京田辺市の南西地区には、面白い黄金埋蔵伝説がある。
①『朝日さす夕日輝く錆が谷黄金千両埋め置く』 (水取錆)
②『朝日さす夕日輝く多々羅黄金参千両埋め置く』 (多々羅新宮前)
③『朝日さす夕日輝くししが谷三葉柳の下に黄金千両埋め置く』(多々羅駒ヶ谷)
と歌われている。
①は、幕末徳川軍が追われて落ち延び、錆ヶ谷に隠したのではないか?、
②、③は、自宅から近いところであり、それとなく気になっていたのだが、昨日伺った郷土史家の御大によると、①も含めて普賢寺谷、多々羅の製鉄に関係した人達の歌ではないかという。
普賢寺谷の地名で、上白光田、下白光田(製鉄時の白い光)、灰が原(灰を捨てたところ)、井出口(大量の水で土砂から砂鉄を採取する。その水を出すところ)、鬼灯川(ほおずきかわ、いつも赤い水が流れていた)・・・。新撰姓氏録によると、百済の渡来人が今の多々羅地区に製鉄技術を伝え、多々良公の称号が与えられたと記述されている。
残念ながら、鉄屑など、製鉄に関係したものは、発掘できてないのだが、もう少し、その近辺を掘ると何かが出てくるのではと思っている。しかし、この地域は、もうこれ以上住宅開発などで、いにしえから伝わった大切な遺産・文化やそして自然まで破壊してほしくないと思うのは、住民である私達だけであろうか?
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①『朝日さす夕日輝く錆が谷黄金千両埋め置く』 (水取錆)
②『朝日さす夕日輝く多々羅黄金参千両埋め置く』 (多々羅新宮前)
③『朝日さす夕日輝くししが谷三葉柳の下に黄金千両埋め置く』(多々羅駒ヶ谷)
と歌われている。
①は、幕末徳川軍が追われて落ち延び、錆ヶ谷に隠したのではないか?、
②、③は、自宅から近いところであり、それとなく気になっていたのだが、昨日伺った郷土史家の御大によると、①も含めて普賢寺谷、多々羅の製鉄に関係した人達の歌ではないかという。
普賢寺谷の地名で、上白光田、下白光田(製鉄時の白い光)、灰が原(灰を捨てたところ)、井出口(大量の水で土砂から砂鉄を採取する。その水を出すところ)、鬼灯川(ほおずきかわ、いつも赤い水が流れていた)・・・。新撰姓氏録によると、百済の渡来人が今の多々羅地区に製鉄技術を伝え、多々良公の称号が与えられたと記述されている。
残念ながら、鉄屑など、製鉄に関係したものは、発掘できてないのだが、もう少し、その近辺を掘ると何かが出てくるのではと思っている。しかし、この地域は、もうこれ以上住宅開発などで、いにしえから伝わった大切な遺産・文化やそして自然まで破壊してほしくないと思うのは、住民である私達だけであろうか?
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