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京田辺市多々羅新宮前
■欽明天皇時代に、任那国主の後裔、百済の爾利久牟豪族が渡来し、この地に住む。
金多々利(糸車)、金牟居(おけ)を朝廷に献上し、多々良公を名をもらう。
■多々良とは、古代製鉄技術のタタラといわれている。
タタラは、国内では出雲の鉄産業が有名。
■良質の砂鉄をすくい上げる(土壌すくい)は安来節のどじょうすくいと恰好が似ている。
■もともとは、向かいの田中山(現在の同志社山手 西山神社付近)にあり、渡来人の祖先の余璋王を祀ったのであるが、今は、スサノオノミコトが祭神。
※残念ながら、製鉄関連の鉄くず、鉄製品の出土は全くない。また、
タタラ製鉄は、木炭を大量に使用する。
この近辺にそれほど、大きな森林があったのかと疑問がわいてくる。
■秋の例祭は10月の第2日曜日。朱智神社宮司に来ていただき、神輿を担ぎ区内を回る。
朱智神社の境外末社であり、朱智の新しい宮ともいわれている。
※ひんやりした、閑静な神社。裏の同志社大のスポーツクラブの歓声が聞こえる。