元の首都である大都にやってきたマルコポーロ が、元の言葉で「日=ジツ」、「本=ポング」と発音されていたものを、彼がイタリア語で「ZIPANG」と書き、それがヨーロッ パに伝わって、英語圏では「JAPAN」と訳されました。
7世紀に成立した国号が、現代でも使われているのは、世界でただ一国、日本だけです。・・・中略
ところが倭国が、百済救援軍を起こして、これに抵抗する。
これは本来なら、あくまで「百済と新羅の戦い」です。
ところが戦っているのは、なぜか日本と唐です。
これはおかしな話です。
しかも後ろ押しした百済の王子まで、結局、高句麗に逃げてしまう。
これでは戦う意味などありません。
そこで日本は、唐と結んで白村江から全軍を引き上げることにしたところ、その引き上げの当日に新羅がだまし討ちで日本の船に火を 放って日本の将兵1万人が亡くなりました。
これが有名な白村江事件ですが、もう二度と、そんな嘘つきたちと付き合いたくない。
だから日本は、663年に朝鮮海峡に国境線を敷いたのです。・・・以下略
国境線が敷かれたのも、やはり朝鮮の人達とは付き合ってはならないという考えからとなると、やはり、日本は朝鮮半島とは先人の考え通り付き合いを止めるのが当たり前ということでしょう。
一日も早く、先人の考えを取り入れるべき。
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